- ベストアンサー
文章の上手い人はどんな特訓をしているのでしょうか?
- 文章の特訓方法について知りたいです。詩人や和歌の歌人、純文学の小説家など、名文を書ける人たちはどのような特訓をしているのでしょうか?
- 私は子供のころから和歌が好きで、短歌を書きたいと思っていましたが、特訓しても上達しないので諦めました。どのような特訓方法が効果的なのでしょうか?
- 英語の名文を日本語に翻訳することで特訓できると思ったのですが、うまくいきませんでした。詩人や歌人を目指すわけではないので、簡単な特訓方法を教えてください。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「何か感動的な事柄が先にあって、それを言葉で表すと詩または詩的表現になるのであって、ただ机上で組み立てたものではありません。それは、たとえ技巧的に美しい文章になり得ても、感動的なものにはならないのです」と、ワーズワースは、言っているようです。 I Wandered Lonely as a Cloud (William Wordsworth) 「一人さびしくさまよえば」 (拙訳、すみませんが、原文はネットか何かでご覧下さい。) 山並の上を漂う雲のごと 一人さびしくさまよえば、 ふと目に入りし花叢(はなむら)は 琥珀に咲きし水仙の 湖水のほとり木々のもと 微風(かぜ)の中にぞたわむれり。 銀河にまたたく星のごと その輝きの絶えずして、 岸辺に沿いし花叢は 遥けき彼方へ続きたり。 さざめく花冠(はな)のきらめいて あまたひとみに映りたり。 琥珀の波は歓喜にそよぎ、 湖水の銀波も影うすし。 げに心愉しき友を得て 愁いの詩人も傷癒えり。 虚心無心にただ眺むれば その景観の値千金。 空しくも悲しく物を思いしときは 芝のしとねに身を横たえん。 まぶたに浮かびし輝きは 孤独の憂き身に歓喜を伝え、 心に愉悦の満ちみちて 我、水仙のそよぎとたわむる。 他方、『悪の華』で有名なボードレールは、「感性の問題だ」とでも言いたげに見えます。 「酔いたまえ」(散文詩) いつも酔っていなければならぬ。すべてはそこにある。それこそ唯一の問題なのだ。あなたの肩をうちひしぎ、あなたを地面の方へとかがみこませる、「すなわち人を老いこませる」あの『時間』という恐ろしい重荷を感じないでいるためには、あなたは絶えず酔っていなければならぬ。 だが何に「酔え」と言うのかと訊ねるのか? 酒にでも、詩にでも、美徳にでも、あなたの好きなものにだ。ただ、とにかく酔いたまえ。 そしてもし、時に、宮殿の階(きざはし)の上で、道端の青い草の上で、あなたの部屋の陰鬱な孤独のなかで、酔いもすでに衰え、あるいはさめはてて、われにかえるようなことがあったなら、風に、浪に、星に、鳥に、大時計に(…)、すべてのものに向って、「今は何時か」と訊ねたまえ。そうすれば、風は、浪は、星は、鳥は、大時計は、あなたに向って答えるだろう。「酔う時間だ!、『時間』に責めさいなまれる奴隷になりたくなかったら、酔いたまえ。絶えず酔っていたまえ! 酒にでも、詩にでも、美徳にでも、あなたの好きなものに」と答えるであろう。 彼ボードレールは、デカダンスを自覚しながらも、その中に美を認め、華麗な詩を書きました。彼に言わせれば、「詩人の使命は、現実を変貌させること、現実から美を導き出すこと、そして、《悪》から《華》を創り出すことにある。醜悪なもの、悲惨なものの中にこそ美を見出さねばならぬ」という。少なくとも、「そういう感性を研ぎ澄まさなければならない」と言いたいのではないか、と思います。 またまた、回答にもならない気まぐれで(ホラティウスの延長のような気分で、ついつい遊んでしまうのがクセになってしまいまして)、失礼しました。
その他の回答 (4)
- tzd78886
- ベストアンサー率15% (2590/17104)
文章が巧いとか拙いとかは他人がそう評価するにすぎず、本人はごく普通の文章を書いているつもりなのが普通です。つまりそのために特別な努力をしているわけではありません。文章を書くのが大好きなので、いくらでも書くことが苦にならない人たちです。その繰り返しで知らぬ間に能力が上がっているのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 本人は無自覚と言うのもあり得るのかあり得ないのか、、、友人や知り合いに物書きがいないので、どうにも分かりません。 そうなのかも知れませんね。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10004/12512)
