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渡来人・帰化人たちは
渡来人・帰化人たちは そこに日本列島があることを知っていてやって来たのでしょうか?
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E6%9D%A5%E4%BA%BA 上記ウィキによると、渡来人とは 歴史史用語としては、4世紀から7世紀頃に、中国大陸及び朝鮮半島から日本に移住した人々を指すことが多い。 とあります。 ですので、質問者さんがおっしゃるのはこの時代のことだと思います。 渡来人にもいろんな氏族がありますが、中でも秦氏はたいへん多くの人が日本にやってきたようです。 秦氏について、日本の史書は次のように記しています。 「新撰姓氏録」・・・仲哀天皇8年、弓月の王・巧満が日本の朝廷を公式訪問した。 「日本書紀」・・・応神天皇14年、弓月君が百済より移民を率いてやってきた。 「新撰姓氏録」・・・融通王は秦の始皇帝の子孫である。 「古事記」・・・秦氏は百済から渡来した ※仲哀天皇は14代、応神天皇は15代天皇です。 これらを統合すると、弓月君と融通王は同一人物で、秦氏の先祖であり、応神天皇14年に移民を率いて日本にやってきたということになると思います。 また、「仲哀天皇8年に、弓月の王・巧満が日本の朝廷を公式訪問した」とありますが、 このとき巧満は移民の許可を得るべく交渉を行なったのではないでしょうか。 その結果が応神天皇14年の秦氏の移民なのだと私は思います。 ということは、秦氏は日本があることを知っていてやってきた、と言うことになると思います。 また3世紀の魏志倭人伝に日本のことが記されていますので、 それ以前の渡来人も日本のことを知ってやってきたと考えられるのではないでしょうか。 天皇家も渡来人ではないか、という説があり、興味深いですね。
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- onbase koubou(@onbase)
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質問では「時代」が明示されていないのでなんとも答えようがありません。 少なくとも「帰化人」とは渡来人のうちで日本に定着(定住)した人達のことですから「日本列島の存在を知らない帰化人」は存在しませんし、渡来人のうちヤマト朝廷に派遣された人物や朝廷が招聘した人物は当然日本列島があることは知っているでしょう。 その他の渡来人は時代時期によって違ってきますが、文字資料のない時代では渡来人が来たことは遺跡や人骨などで確認は出来ても日本列島があることを知っていたかどうかは遺跡に残らないので確認できません。 難破して流れ着いた渡来人なら知らなかったかもしれませんし、漠然と新天地を目指してたどりついた渡来人もいたかもしれません。 また島伝いの交流で日本列島を知っていてやってきた渡来人もいたかもしれません。 いずれにせよどちらか一方には断じがたいです。
お礼
回答ありがとうございました。
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