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弥生人も渡来人?
渡来人を中高の日本史で習いますが、弥生人が既に渡来人なのに、あとから来た外国人だけ渡来人と呼ぶのは変ですね?
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>あとから来た外国人だけ渡来人と呼ぶのは変ですね? まぁ、その通りなのですが・・・。 日本では「先住民」という概念は、平成の代まで(公的に)存在しませんでした。 今では、「アイヌ民族が、先住民」と見なされていますがね。 ですから、(規模の大きさでなく政治体制からみた)国として存在していない時代の民族移動は「原住民・渡来人の区別はない」のです。 国としての体裁が整った時点で、日本人・渡来人(帰化)・外国人と区別が存在したのです。 藤原鎌足(中臣鎌足)も、一説では渡来人ですよね。 百済国の王子で「豊璋」との説・逸話が残っています。 百済に援軍をだせば、あなた(中大兄皇子)を次期大王(天皇)にしてあげよう。 ※天皇という称号は、天武天皇が最初。 外交担当で、「全方位外交」を行っていた蘇我氏が邪魔になりますよね。 ※蘇我氏は、高句麗・新羅ともに友好関係維持を主張。 そこで、派兵に反対している蘇我氏を討つ事にした次第。 何故か不思議な事に、この大事な時期に中臣鎌足は行方不明になっています。 祖国の百済に帰って戦いの最中!との、説・逸話もあります。 余談ですが・・・。 百済援軍(白村江の戦)は「日本の侵略」と、韓国の正しい歴史に記載があります。^^;
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- gunsin
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歴史学者は奈良時代に仏教と共に、日本に来た、建築・土木などの 技術を持った集団などが、そのまま、住み着いた人を渡来人とか 帰化人と呼んでいるようです。 縄文人、弥生人、帰化人、渡来人などの呼称は差別しているようで、 厭な感じの響きがしますね。 私は、民族学者の柳田國男さんが唱えた、大和民族は山の民、 海の民、北の民、南の民からなっているとした、呼称の方が宜しい と思ってます。 柳田國男さんが、この事を発表した時には、歴史学者達はせせら 笑っていましたが、新たな遺跡が発掘される度に、段々、この説 に近ずいているのではないの?と感じてます。
- 4500rpm
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弥生人も縄文系弥生人と渡来系弥生人と区別する場合があります。 「渡来人(とらいじん)とは、広義には、日本列島に渡って来た人々を意味する。歴史用語としては、3世紀から7世紀頃に朝鮮半島などから日本に移住した人々(移民)を指すことが多い。人類学では、弥生時代以降にユーラシア大陸から渡来した人々(渡来系弥生人など)の総称として用いられることが多い。」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E6%9D%A5%E4%BA%BA#%E3%80%8C%E5%B8%B0%E5%8C%96%E4%BA%BA%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E6%B8%A1%E6%9D%A5%E4%BA%BA%E3%80%8D 弥生人 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA
- ishi_saya
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そうです。弥生人も渡来人です。 しかしなぜそう言われないのかというと、あたかも弥生人が純日本人であるかのように言うことで、何かを隠そうとしたからです。 縄文人や弥生人は「古代人=未開人=野蛮人」 渡来人は漢字や仏教を日本に持ち込んだ「先進人」「知識人」 そういうイメージを日本人に植え付けるためでしょう。 つまり、全ての高度な文化は大陸や半島から未開の野蛮な日本に入ってきたんだ、と言いたいがためです。