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 哲学ってなんですか?

 哲学とは何なのでしょうか? 既出だとは思いますが、検索しても見つからなかったので、あえて質問させて頂いていますわ。  gooより抜粋させて頂きました。 哲学:世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。もと臆見や迷妄を超えた真理認識の学問一般をさしたが、次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される。存在論(形而上学)、認識論(論理学)、実践論(倫理学)、感性論(美学)などの部門をもつ。  詳しく書いて頂けると、とても嬉しいのですが、私も本気で質問していますので、本当に納得のいった回答のみ、お礼や補足をしたいと思います。

みんなの回答

回答No.8

 質問を質問でかえすようですが…まずはじめに、「思想と哲学の違い」はわかりますか?  両方とも同じ"考える事"を意味するのはもちろんですが、まったくの別物です。インターネットに限らず、哲学を掲げる際に勘違いをしている人が多いのは、辞書にもあるとおり… >臆見や迷妄を超えた真理認識  …であるという事です。"思想"の場合は、そのときの気分や宗教のみを根拠にして、自由に"考える事"をしてもOKです。思想という言葉の中に哲学は含まれます。  しかし"哲学"の場合は、厳密な理論を要求されます。数学や論理を基調とした、誰にとっても同じ答えに向かう事を、目指す学問です。  哲学を語る上で重要なのは、数学です。哲学の難しい本を開くと論理式なり定理が出てきます。数学は、哲学者の気分によって、定められた定理が変化したりする事はありません。  厚めの哲学入門の本を開くと書いてありますが、紀元前に生まれた哲学者プラトンは、数学の定理をもとに、世界を認識しようと試みています。人々の思想は100年たてば変わるかもしれませんが、数学の問題が100年たっても同じ答えになります。現代思想のコーナーに行くと売っている、少し前まで流行っていた(今も流行っているのか?)構造主義という哲学も、基点は現代数学を根拠に論理展開しています。  もちろん中には、数学に頼る哲学に限界を感じたり、哲学を語る媒体である"言葉"に疑問を抱いた人もいて、哲学史を覗けば色々な哲学者どうしのやり取りを垣間見る事が出来ますが…  基本的には、今分かっている事実を基調として、綿密な真理を導く試みをしてきた学問です。数学は、誰が解いても解き方さえ間違わなければ、同じ解答になります。  数学や論理学を利用した哲学も同じで、誰から見ても正しい解を、憶測や想像などの心情のみを排して、導く試みです。  学校で習う哲学は、いわゆる哲学史で、哲学の歴史です。この"哲学の歴史"という視点で捉えた哲学者はヘーゲルという人です。つまり今の"哲学"は、ヘーゲルの言う思想の"集積物"を捉えたモノが原点となり、今の学問となり、哲学と日本語で呼ばれるようになったそうです。("哲学"というふうに日本語に訳した人は、たしか福沢諭吉です)  最後に私はが思う事ですが…  理屈が間違っている合っているに関わらず、普通の人が"哲学"を口にするならば、最低でも「"誰にでも同じ真理"に行き着く」の思想である、という認識を持っていて欲しいです。

回答No.7

「考える」ことについて考える学問です。 例えば最近「金で買ないものはない」と言った人がいましたが、 その「考え」を様々な角度から捉え、普遍的か否かを立証していくのが哲学の役割です。 形而上学や倫理学、美学などは、この「様々な角度」の分類になります。 小さな子のナゼナゼ責めってありますよね。 あれはとても哲学的な姿勢と言えるかも知れません。 形而上学なんかだと「足が四本」というだけで、ゾウさんと椅子の何が違うのか、 真剣に考えたりします。「そんなモン、見りゃ分かるだろう」と感じるのが 世の常かとは思いますけど、それに疑問を持つ人が哲学を志します。 「なぜ人はゾウと椅子を見れば分かるのか」と。 そういう意味では、最新の脳科学にも通じるものがあります。 あと、役に立たないと言われてますけど、哲学に触れて 良かったのは、思考がかなり速くなったことです。 本当に様々な考え方、視点が身に付くので、頭の回転が おっそろしく速くなるのです。 が、余計なことも考えてしまうようになるので、結果はトントンなのですけど…。 哲学を知りたいのならば、まずは古代ギリシア哲学をオススメします。 宗教色が薄いため、普遍性を感じやすいからです。 プラトンのエロスという概念がいかに誤解されているか、 ソクラテスの産婆法がいかにマネジメント、コーチングの礎になっているか、 現代に通じる知恵と、それを生み出す方法を知ることができます。 また近代哲学ならば、現代書館の FOR BEGINNERS シリーズがオススメです。 ほとんど絵本に近い感じで、大変面白いです。 あと、実は「倫理・政経」の参考書も面白いものが多いですよ。