>文章の上手い人はどんな特訓をしているのでしょうか? ⇒文章の上手い人に聞いてみましょうか。 「初戀」 まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の實に 人こひ初めしはじめなり… (島崎藤村『若菜集』より) 『若菜集』が出たのは明治30年、藤村氏26歳のとき。ということは「初戀」は彼が成人したばかりのころの経験を詠ったものと推測されます。文字通り、初めて異性の手に触れたのかも知れない。神秘に満ちた「憧れ」と、めくるめく「感動」があったに違いない。 "Spring" The year's at the spring And day's at the morn; Morning's at seven; The hill-side's dew-pearled; The lark's on the wing; The snail's on the thorn: God's in his heaven―― All's right with the world! これを見た上田敏氏、胸を躍らせた。味読し、詠唱し、「陶酔」した(ことでしょう)。 そして、こう訳しました。 「春の朝(あした)」 時は春、 日はあした、 あしたは七時、 片岡に露みちて、 揚雲雀(あげひばり)なのりいで、 蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、 神、空に知ろしめす。 すべて世は事も無し。 (上田敏『海潮音』より) お二人は何と答えてくれたんでしょうね。実は、分かりません。ただ、私には、「憧れたり、感動したり、陶酔したりしただけ」と聞こえたような気がします。 あ、それと、「語彙だけは、いくら多読しても足りないので、時々辞典を“食いました”よ」というようなことも、言っていたような、いなかったような…。 回答にならないような「怪答」、失礼しました。
お礼
ご回答ありがとうございます。すいません、すっかり今日が期日の仕事を忘れていまして、やっとこさギリギリで間に合わせていて、返信ができませんでした。 >「初戀」 島崎藤村は、知っていましたが、、こんなすごい詩を書かれる方だとは知りませんでした!!! なにこれ! 下手な映画よりも、情景がありありと思い浮かびますね、このカメラワークで映画取って欲しいと思うほどです。 あまりの美しさに度肝を抜かれました。 >"Spring" これは読んだ事あります! うろ覚えですが、思うに英語翻訳に関する書籍に、二人くらいの翻訳者の訳が載っていたような気かします。同じ書籍から引用されているのかは、分かりませんけど。 上田敏氏の翻訳も、本当に芸術というよりも神技に近く、惚れ惚れしますね。 世の中の翻訳者がすべてこのレベルで翻訳されてたら、私は英語を原文で読んでやろうなどど一度も思わなかったでしょう。 >お二人は何と答えてくれたんでしょうね。実は、分かりません。 >ただ、私には、「憧れたり、感動したり、陶酔したりしただけ」 >と聞こえたような気がします。 私などはどんなに陶酔しても、自分で表現できないという欲求不満になるだけです。まだまだ陶酔し足りないのか、、、どうなのか、、まだまだ、、泥沼から這い上がれずにいます。 >それと、「語彙だけは、いくら多読しても足りないので、時々辞典を“食いました”よ」 >というようなことも、言っていたような、いなかったような…。 辞書の使い方もお上手なお方達だったのでしょうね! 私も見習おうと思います。 いろいろ勉強になりました。 ありがとうございます。
- unnoun
- ベストアンサー率16% (409/2496)
読書量です。一冊には作家の全てが入っています。後は、センスと表現力で、近親相姦が書けるようになったら一流といわれます。
お礼
ご回答ありがとうございます。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11072/34514)
