- ベストアンサー
機械と人間の関係についての疑問
- 日本語を勉強中の中国人が「AにBをあわせて」という構造の意味を理解できずに困っています。
- 当時の社会が機械に人間をあわせて仕事をすることを当然とし、機械で作られた製品の質的な劣悪さを考慮すれば、機械を否定することはやむを得なかったと言えます。
- 質問文に不自然な表現があれば指摘して欲しいとのことです。
- みんなの回答 (15)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「合わせる」は、 http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B%E3%82%8B&dtype=0 2の、 (2)釣り合うようにする。相応するようにする。調和させる。 「環境に―・せた建築物」「洋服に靴を―・せる」 です。 「AにBを合わせる」と言う場合、 「合わせる=釣り合うようにする」対象は B です。 「Aに対してBを釣り合うようにする」という意味になるので、みなさんもおっしゃっているように、 「Aが主でBが従」ということになります。 A に対して変化は求めず、A に釣り合うようにB を作ったり、制限したり、変更したりします。 「機械に人間をあわせて仕事をする」は、 当時の産業革命による大量生産を想起されると理解しやすくなると思います。 大量生産するための便利な機械は出現しましたが、人間の個性や手先の技術というものは無視されるようになっていました。 「人間が機械の奴隷になっていた」と表現することもできるでしょう。 機械を最優先に考えて、それに人間の能力を釣り合わせていたわけです。 「人間に機械をあわせて仕事をする」は、 この逆です。 人間の能力や手先の技術、あるいは経験などの良い点を重視して、それを生かすような機械を利用して仕事をする。 という意味になります。 人間(の良いところ)に釣り合うような機械を使って仕事をするわけです。 たとえば、オートメーションで大量のグラスを生産するのではなく、経験を積んだ職人が1個づつ丁寧に手作業で作ることのほうを重視し、機械は、あくまでその手作業を補助するために使う、というニュアンスでしょう。
その他の回答 (14)
- bacaisao
- ベストアンサー率48% (37/76)
#9,11です。 >「機械を否定すること」は「人間に機械をあわせて仕事をしていく」でしょう。 違います。 「機械を否定すること」は「やむをえないことであった」にかかります。 このことは最初に#10さんが明快に説明されています。 機械を従とすることは、機械を肯定して、人間が機械をうまく使うことです。 その他、文の構造は#10さんが明快に、機械化の歴史は#11に簡単に書かれています。 当初の機械化が嫌われたのは、1番目に機械が主人という人間性無視の労働形態です(2番目は製品の不出来)。 (なお、質問文は良くできています。)
お礼
度々ありがとうございます。機械化の歴史をご親切に教えていただいたことにもう一度感謝いたします。大変助かりました。本当にありがとうございました。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
#7です。 >「機械を否定することは」は「人間に機械をあわせて仕事をしていく」でしょう。 :これはおっしゃるとおりです。 >なぜ「人間に機械をあわせて仕事をしていくのではなく、機械に人間をあわせて仕事をしていくことを当然のこととしていた点」と書くのでしょうか。 : 疑問に思われていることはよくわかります。 「機械を否定することは」が、次の「当時の社会が人間に機械をあわせて仕事をしていくのではなく、」に直接掛かっていくと、お考えになったのですね。 原文の構造を再確認してみましょう。まず、この段落の骨子は、 『(ウイリアム・モリスが)機械を否定することは、やむを得ないことでもあったといえる』 これだけ!です。 その他の部分は、 『なぜ、「機械を否定することは、やむを得ないことでもあったといえる」のか』ということに関する説明にすぎないのです。 その理由の第一点として、まず、 「当時の社会が人間に機械をあわせて仕事をしていくのではなく、機械に人間をあわせて仕事をしていくことを当然のこととしていたこと」 を挙げているわけです。そして、 第2点として、 「機械でつくられた製品の多くが劣悪で、手仕事のほうが質的によいものをつくれたこと」 が述べられています。 このような点を考えると、「やむを得ないことであった」と骨子部分に続きます。 「みんなが彼を嫌うのは、約束を守らない点や、人の悪口を言うのが好きだということなどを考えると、やむをえないことであった」 などという構造と同じです。 他はくどくど申し上げなくても、お分かりになっていらっしゃるでしょう。
