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渡来人の帰化

ふと疑問に思ったのですが、渡来人は外国人でしょうか、それとも帰化人でしょうか?? 古代に大陸や朝鮮半島から渡って来た人たちのことを渡来人(そのまんまですね)と呼ぶということを確か高校の教科書で見ました。 でも、この言葉はニュアンスが掴みにくいんです。 つまり、その渡ってきた人たちやその子孫はその当時から歴史上ではどういった位置づけだったのかわかりにくいということです。 呼んで字のごとく、『渡来した外国人』という位置づけだったのでしょうか?それとも『渡来し帰化した外国人』だったのでしょうか? また、現代では渡来人と呼ばれる人たちはいないように思います。(末裔の方はいらしても、日本人であるように思います)ということは、歴史上いつごろの時代に帰化したのでしょうか? 何か知っている方いらっしゃれば教えてください!! お願いします!

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回答No.1

歴史学用語を誤解しているようですね。 渡来人は、以前は帰化人と記述されていました。 しかし「帰化」なる概念は王化思想に基づくもので皇国史観に繋 がるという極めて現代的、政治的な理由からそれが否定され、「渡 来」となったのです。 ですから、帰化であれ渡来であれ、実態は変わりません。あくまで 用語上の問題ですので。 ではその実態ですが、どういうものであったかというと、「新選姓 氏録」などの書籍では「蕃別」とされ一種の蔑視を受けていました が、彼らの持っていた工業技術などは重宝がられ、比較的に安定し た地位、時には重要な地位を与えられていました。また彼らには、 当然といえば当然ですが、天皇への臣従の意志、大和国への「帰化 」の意志があったことも事実で、例えば代表的な渡来氏族である秦 氏などは、在来の人々以上に積極的に、神社を建設するなどしてい ます。

zyubiduba
質問者

お礼

なるほど、ほぼ日本人であるといってもおかしくないのですね! >極めて現代的、政治的な理由からそれが否定され つまり、たかが用語ですけど、政治によって歴史が書き換えられるってことですか?歴史は純粋に学問であってほしいですね。そんなのまるで共産国家みたいで残念です。 早速の回答ありがとうございました!!

その他の回答 (3)

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.4

帰化という概念はかなり新しいもので、当時存在しなかったものです。 従って渡来人と呼ぶのが正しい表現です。 帰化というのは生まれた国籍を捨て、現在居住している土地の国籍を取得することを意味します。 国籍という概念がまだ確立していなかった時代に正確には帰化という手続きはなかったのです。 ただ実質的に現在の帰化という実態に近かったので現代人に理解しやすく表現したのだと思います。 従って渡来人の中に「渡来した外国人」もいたし、「渡来し帰化した外国人」もいたわけです。 現代は交通も発達して往来も自由ですからわざわざ渡来と断らずともよいだけです。 渡来人は先進的な文化、技術を持つていましたから、これらを学び利用する為厚遇され、また集団で居住する事も多かったので新しい氏(秦氏など)を許されました。  そして次第に同化されて現在に至っています。 いつごろ帰化したかは現代の法律では明治以後といえますが、歴史上の実態は古代から始まっていました。

zyubiduba
質問者

お礼

当時は帰化という概念はなっかたが実質的には帰化だったということですね!結局、No.1のかたのいうように政治的理由で渡来人とよんでいるようですね。 丁寧な回答をありがとうございました!

  • umigame3
  • ベストアンサー率27% (13/48)
回答No.3

質問と趣旨がずれるかもしれませんが。。。。 徐福伝説: 記録上で最も古いもので有名なのが「徐福伝説」。 縄文期から弥生時代に移行する頃。約2200年も前とのこと。 秦の始皇帝の臣下徐福が数千人で「蓬莱」に不老不死の薬を見つけに行ったとか・・・ この「蓬莱」が日本である・・・との説。 始皇帝の横暴に絶えかねて亡命を図ったのでは無いでしょうか?(日本各地に徐福伝説・・・が残っているようです)文明を持ち込んだ可能性は十分に考えられますよね。 酒が飲めない: 話変わってお酒を飲めない遺伝子。(アセトアルデヒド分解酵素) 昔、人類は全てお酒を飲めた・・・とのこと。 ある時、中国の一地域で突然変異で上述酵素を生成出来ない人類が発生したらしいです。 この人種がアジア地域に広がったとの説があるようです。 実は、私も飲めません。。。先祖に帰化人が間違いなくいたのでしょう。 大津京: 大津は渡来人の集落が存在したらしいです。遺跡の構造そのものが朝鮮の形式そのものとのこと。大化の改新後天智天皇が飛鳥より近江の地に遷都します。たぶん白村江の戦いで破れ、疎開しながら、渡来人の智識を頼ったのではないでしょうか?(司馬遼太郎氏の街道をゆく:近江編に書かれていました) 桓武天皇: この人のお母さんは帰化人の子孫と言われています。 従って、桓武天皇にも帰化人の血が流れている。。。ということで先年、天皇陛下がその旨に言及される発言をされたものと思われます。 中国からは海流に乗れば日本。朝鮮半島からは、海峡を渡ればスグなので大勢の方々が日本に渡来したのでしょうね。

zyubiduba
質問者

お礼

酒が飲めない!!そんな遺伝子があったんですか!! 私も酒だめなんですよ~つまり私も渡来人の血を受けているんですね。びっくりですね! >桓武天皇にも帰化人の血が流れている 歴史的に確認できる事実なんですね!私は、皇族の方々の顔を見て、勝手に朝鮮半島からの征服民族の子孫が天皇家だ!と思ってました...いわゆる朝鮮顔ですもん(^^;) 詳しい回答をありがとうございました!!

  • tamm
  • ベストアンサー率50% (14/28)
回答No.2

「渡来人」の多くは、当時の朝鮮半島(百済)から日本にやってきました。 その頃の朝鮮半島は情勢不安で、日本と友好国であった百済が新羅に領土を着々と侵されつつありました。 このような背景を考えると、「渡来人」の来日の目的は“亡命”といえるのではないのでしょうか。 もちろん、その中には、祖国復活の日には再び朝鮮半島に帰る意思のある“難民”的な人々もいたと思います。 まとめると、『日本に帰化した人々』もいたし、『渡来した政治的難民』もいたといえることになります。 ちなみに現在の渡来人ですが、いわゆる華僑や華人と呼ばれる中国人は、それに近いのではないのでしょうか。(日本だけでなく世界各地に移り住んでいますが)

zyubiduba
質問者

お礼

亡命ですか!情勢や背景を考えれればそれが当然の考えですね。 どうもありがとうございました!!

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