うーん。それは「いかに言葉の行間を読めるか」であり、そういうのは才能なのではないかなーという気がします。 例えば有名な話に、アイラブユーを夏目漱石は「月が綺麗ですね」と訳した、というのがありますね。その根底となる「日本語に『我ハ君ヲ愛ス』なんて表現はねえだろう」というのは比較的誰でも理解できる部分だと思います。 でも、大抵の人は「じゃあ他の言葉で表現するならどうするか?」ってところでどうしてもラブつまり「愛する」ってところにどうしても引っ張られると思うのです。でも、漱石先生の偉大なところはそこを「月が綺麗」と表現をぶっ飛ばしたところにあるわけです。発想の飛躍。でも、そこは「愛の告白」という部分は絶対にズラさないのです。「明日は晴れますね」とかだと意味が理解できませんよね。そこが「センス(才能)」なのだと思います。 だからもし名文の練習をするのだとしたら「お題に沿うという約束は外さないまま、いかに表現をぶっ飛ばすか」ということになるのだと思います。で、実は「お題に沿って表現をぶっ飛ばすもの」っていうのがあるんですね。それは何かというとあの「大喜利」です。全く違う表現を持ってきて笑わせるのが大喜利ですよね。ベクトルが「言葉の美しさ」に飛ぶならそれが名文になり、「笑い」に飛ぶなら大喜利の回答になるのだと思います。 実際、大喜利の名回答者と名文を書く人というのは結構かぶっています。ピースの又吉直樹さんは、若手の頃に大喜利大会の優勝の常連だったそうですし、芸人の中でも大喜利の天才である松本人志さんは「チキンライス」という名歌詞を書いています。 おそらくですが、質問者さんが名文にならないというのは「表現の飛躍がない」のだと思います。万葉集に「北山に たなびく雲の 青雲の 星さかれゆき 月も離れて」というのがありますが、北の山に雲がびゅんびゅん飛んでいく様子に「人もこのように離れて行ってしまう」というのを重ねているわけですよね。 そういう「全然違うものをひとつに結び付ける(それでいて読んだ人を納得させる)」っていうことの練習をすれば、味わいのある文章になってゆくのではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そういうもんですかね?
お礼
ご回答ありがとうございます。お礼が遅れて申し訳ありjません。 いやー、ワーズワースの詩集を英語で読もうとしたことはもちろんあるのですが、よほど運が悪かったか何かで、本のタイトルすら覚えていませんが、たまた私には理解できない芸術的感性で描かれていまして、それ以来読んだことが無かったのですが、、、このI Wandered Lonely as a Cloudは、名作ですね!! なるほど、これはワーズワースが世界的に有名な詩人と言われるわけだ!と納得がいきました。 >「何か感動的な事柄が先にあって、 それなりに感動しているつもりなんですけどね、どうにもこうにも名文が脳内におりてこないんですよ。 英語カテでどうしても英語が覚えられない人の相談といいますか、英語学習方法の質問などを見ていましても、「なぜ英語が覚えられない?」と思ってしまうのですが、こと文章に関しましては、10年以上の努力が全然実になっていませんので、私もほとほと困り果てています。 それでも諦め切れないので、例の質問を毎週しているわけですが、、、。 >拙訳、すみませんが、原文はネットか何かでご覧下さい。) Nakayさんは、本当に全体のとの調和を考えて訳すのがお上手ですね。以前も思ったのですが、満開の桜の花が咲いた木々を一つの景色と見るように、詩全体を初めから最後まで読みました時に真価を発揮するように思います。 私の質問でも毎回素晴らしい作品をいただいておりますが、やはり詩の一部分よりも全体を入れた時の雅やかさは、これまた素晴らしい物ですね。 >ボードレールは、デカダンスを自覚しながらも、その中に美を認め、華麗な詩を書きました。 ボードレールは、まだ未読なんですよ! しかし「醜悪なもの、悲惨なものの中にこそ美を見出さねばならぬ」と言うのは全くその通りだと思います。 時間が出来たらボートレールも読みたくなってしまいました。(笑) >回答にもならない気まぐれで(ホラティウスの延長のような気分で、ついつい遊んでしまうのがクセになってしまいまして) なにを仰います! 今回も大変勉強になりました! まさに求めていたご回答でした、ありがとうございます!