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しっぽの哲学
愛猫を見ながら、ふと、猫ちゃんの気持ちについて考えてみました。 ご主人様にしっぽが無いから、猫のことをすごい誤解して付き合っていたのではないかと。 そして、猫ちゃんの気持ちを理解するには、しっぽが無ければだめだと思いました。 そこで、もし、人間にしっぽがはえていたら、哲学や思想に対しどんな影響や発想が生まれたと思いますか? 人間の持っている五感が世界に対する認識の枠組みを決めるように、しっぽの生えた身体が思考に及ぼす影響にはどんなものがあるでしょうか?
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根拠無いです…。 「尻尾があれば」という質問と同時に浮かぶものとして「どうしてお尻の上に尻尾があるのか」という疑問にもぶち当たります。脊髄の延長としての尻尾だったのではないか、というような気がします。 「尻尾でのコミュニケーションの代わりに我々には「ことば」がある」なーんて聞いたことあるようなきがするのですが、強ち間違いではないと思うんです。 大脳の進化と共にその脳内組織は脊髄から引っ張ってこなければならず、脊髄からそれを引っ張る過程で尻尾は段々と脊髄に吸い取られていって、やがては姿を消したのではないかと思います。 全くの推測なので、保証はできませんが、尻尾の場所から考えるとそんな理論があっていいかと…どうでしょう? それにしても、尻尾あれば椅子が要らなくなるので痔の問題は無かったでしょうね(何故)。
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何もかも変わってしまうでしょうね! 身体のバランス感覚が飛躍的に増すので、体操競技など、ウルトラEの連続。 「ロシアのバラニャーニャ、すばらしい尻尾さばきで、またもや10.00のオンパレードです!」 それからボディランゲージが、デリケートかつ高度に発達しそう。 お見合いの席では、男性は相手の女性の顔よりも、尻尾の動きをちらちら見ます。しなっとへたれていたら、まず脈なし。 ぴんと突っ立っていたら、これは明確な拒絶。そわそわと、落ち着き無く宙を泳いでいたら、大いに脈あり。 シッポちゃんの動きで、相手の心も手に取るように伝わるので、心理学や、抽象的な哲学は衰退するかもしれません。あるとしても、きわめて明瞭で実際的な哲学。その魚は食べられるのか、られないのか。 その一方で、シッポに関するボキャブラリーは豊富になります。 「じぶんの尻尾の振り方ぐらい自分で考えろ!」(身の振り方) 「まだあげそめし尾の先のりんごの下に見えし時」(文学表現) 「まだてめぇのしっぽを短くし足りねぇのか!」(某組長のお言葉) 「もう詰める尻尾がありやせん」(同組員の返答) 「しっぽの先がちりちりといてつくような寒さだった。私は、自らを奮い立たせるように、一振りふた振りすると、見渡す限りの白い世界に、歩を刻んでいった。」(文学表現) ・・・ しかし、実のところを言えば、日本人も昔はみな例外なく尻尾を生やしていました。その名残が今もことばの中に残っております。 「人のふり見てわがふりなおせ」・・・ 今もなお、そこはかとなき懐かしさを、身体感覚として憶えます。
お礼
どうもありがとうございます。 御礼遅れて申し訳ない。 尻尾を丸めてワビにさせていただきます。 尻尾談義もここいらでお開きとさせていただきます。 ありがとうございました。
- hiepyon
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7ですこんばんは。 金魚のお話でふと、昔考えていたことを思い出しました。ちょっと脱線しますが。 生き物って人生のスピードがそれぞれで異なっていると思うんです。基本的に人間でも、蚊でも、自分の中での世界の移り変わりの速度とその期間(寿命)は同じだと思うんです。犬や猫だと10年くらいが寿命でしょうか。よく「人間で言うと」と言いますよね。それってホントで、それだけの人間より早い人生スピードでそこまでやってきたわけだと思うのです。猫ちゃんとか、逃げるときは人間でも叶わないくらい早いスピードで走っていきますが、実は人生スピードで考えると猫の足は恐ろしく遅いわけで、もし猫の人生スピードと人間のそれとを同じにすると…気持ち悪いですね(笑)。 そのスピードは決して変わらないと思うのです。ですが人間はそれを変えようとしています。人間で「人生80年」とか言われますが、そのうち「人生160年」とかいうスローガンが出てくるかもしれません。人間の大脳の発達の恩恵ですね。 それから考えると、大脳を与えられた代償として尻尾を失った人間は大変「もう獣」、もとい「儲けもの」なんですね。
お礼
毎度有難うございます。 象の時間, ネズミの時間てやつですね。 しかし,家畜された動物は野生動物よりもえてして長生きするようです。 たまーに, 飼っている金魚や亀, 犬や猫がご長寿をまっとうすることもありますな。 みずからを家畜化した人間は, どこまで長生きするのであらうか?(もう獣から, モー家畜?) 象の時間, ネズミの時間に従えば,とてつもなく巨大化するか, 極端に脈拍を遅くすれば, 仙人のようになれるのかしら。 そういえば, この法則は哺乳類以外には当てはまらないそうで, そうすると人間は何類なのかしら…? ある種類の木のように寿命の無いものは, 条件さえ良ければ平気で何千年も生きよる。 人生1000年にしたい人は, 縄文杉やバオバブのやうな生き方のために尻尾ではなく, 根をはやすのかしらん。
