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国栄えて哲学滅ぶ?
古代ギリシアではあれだけ華々しい哲学の花が開いたのに対し、古代ローマでは土木・建築などの実学的な学問が重んじられ、哲学は軽視された――かつて学んだ世界史の教科書にこんな記述があったような記憶があります。 パックス・ロマーナ――古代ローマ帝国の繁栄がこの言葉によって表現されることがあります。そして、パックス○○と名の付くものは、その後、パックス・ブリタニカやパックス・アメリカーナなどがあります。ところが、これは私の無知や認識不足なのかもしれませんが、パックス・ブリタニカやパックス・アメリカーナにおいては優れた哲学が生まれていないような気がしますが、実際はどうなのでしょうか? これはとんでもない誤解なのかもしれませんが、国が栄えると哲学が冴えなくなる、逆に言えば、優れた哲学が生まれるには例えば国や国民の生活が危機的状況にあることとに、何らかの因果関係は存在するのでしょうか? 今まで歴史を勉強したことはありますが、こんなことはどこにも書かれていませんでしたし、誰も教えてはくれませんでした。それともこれは単に私の無知ゆえの誤解なのでしょうか?
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質問への答えは、これまでのみなさんとさして変わりません。悩みが大きかったり深かったりする社会や時代の方が、人間とか世界とかのことをよく考えるようになるから、哲学は発展する、ということだと思います。 質問者の再質問に僕の考えや知ってることを書きます。 >唯物論哲学も観念的なのでしょうか? NO.3の方がどういう意味で「観念的」という言葉を使ったかを正確に理解していないかもしれませんが、たぶん、「抽象的」と同じ意味で使ったのではないでしょうか。僕は唯物論者なので、そういう言葉を用いているのを承知しながら読んでいただきたいのですが、理論とは複雑な現実を理解するために、その現実の本質をなす部分をやや単純な模型にするものだと思います。だから、理論そのものは現実には存在せず、現実を抽象したものと言えます。そして、哲学は人間の精神を対象にしてますから、それを説明・解明する哲学は、含蓄豊かな概念を用いて、抽象的な論理を複雑に展開するものとなります。抽象と観念は、類義語とはいえますから。 そういう意味でとらえるのならば、唯物論哲学も「観念的」と表現しても間違いではありません。近代の唯物論の代表とされるのがマルクス主義ですが、「マルクス主義は観念的だ」と言われることがあるのは、むしろ「実際には観念論じゃないか」という意味で、ちょっと意味が違います。 >かつて唯物論vs.観念論みたいな論争があったような気がするのですが…。 デカルト以来の近代哲学の伝統として、物心二元論があります。人間や世界は物質と精神との2つでなっている、というものです。唯物論とは、物質が初めにあって、そこから精神が生まれると主張し(物質→脳→精神)、観念論はその逆になります。 マルクス主義の衰退とともに、唯物論は旗色が悪くなって、こういう論争もほとんど行われなくなりましたが。 その前に書いた「マルクス主義は観念的だ」というのは、ありもしないユートピアを求めるなんて、「最後の審判」とか「極楽往生」といった、あるかどうかわからないことを信じる宗教と変わらない、という批判です。 >「正法、像法、末法」というのは具体的に何でしょうか? >次に、「縁起の理法」というのは何でしょうか? これはいずれも仏教用語です。No.7の回答者は仏教に詳しい方ですね。 「正法」は、仏の教えが実践されるいい世の中。「像法」は、仏教が行われているんだけど、形骸化して成果が得られなくなる世の中。末法は、仏教が廃れてしまった悪い世の中、という意味です。日本史で出てくる末法思想というのは、1052年に末法の世になって、乱世になるという考え方のことです。 「縁起の理法」とは、No.7にも書いている通り原因結果の法則のことです。つまり、因果律と同じことなんですけど、因果律というと、原因→結果という単純な関係のイメージが強いんですが、「縁起の理法」という場合には、複雑なことが複雑な因果関係によって複雑な結果になるというような意味合いが込められています。
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- kuroh
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困難な時代は考えることが多い。平和な時代は表面的なことに流される。おそらく現代を念頭において質問されているかと思います。しかし、平和な時代も子育てなどは苦労です。考えることは多い。生活苦、病気、死。親しいものが苦しめば、自分も考えることが多い。平和は浅い意見が蔓延する。そして世の中が困難な時代になる。そして真理はのこり、うそは消えてゆく。 平和な時代だと真理よりも都合の良いうそのほうが受け入れられやすいのかも知れないですね
お礼
同感です。例えば高度経済成長期にあった終身雇用、年功序列制。今ではほんの一握りの会社を除けば、現代はそれらがその時代の単なる幻想であったとしか思えません。
- hw4183
- ベストアンサー率17% (15/86)
