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哲学の功績は?

私は当初、自分が生きる意味は何なのか?そもそも自分とは何なのか? という疑問にある意味で耐えられなくなり、意志薄弱になり、というかその問いが解決しない限り極度に不安定な状況がこのまま続いてしまうという不安から、私にとって未知の学問であった哲学にその答えを求めようとしました。そして一通りは勉強したつもりです。ですがどうでしょうか?哲学の考え方は、私の予想を良い意味で裏切り、とてもロジカル、論理的なものでした。しかし、プラトンやデカルトが挑んだ問い、私とは何か?私とは何を知り得るのか?何者なのか? という問いに対して、哲学は何の確固たる答えを導出できなかったと私の眼には映るのです。途中まではとてもロジカルだった、ただ肝心の“答え”が出せてないという私の認識は間違っていますでしょうか? このように哲学という学問のプロセスは評価できるけども、“答え”を出せていないなら、私はこのまま哲学を学ぶ以前と同じ極度に不安定な精神状態で過ごすしかないのでしょうか? 哲学者の考えが政治思想や経済思想に与えた影響・功績はここでは別問題とさせてください。

みんなの回答

  • HANANOKEIJ
  • ベストアンサー率32% (578/1805)
回答No.9

あなたが、働いているのでしたら、現代の日本で、資本主義経済の一部署を担当しているわけです。 学生でしたら、将来、就職するか、独立して、自営業か、農業、林業、水産業に従事するか、 いろんな進路があるでしょう。 答えは、すぐそばにある、というのが、わたしの到達した、答えです。 http://www.nhk.or.jp/kokokoza/ http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/index_2010.html 答えは、これらの学問のなかにあります。 http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2010/radio/r2_syakai/ http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2010/radio/r2_rinri/ http://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/2010/tv/chigaku/ 宇宙は、138億年まえに、ビッグバンから始まり、超新星爆発を何回か繰り返して、 46億年まえに、太陽系の中に地球が誕生して、38億年前に生命が誕生して、 途中で途絶えることなく、命(DNA)のバトンがつながって、現在の地球の生物多様性が あるのです。 答えは、すぐそばにありますよ。ご両親が、あなたを育ててくれた。もうすぐ、あなたが、 子どもを育てる番です。働いて、仕事をするのです。 こどもに、何を伝えますか? 地球は、自転しながら、太陽の周りを公転しています。地軸が公転面の垂線から23,4度傾いている おかげで、日本には四季があります。 46億年で、太陽の周りを46億回も回転しているのです。1日に一回自転しながら。 つまり、地球は、静止しているのではなくて、回転運動をずっと続けてきて、これからも、 数十億年続けていくでしょう。物質の自己運動です。 人間が、自然を支配するのではなくて、地球の自然を、ちょっと借りて、80年ほど、生活させてもらうのです。 その間、なるべく、自然をいじらないこと。むさぼらないこと。自然の恵みに感謝することです。 人間の体は、60兆の細胞でできているそうです。正しい食事と、正しい呼吸をすると、活力がわいてきます。 答えは、すぐそばにあります。

noname#150036
noname#150036
回答No.8

それぞれの人生には,それぞれ関わらないほうが良い事 もあるらしいです. 量子論において波動力学を立ち上げたシュレディンガー は晩年,量子論についてこう語っています. 「私はそれが好きではないのです.それに関わった事を 悔やんでなりません.」 これは,≪観測されない物は無いに等しい≫とする当時 の量子論に虚しさを感じての言葉だそうです. ゲーテは,人生について,こう理解したのだそうです. 何十年も探求した結果,やっと答えを見つけた. その答えが「我々人間は,結局何も知り得ない」 ということだ. 人の道は,このよーに ゆーた. 宇宙には始まりも終わりも無い.厳然として無限なんや. 宇宙がいつ終わるうゆーことなんぞ心配せんでもえー. あのなー 一生懸命働いて 腹いっぱい飯食うてみい. それが最大幸福っちゅうもんなんや. よろしければ参考にしてください.(。・ω・)

  • populajp
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.7

 「答えが出せない(かもしれない)、だからこそ追求し続ける」のが哲学のようです ---- 哲学者や哲学志向の人は、自分のことを「哲学病だ」といったりもします。  nisihigasi_6 さんもそれにちかいようですので、哲学者に向いている、そうでなくても哲学志向が充分ある方と思います。  私は哲学者でも、哲学志向でもありませんが・・・、数学や科学における論理展開でも分かるとおり、ある概念が「正しい」ことを立証しようとすれば、『既に「正しい」ことが分かっている概念を、「正しい」論理で構築できることを説明して行く』しか手立てがありません。  哲学は「何だって疑える」ところからスタートすると思っています(つまり「在るということ」「真ということ」「正しい」ということが何なのか、を考えることから始まっているようです)。  つまり・・・  論理とは関係なく、何かの方法で、普遍的に「正しい(真の、存在する)」根本原理が見つからない限り、どんな概念、現象、実体でも、それが「正しい(真、存在する)ということ」を立証する方法は、あり得ないように思われます。  しかし、そんな「何かの方法」があるのでしょうか?   今は見つからないが、いづれ見つかるかもしれない、というのが哲学志向の基本ではないでしょうか。 <結論>  nisihigasi_6 さんな哲学志向のある方とおもわれます。独りで悩まれないことをお勧めします。  哲学塾など、哲学志向の方が集まる場所がありますので、ご参加されたらどうでしょうか。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.6