  • pqbd
  • ベストアンサー率16% (8/50)
回答No.6

一言で言うと「自分の頭で考えること」ではないでしょうか。 もうちょっと言うと、「宗教」では世界はどうやってできたのか?とか、モノは何でできているのか?などの問いに神話などの物語で説明していますが、神話は所詮作り話ですので確かめようがありません。神話を聞いて、「あっ、なるほど!世界はそうやってできたのか!」と納得する人はまずいないのではと思います。 哲学では神話などを使って説明するのではなく、普通の言葉で皆が「なるほど」とか「確かにそうだよね」と思えるような“普遍的”な考えを目指します。 そう考えるのが一番良い、そう考える以外にない、という所まで考えを、思考を突き詰めていく事、その営みが哲学だと思います。

noname#129541
noname#129541
回答No.5

すべての学問の基礎になるものです。 特に政治学、心理学、宗教学、原子論、認識などとかかわりが強い気がします。 また、昔の学者の多くが哲学者とされているようです。 哲学では、 '世界はどういう物なのだろうか'、 '心とは何か' '神とはなにか' 等の疑問について考えます(答えるのではなく,考える) ここでいくら説明されても 簡単に理解出来るものだとは思えないので、 図書館で借りるなどして 哲学の入門書を読んでみることをおすすめします。 特に次の二冊がおすすめです。 「哲学の教科書―思索のダンディズムを磨く」 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140802235/qid%3D1146569585/sr%3D1-3/249-2387140-1865140 「ソフィーの世界」 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4140802235/qid%3D1146569585/sr%3D1-3/249-2387140-1865140

回答No.4

例えば、全く生きていない者が、生についての何かを模索することができるだろうか。 哲学においても同様で、 全く知らない者が、問いを抱くことはできない。 私は既に知っている。しかしながら、何を知っているのかを、私は知らない(無知の知)。このように思う者は、哲学する者だろう。 例えばある人が、既に生きておるにもかかわらず、更に生を模索しているならば、彼はよく生きていると言える。 哲学においても同様で、既に考えてはいるが、更に考えることで、それを深めるのではないだろうか。 哲学とは、更に深く、より深く、考えること(探求)。 本気で質問しているあなたは、如何な理由があれど、更に問うに違いない。 自分に対してであれ他人に対してであれ。 何らかの回答を貰い、それに合点を得てしまったのなら、既に本気ではないだろう。 常に思考の限界が壊れて行っていること。常にそれを超えんとしていること。それが哲学ではないだろうか。 故に、哲学的探求が順調であるのは偽りであり、本物は困難を伴う。(あえて困難を求めるのは間違いであり、真実を求めれば困難が伴うと言う意味。) 真実を行く人は、永遠を旅している。 その人はやがて、永遠を、滅することに至る(悟り)。 道も己も、簡単に捨てることのないよう(自戒)。 不死鳥の如く清らかな炎となって、永遠を渡り、燃え尽きよ(伝聞)。

noname#17334
noname#17334
回答No.3

生きていくなかで、行う一連の行動に一貫性をもたせて、何かを達成したい と思うときに、統一性のある「思考の体系」が必要になります。 それが哲学です。 企業にも哲学があります。 存在論(形而上学)、 なぜ、この会社は存在しているか。企業の存在理由を つきつめて考えると、企業の目的や経営理念に行き着きます。 経営者の人生観や、製品のバリューがなぜ市場にみとめ られてきたのか・・・それを理念として表現するには 形而上学的思考が役立ちます。 >認識論(論理学)、 どういう価値を通じて利益をあげていくのか。企業のミッションと ビジョンが語られます。筋がとおってみんなが納得できる 論理がないといけません。会社のドメインをどう認識して 強み弱み、機会、脅威をどうとらえているか。その認識を 深める方法論が、論理学です。 >実践論(倫理学)、 企業が行動指針として定める実践論があります。多くは コンプライアンス(企業倫理)を含むものです >感性論(美学)などの部門をもつ。 商品やサービスが広く顧客に受け入れられるうえで ブランドマーケティングという領域の重要性が高まって います。これは、機能や品質のみならず信頼や好感や 幸福感といった感性論の思考体系を必要とします。 人生においてもしかり 自分は何のために存在しているかという認識 生きているというのはこういう意味なのだという 自覚 世界観をどう持つか。この世の動向をどこまで 自分なりの視点で把握し、コントロール可能な領域と そうでない領域の見極めをどうつけるか どういう手順でものごとを実践していけば目的を 達成できるか。そのなかで自分は何を大切に 生きていくのか。自分なりの価値観、倫理観を どうやって構築するか 生きるうえで自分の心の喜び、美しいものとの ふれあい。感覚の快感をどこまで深く味わうか。 ライフスタイルつまり住まい、ファッション、料理や酒 恋愛、家庭 音楽 アート  自分が得たいものの価値を感性の言葉でどう 表現しうるか 金があって哲学のない人生ほど貧しいものはないです。 金は倫理観や美意識を曇らせ世界観や自分のミッション を見失わせることがあります。 哲学とは、人を正しく幸福に導く道具です。 知識や情報を盛る「器」のようなものです。

  • annman
  • ベストアンサー率24% (44/178)
回答No.2

私は『哲学』ってむずかしそう、元来頭がかたい傾向があるから哲学なんて言葉は出さないでおこう。 と思っていました。 でも、普段なにげないことをちょっと角度を変えて考えてみて、なぜだろう。。。 もうここで哲学らしいです。 だから、みんな哲学者じゃないのかな。 たとえば、『ともだちってなんだろう。知人と友達をへだてているものはなんだろう』て考えました。 きっとこれも哲学なんですね。 URLはプチ哲学という本です。 なにかの助けになるといいのですが。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122043441/qid=1146488771/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-2617597-3085808
回答No.1

中島義道さんの定義がおもしろいです。 曰く、「哲学者とは、ならず者である」(詳しくは著作をどうぞ) 哲学とは、むしろこういうことを考え続けること(智を愛する)も大事だと思いますので、一足飛びに「哲学とは何か」という答えを求めようとする態度は、哲学とはかけ離れているように思います。

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