- hiepyon
- ベストアンサー率14% (9/61)
7です。 母にこの質問をぶつけてみました。 すると「体が重いサルが木に尻尾でぶら下がってたらちぎれたのよ」と恐ろしいことを言っておりました(笑)。 でもこう考えることが出来ます。 仮にちぎれたとしましょう。するとそのご先祖様は尻尾を使えないです。不便です。で、どうしたか。やはり手足を使った、ということでしょうか。手と足で筋肉の割合はどの動物でも足のほうが強いと思うので二足歩行が可能になったのかなぁ、と。 そして尻尾が脊髄の延長だったとするとそれまであった物質は頭(前頭葉)に残るようになり、それによって言語など、現在人間しか出来ない様々な機能を持つことが出来たのではないでしょうか。尻尾がなくなったことによる後天的な機能ではないかと思うのですが…。 縮むのは変ですので(他の動物もそうなるのでは、と)この極端なものも否定は出来ません。 話は変わりますが、良くワンちゃんが自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回っているのを見かけます。やはり自分に尻尾があるのに納得がいっていないのでしょうか。人間が羨ましいのかな?バウリンガルでも答えは返ってこないでしょうが…。
お礼
ありがとです。 ふと思いました。人間は足の指も満足に動かせないのに, ましてや尻尾などあっても持て余してしまうかもしれないと。 最近,なんば歩きなどの身体に関する興味が高まっているようにも思います。 塩田剛三(植芝盛平の弟子)という合気道家は,金魚の動きを参考にして瞬発力を身につけたようです。 水槽を叩いたときに金魚はどんな動きをして,どう避けているのかと。これを8年間も続けた。 尻尾をはやす前にもしかしたらできる事が山ほど残っているのではないかと思い始めてきました。 今の私に尻尾があっても持って余してしまうかもしれない。それならば, 四足で歩くことからはじめようではないかと?
- sowow
- ベストアンサー率20% (18/90)
すばらしい疑問ですね。 「立ち読み」が楽になるだろうなとか、 売店のおばちゃんとかもだいぶ楽だったろうなと 思うと惜しくて仕方ありません。 何でしっぽなくなったンだ? 二足歩行ならむしろあったほうがいいだろうに・・。 恐竜とかカンガルーが羨ましい。 ひょっとして、こんな考えの「根性無し猿」がしゃがみ始めたからしっぽは退化してしまったのか? すいませんでしたm( _ _)m・・BadCompany様。 やっと本題。 思考にですか?うーむ。 人間のことだからまず間違いなくコミュニケーションに利用したでしょうね。 ほとんど生命維持に関係なさそう(ジャングルジム死亡率は下がります)なんで、かなりの多様性をもっただろうと予想できるようにも思います。 さらに身体の感知可能空間というか「自分の空間」が広がるとおもうので・・・ 「前へならえ」が無くなる。とか? 思考じゃないですねスイマセン。思いつきません。 実写ドラゴンボールの情報めっきりすね・・・ まあほとんど諦めてますが。
お礼
ありがとうございます。 しっぽ便利ですよね。 ただ、売店とかでシッポ万引きが流行りそうな気もします。シッポすりとかも現れそうで… もしかして、しっぽがあると手先が今よりも器用になる必要がなくなってしまうのかも。 しっぽコミュニケーションを考えると、挨拶とかはしっぽでやりそうですね。 シッポコミュニケーションがあることで、野生時代の記憶が維持され、大規模な争いとが発展しにくい社会になるといいですね。 おれたちシッポがあるのに戦争している場合かと。
補足
しっぽのある動物を理解するためのいしずえにでもなればいいな、という考えからきた質問です。 ですので、どんな回答でも喜んでお待ちしています。
う~む、神に似せて人間を作ったことを信じれば、 幸運の女神に、後ろ髪はなくとも、しっぽがある。 あくせく競争する必要を感じなくなるのかも? それともただ単に、豊かなバストと同様に、嫉妬や羨望、妄想の種が増えるだけかも? >猫ちゃんの気持ちを理解するには、しっぽが無ければだめだと思いました。 猫が大好きなんですね。
お礼
ありがとうございます。 神に似せるとありますが、猿と人間の遺伝子の違いなんてほんのわずかだと聞いたことがあります。 ちょっとした違いが、多様な生物の世界を生み出している。 群盲象を撫でるのたとえの様に、神様の色々なところを撫でて、生物はできてるのかしら。 人間の想像した恐竜の進化した形には、しっぽが無かったように思います。 しっぽの喪失は進化の必然なのかしら。 もし、進化の過程でしっぽのある祖先様が生き残っていたら世界は変わっていたかもしれませんね。 そういえば、チンパンジーやボノボ、ゴリラには、しっぽがありません。 どおりで、やつらの悩みが分かるわけだ。 猿学はしっぽのない仲間の話だから共感できるのであらう。
- 1511
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「背面、背後、後ろ」とかいった観念が、(今と)ちがってたかもしれない。。 信頼や、信用とかに(今の人間より)こだわらない生き物になってたとか?