ご参考までに、 あなたはロックフェラーの持っていた哲学をご存知でしょうか?ビルゲイツはいかがですか?日本では松下幸之助さんの残した物を勉強なさってみた事がおありでしょうか?(西田幾多郎さんや内村鑑三さんなど多くの哲学者、宗教者などの影響をうけています。) その他たくさんの経営者の中にも真理の実践によって、(哲学の実践)によって世の中を繁栄させてきた哲人がたくさんいらっしゃったのです。 机の上で難しい文法と単語を駆使しながらああでもない、こうでもないと論ずるばかりが哲学ではないと思います。哲学を狭い意味での歴史論とすることなく、生きた実践論として各自一日の生活のなかで活かしていくべきとおもいます。 >国が栄えると哲学が冴えなくなる、 というよりは 国が栄える時は、宗教なり、哲学なりを実践している人たち、高みを創る秀でた哲人たちが活躍しています。抽象的で形のない、偉人の教え、考え方を思考を繰り返すなかで、実践経験を繰り返すなかで素晴らしい真理を掴み取り、世の中に還元しています。 思想の高みは国を繁栄させています。素晴らしい文化を創り、国民が最大の幸福を享受します。 言葉は違いますが、思想には真理と同じように、正法、像法、末法、があり時間の流れの中で思想自体が変化変転し衰弱しやがて唯物論の急先鋒として活躍し始める事もあります。(これは認識できない理解できない事を自分の認識の範囲によってしか説明できないからですが) 思想が高まり広まって国が発展し、時間と共に廃れていくのが、動かしがたい原因結果の法則、縁起の理法と思います。
補足
前半は思わずなるほど!と膝を叩いてしまいました。 後半の最後の段落部分は、私の不勉強で申し訳ありませんが、高度な内容で私の理解の範囲を越えていますので、ぜひ教えて頂きたいのですが…。 まず、「正法、像法、末法」というのは具体的に何でしょうか?日本史に出てくる末法思想(といってもこれもかなり昔に勉強したので、その内容すら忘れていて、名前しか思い出せないのですが)と関係があるのでしょうか? 次に、「縁起の理法」というのは何でしょうか?
- chikyuujinn
- ベストアンサー率14% (4/28)
まあ、学問と学習の違いでして、哲学というからには学問であり、学習過程での知識羅列或いは、知識の記憶等が 学問の本質なのではなく、むしろそれらを体系化して現代社会に於ける有用な世界観など思想形成の根幹部を見出す 摂理洞察に関わるものが哲学というものかと。 「広告的学問」とは、単なる知識の羅列を指し、コンピュータ・データベースにさえ及ぶ筈の無い浅薄な学習発表会のことです。
お礼
再びのご回答ありがとうございます。おっしゃること、とてもよく分かりました。
- pojipoji
- ベストアンサー率32% (53/161)
哲学は自分が生きていく為の世界の捉え方なので、個人が迷うことのない一貫した価値観が存在する社会や、一つの明確な目的がある時代は、新しい世界の捉え方をする必要もなく、時流にのった考え方をすればよいので生き方を論ずる必要もないかと感じます。 たとえば日本でも、衣食足り豊かになることが幸せへの道であるという捉え方がありました。学歴にしても勤勉にしても、その捉え方の中で多くの人は迷うことがなかったわけです。 しかし、目的が果たされてしまった時代や、従来の捉え方では目的とされる幸せが達成できない人が多くなれば、従来の世界の見方に疑問が沸き起こり、世界の捉え方、個人の幸せなどを再定義する必要が発生すると考えます。 その様な時代の変化を読み取るなかで、新しい世界の捉え方と、個人がいかに生きるかという問題を提示する新しい思想が起こるのではと考えます。 新しい考え方も、その時代の必要性によって生じたと思います。何となれば、思考する個人も、その思考の基礎において時代的制約を逃れることが出来ないと思われるからです。
お礼
とても分かり易く、かつ、説得力もあり、論理の道筋もきちんと通ったご説明だと思いました。どうもありがとうございました。 とすると、バブルが崩壊し従来の価値観が変容した現代の日本においても、というより、だからこそ、新しい思想・哲学の登場の必然性があるような気がします。
- chikyuujinn
- ベストアンサー率14% (4/28)
ふと、この質問で思ったのですが、世の中広告力が多分に威力を有する時代であり、この時流に流されて相当に地道な哲学が行われているのに、これが世間には知られていない。 特に哲学は地道な研究の積み重ねであり、明確な論理の蓄積が現代社会には反映しにくいのかも知れません。 畢竟、学問とは、特に哲学のような地味である宿命を背負った摂理追求とは裏腹に、現代では立ち止まって思考する余暇が希少な為に、ある種の広告的学問ばかりが”もてはやされている”ような気がします。 結論としましては、よく捜そうと思えば、必ず何処かに 陽の目を見ない学者がおられて、また、そういう人々にはこの現代との接点が見出し難いのかも知れません。 逆に考えれば、現代ほど哲学が前進している時代も稀なのかも知れません。 例えば、国語の成績をあげるには1年以上 は学習効果が出るのに時間がかかる。 このような時代なのでしょう。 マスコミの言うほど現代人は”なまけもの”ではない。
補足
「ある種の広告的学問」というのは、具体的にどのような学問のことなのでしょうか? 「広告力が多分に威力を有する」のは全くその通りだと思いますが、だからこそ、例えば広告とはそもそも何ぞやを考える学問だとか、メディア論の様な、広告を媒体するメディアが社会に及ぼす影響や役割を研究する学問が登場することもあるのでは、と思われますが、いかがでしょうか?