それとこれとは違うと思いますよ。 哲学的な答えがあるかどうかと貴方の精神的不安定さとは別の話でしょう。 答えよりもなぜそのような問いをするのか、のほうが貴方にとって100倍重要ですよ。

回答No.5

 答えがない、というのが答えなのではないでしょうか。

回答No.4

 こんにちは。  ★ そもそも自分とは何なのか?  ☆ 《私は・・・》とおっしゃっているように 《わたし》と自称しているその人間としての存在 これが《自分》であり《自己》であり 《わたし》です。  自己同一性というくらいですから 《わたしは わたしである》。  あるいはまた《〈わたしはわたしである〉わたしが わたしする》 これが 次の問いの答えにもなります。  ★ 自分が生きる意味は何なのか?  ☆ わたしは みづからをうんうんとどこまでも推してあるき あるきつづけて生きます。そのこと自体が 意味です。  ★ 私とは何か?  ☆ 《わたしがわたしする》を ときにあやまちをおかしたならつねに《われに還る》ことを繰り返しつつ どこまでも重ねて生きます。  もし《わたし》が 数として《一》であるとすれば――それは《全体》を意味する《一》でもあるのですが―― こうなりましょうか。    ・ わたしは わたしである。: 1=1   ・ わたしが わたしする。: 1x1=1   ・ つねにわれに立ち還る:1x1x1x1・・・x1=1  すなわち 1^n=1 なる存在として生き この連乗積を生き続け そのように自己の冪として生き切ります。これが わたしであり 人間です。それが 基本の存在でありその意味であり ほかの意味づけはもしあったとしたなら おまけと考えればよいでしょう。  ★ 私とは何を知り得るのか?   ☆ たいていは ほかの人間とどんぐりの背比べだということを知り得ます。  ★ 何者なのか?  ☆ あなたご自身にたずねてみてください。どうでしょう? これが こたえです。  * そうですね。たとえば《引き受ける》という契機を持つとよいかも知れません。こんなおれでも おれはその自分を引き受けて行こうかというきっかけです。そうすると 家族や身の周りの人びとにも したしみが湧きます。共生というところが 人間にとっては みそなのでしょうね。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

人間は特別な存在ではありません。 神が己に似せて創った訳ではないのです。 人間にだけ理性があるので、不思議だ、特別なんじゃ ないか、と誤解しがちですが、そんなことはありません。 進化の加速性という考えから言えば、人間など 特別な生き物では無いのです。 喰って寝てHして、子孫を残して生ゴミになるだけです。 他の動植物と同じです。 人間に生きる意味があるというのなら、他の動植物、 豚にも、ミミズにも、ブロッコリーにも、キャベツにも 大根にも生きる意味はあるはずです。 哲学とか思想てのは、そういう人生じゃ面白くないから、 こういう考え方が、あるよ、というだけに過ぎないのです。 色々ある考え方の中で、自分にぴったしの考え方に 出会えれば、回答を得たことになります。 出会えなければ、回答が無かったことになるだけです。 だから。 自分にぴったしの考え方に出会うまで勉強を続けるか 自分で、新しい考え方を創出すれば解決すると思います。

回答No.2

哲学は、世界を理解する一助であって、全てではありません。 物理や生物学、歴史などを学ぶことで、ジグソーパズルの パーツは集まって、世界像を描き出すのです。 分析的実験器具や観察機械のなかった昔は、宗教が哲学や 科学を兼ねていた=何でも全知全能の神に依拠していた時代 があり、そこから分析や観察の充実において、哲学や科学が 独立してきたのです。 存在の起源について知るには、かつて宗教ではなくなったように、 もはや哲学だけでもなく、物理が必要です。 しかし、その還元主義によって生きる意味も分かるかといえば、 哲学的洞察が必要です。 「認識=世界とは、自我仮説と時空仮説の相補分化であり、 全ては、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った) 補完なのです」と言った場合、前段の妥当性の理解には最新 の物理が必要であり、後段は哲学(科学思想)に属します。 「哲学を一通り」では不十分ですし、それが無意味でもありません。

  • askaaska
  • ベストアンサー率35% (1455/4149)
回答No.1

数学で解の方程式により二次関数の解を求めるのと同じで 哲学っていうのはこの世の在り方を求める学問よ その手法が人によって違うの ちなみに数学っていうのは この世界を数式で表そうとする学問よ そう、もともと数学は哲学の1つだったの って哲学を学んできたあなたには釈迦に説法だったかしら 哲学を学ぶっていうのは 過去の人たちが見つけた 「考え方、導き方、思考方法」を学ぶってことよ 答えを得る学問じゃないわ 答えを見つけるのはあなたなの 学んできた手法を持って頑張って見つけるの それでも見つからなければ自分なりの手法を開発してもいい そして見つけたときが「悟る」てやつよ

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