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認識論は哲学ではない
- 認識論は単に漬かろーとする心から自然に生まれるものに過ぎず、哲学とは呼べない。
- 認識論には思想や理念がなく、何一つ価値ある答えやものを生み出さない。
- 認識論は長年にわたり哲学の進歩発展を阻害し、本来あるべき哲学を蝕み退化させた。
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質問者が選んだベストアンサー
言い換えれば、「存在は存在するのか?」というのは 哲学ではない、という事ですが、それは確かに哲学はありませんが、 また、認識論でもありません。 質問者の先の質問であった、「自己は存在するか?」「心は~」という 疑問は、質問者の行っているような「存在」という言葉を先入化して、 それを評論することではなく、どのように存在しているのかを分析する ことで、対象の存在性を確定する志向であり、それゆえ、哲学から 科学へと重点が移ったのです。 そして認識論とは、そうした分析行為そのものを対象に、さらに分析 する事で、その「存在性の確定」に何らかの作用がある、という立場です。 それが「何も生まない」というのが、物質的な生産性に寄与しないと いうであれば、それはそうかも知れませんが(科学的な側面に於ては それにも寄与していますが)、物事の認識を深める上において、 それ自身が成果であり、何をもって「無意味だ」と言っているのか 理解できません。
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- CatwalkPoison
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価値の度合いは相対的に変わりましょうけれども、 意味を与えられていない言葉はその存在を知らしめてくれません。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 生きること 生きていること ともに生きること これが哲学です。 おにぎりを食べて共生をはかることが 哲学です。 おにぎりが それを食べるとからだの維持向上にどうはたらくかを知ること そしてあぁうまいという遊びをも交えておにぎりの科学を知っておく《認識》行為は 迂回生産です。 哲学のための準備作業です。 ヒトは死ぬと知り この死したがって生について知っておく認識はやはり 哲学の迂回作業です。 認識論(つまり迂回作業)一辺倒は あなたも同じぢゃないの?
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
ANo.3:罵詈雑言を浴びる羽目になりましたね。 人の道さんが、何何は哲学ではないとか、なんとかいうのと同じように私を含めるかどうか、他の人は人の道のいっていることは何か意味があるものかね、という人もいるよね。 そして私はどうもデカルトもギリシャとか以降の西欧、欧米の哲学の成果と手法ってもともと無意味だと思っていまして。 その繫がりがあるかどうかは別にして人の道さんのも、あまり真剣性が感じられませんで。 西欧、欧米の方々の疑問やその追及は面白いが、態度と側面そして成果結果は馬鹿らしいとしか思えないですね。 だから西欧、欧米の哲学が課題を失い役割がなくなっていくのは当たり前だし、そんなことは哲学の問題にもならないと思っています。 私の場合は人の道さんの認識論っていうているものはどいう結論でもいいのです。 モグラがいたちのやり方をどうこういっても何にもならない。 鶴が亀にそんなもの食ってしょうがない奴だっていっても始まらない。 そういうたぐいのことなのかと理解したのです。ではこれにて。
お礼
>私の場合は人の道さんの認識論っていうているものはどいう結論でもいいのです。 まー、「人の道」のゆーことなどどーでもえーことで、気にせんでえー。 わしも最近そ~思うておるんや。 あ~、
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
はぁ自己の哲学から、自分ではそういうのを哲学としてはやらないという結論内容としている哲学もあるんでしょうね。 しかしそういうのを哲学とする、世界と手法もあるんでしょうね。人の道さん、それはしょうがないですよ。 私はどちらもありえるし、どちらもそうではないだろうと思いますし、そういうようなことでどうしようもないばかばかしいのもあるし、読んでいて面白いのもありますね。
お礼
どーしよーもないばかばかしいを通り越し、哀れを感じると言えば理解できよーか。 あ~、
- 来生 自然(@k_jinen)
- ベストアンサー率30% (80/261)
??? おっしゃっておられるのは、認識論ではなく、存在論では?
お礼
「人の道」はゆーております、形に拘るのは愚かであると、 あ~、
お礼
あ~、