お礼
ありがとうございます。 犬や猫の種類には、しっぽの無いものもあるようです。 ということは、しっぽの無い猫や犬は人間と同じような、しっぽの喪失に伴う哀愁をおびているのに違いないと、確信しております。
【そこで、もし、人間にしっぽがはえていたら、哲学や思想に対しどんな影響や発想が生まれたと思いますか?】 こんばんわ……・もし?しっぽがあれば、 「あのとき…無花果の葉で隠さずに しっぽで隠したかも?」 ******* ******* ******* 「(しっぽがあるのに)なぜ?角は ないのか…。」 ******* ******* ******* {人相、手相、しっぽ相。} 「しっぽに ピアスの穴を あけると運命が変わるか?」 ******* ******* ******* 【人間の持っている五感が世界に対する認識の枠組みを決めるように、しっぽの生えた身体が思考に及ぼす影響にはどんなものがあるでしょうか?】 もし? しっぽに 第六感のレーダーのような作用があり、今の人間よりも 直感力が優れていたとしたら、 「おろかな争いごとなどは起こらず、わたし達は、今頃 四次元存在で 五次元のことなどを 云々しているかも…ね。」 ユニークな質問を…ありがとう御座いました。
お礼
ありがとうございます。 中国には、有尾人の村があるようですが、多分しっぽはそんなに長くないのかな。 豊臣秀吉は右手の親指が一本多い多指症であったがゆえに、天下人への野心も生まれたのであらうか。 我輩にしっぽがあれば、間違いなく天下をとったであらう。しっぽマイノリティー代表として。
もしも尻尾があって、犬の様に左右に振っていたら嬉しいとかの感情が素直に出てしまうものならば、思考は変わるかもしれませんね。 尻尾は衣服の中に隠せる様になり、sexの様に裸になる事の別の表現が出てくるかもしれません。 しかし、もともと人間って顔の表情とかでも感情がある程度わかったりするので、尻尾が出ていてもそうかわらないかもしれませんね。
お礼
ありがとうございます。 そういえば、しっぽアニメ?のドラゴンボールが実写映画になるそうですが、しっぽは無いのかな? 我輩に、もし、しっぽがあれば、後ろを向かずに物を取ったりできて便利だと思うのですが。
- MetalRack
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尻尾はありますよ。 今は、退化して外からは見えないだけです。 しっぽの名残の骨だけが残っています。 従って、しっぽがあった時代の意識も潜在的に持ち合わせています。 心配は無用です。
お礼
ありがとうございます。 うちの猫は、しっぽをばしばし壁とかに叩いて何らかの合図を送ってきます。ご主人様は当惑気味なのです。 何とか猫の気持ちと言うか心意気に答えたいと。 私のイマジネーションではしっぽのはえる段階にはいまだ至っておりません。
お礼
ありがとうございます。 ご先祖さまを辿ると, ウナギのやうな脊椎動物から派生したのが, 今の人間様のようですな。 確かに, おっぽのはえた猿と比較して, おっぽのはえていないゴリラやチンパンジー, ボノボなどは明らかな差異が見られますね。 それが何なのかは私にはうまく説明できませんが, チンパンジーを見たときと普通のサルを見たときでは明らかに異なる印象を受けるのは確かだと思います。しっぽのないものへの共感かしらん。