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
参考に 哲学の高みは精神的高みをもたらし、科学技術の進歩は物質的繁栄をもたらします。本来的には、この二つは比例していくべきなのですが、歴史的には反比例していますね。その理由は、哲学の本質にありますね。哲学は本来、観念的なものなのですが観念的過ぎると学問にはならないので哲学の高みができても時代を下ると一般に理解できる程度の実在的にさらに実証論的になっていくのですね。実在的にさらに実証論的に成っていく過程で科学技術と結びつきより論理的にに成っていきます。そして科学技術の進歩とそれによる物質的反映が哲学の本質を単なる論理、ロジックにしてしまいます。この時点で哲学の本質は死に絶えますね。科学は更に進み論理から確率に陥ります。こうなれば人間ではなくコンピュータや機械の哲学になり下がりますね。パックスロマーナやパックスアメリカーナが陥った先ですね。 ギリシャのプラトンに始まる観念論の最高峰は、時代をくだって哲学という学問が実証論的になってそのあたりがローマに流れ込んでいるのでしょう、そういう学問をベースにローマは空前の繁栄をしましたが哲学は死にましたね。再度、19世紀初頭にエマニエル・カントのドイツ観念論が登場しますねこれが近代史での哲学の最高峰ですね、同じように20世紀には実在論(サルトルなど)になりさがり実証論になっていまや論理から確率論ですね。実証論、論理・確率論の世界の繁栄がパックスクアメリカーナですね。哲学の本質は死んでますね。だから、「優れた哲学が生まれていないような気がしますが」はその通りですね。哲学が何であるかを考えるよすがもないということでしょうね。でも日本で哲学を考える人たちがいるということは繁栄と哲学の融合も可能かもしれませんね。しかしイデアや摩訶不思議観を含む壮大な世界を信じることができればの話ですね。
補足
申し訳ありません、私の理解力不足かもしれないので教えて頂きたいのですが…。 >哲学は本来、観念的なものなのですが 唯物論哲学も観念的なのでしょうか?かつて唯物論vs.観念論みたいな論争があったような気がするのですが…。 >科学は更に進み論理から確率に陥ります。 「確率」は数学の一分野で、れっきとした科学なのではないでしょうか? >20世紀には実在論(サルトルなど)になりさがり サルトルなどの実存主義はカントの観念論に劣るということでしょうか?私にはどちらも優れた哲学だと思えるのですが…。
- sinfonia
- ベストアンサー率42% (53/124)
一つ参考になればと思いまして。 私見ですが哲学者は同時に思想家であるとも言えると思うんです。 世相を言葉によって捕らえて、問題を指摘したりするような人ですね。 そうした人たちがクローズアップされるのは得てして世相が乱れたり “生き難い世の中だ”という意識が蔓延した時だと思うんです。 文学なんかもそうなんですが、学者の唱える言葉というものは 常にその時代を反映していると考えるので、仰るような国の盛衰に 比例して重視されたりされなかったりって言うのはあると思います。 国が不安定になれば、人々の精神的支柱としての役割の一端を 哲学は担っていると歴史的にみても言えるのではないでしょうか。 地中海の覇権争い・宗教改革・一次二次世界大戦・冷戦…と、その 時代時代の哲学者が浮かんできますし。 まぁ平和になっても哲学は滅びないと思いますが。 そういった傾向があるのはある程度言えることだと思います。
お礼
おっしゃる通り、決して平和になっても哲学は滅びないと思います。「滅ぶ」としたのはちょっと語呂が良かったので使ってみたのですが、言い過ぎでした。 とても説得力ある真摯なご回答に感謝しています。
- tkr1977
- ベストアンサー率20% (80/395)
こんばんわ。 「国栄えて哲学滅ぶ」 私も聞いたことないですが、国(文明)が栄えて平和な状態が続くと、確かに哲学は進歩しないかもしれませんね。 「哲学」ってある命題(問題・テーマ)について自分なりの考察を重ね、それを「証明」することですよね。 ということは、重要な命題・火急の命題が存在しなければそう言う状況に陥るかもしれませんね。 国(文明)が栄えて平和な状態が続くと、哲学よりも科学の進化が進むのは必然かもしれませんね。 (もっと検証が必要ですが。。。)
お礼
世界史(文明の歴史)と哲学史との因果関係をかなりおおざっぱな視点で仮説を立ててみたのですが、真正面からご回答頂きとても感謝しています。
お礼
とても分かり易いご説明でありながら、決してレベルを落とすことなく、論理の筋道がきちんと通ったご説明を行って頂き、大変感謝しています。 kennyanさんが唯物論者であるということから、実はお伺いしたことがあるのですが、それはまた別に質問項目を立て、一旦この質問は締め切ることにしました。その節はぜひよろしくお願い致します。