お礼
再びありがとうございます。原文の構造はよく理解できました。同じ構造の文章を作っていただき、大変助かりました。本当にありがとうございました。
- Ishiwara
- ベストアンサー率24% (462/1914)
ANo.8です。 「機械を否定することは、当時の社会が人間に機械をあわせて仕事をしていくのではなく、機械に人間をあわせて仕事をしていくことを当然のこととしていた点や、機械でつくられた製品の多くが劣悪で、手仕事のほうが質的によいものをつくれたことなどを考えると、やむを得ないことでもあったといえる。」 日本語の質が、あまり良くないと思います。次のように分解してみることができます。 当時の社会が (1)「人間に機械を合わせて仕事をしていく」のではなく、 「機械に人間を合わせて仕事をしていく」ことを当然のこととしていた 点や、 (2) 機械で作られた製品の多くが劣悪で、手仕事のほうが質的によいものが作られたこと などを考えると、 (当時の人たちが)「機械を否定する(傾向にあった)ことは、 「やむを得ないこと」でもあったといえる。 (1)人間と機械の間に「うまく行かない」ことがあっても、 * 技術がまだ十分進歩していないし、 * 「機械が人間のために譲歩すべきだ」という現代思想が未発達であった ので、「うまく行かないときは、人間のほうが譲歩すべきだ」という考え方が当然であった。 (2)また技術が進歩していないから、結局「機械で作った製品」は「人間が作った製品」に及ばない。 これらのことから「機械を否定する」人=「機械文明は人間にとってそんなにありがたいものではない」むしろ産業革命によって生活が苦しくなったとする人、が多い、と言える。 現代は、機械がなければ生きられないという時代(機械に大きく依存する時代)になり、過去へ戻ったほうが良いと考える人は少なくなったけれども、 当時としては、「人間が常に機械に譲歩しながら生きるくらいなら、機械の進歩なんかありがたくない」と考える人も多かった(特に知識人に文明批判者が多かった)。これも上記の事情を考えればやむをえなかったといえる。
お礼
再びありがとうございます。よくわかりました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- cxe28284
- ベストアンサー率21% (932/4336)
#4ですが文章の構造を考えてください。 「機械を否定することは」の助詞「は」は文章の最後にかかるのです。 機械を否定すること「は」やむを得ないことであったといえる。 どうしてやむを得ないのかという説明が述部なのです。 人間に機械を合わせての「に」は機械を合わせる「動作の対象」が「人間」という 用法です。 機械に人間を合わせての「に」も人間を合わせると言う「動作の対象」が「機械」なのです。 機械に人間を適応させるのは、人間の側としては、苦痛を感じたり、無理が生じるでしょう。 1)それを当然のこととしていた労働条件の非人間性と云う点 2)その結果としての製品の多くが劣悪な物であった。 3)手仕事の方が質的に良いものが作れた。 機械を否定することは、1)2)3)など理由を考えるとやむをえない(しかたがない) ことでもあったといえる。 仕事に合わせて休みをとる。仕事に人間を合わせて休みを取る。ことですが、 分かり切ったことは省略します。
お礼
再びありがとうございます。文章の構造はよくわかりました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- bacaisao
- ベストアンサー率48% (37/76)
#9です。 >「機械を否定することは」は「人間に機械をあわせて仕事をしていく」でしょう。 違います。 「人間に機械をあわせて仕事をしていく」=「人間が主、機械が従」すなわち人間の方がエライわけです。 これは、機械を使う産業の本来の姿です。機械を否定していません。 機械を否定するということは、機械を利用しないということで昔の非効率な社会に逆戻りします。 機械を従とすることは、機械を否定することではありません。 機械を従とすることは、機械を肯定して、人間がうまく機械を使うことです。 #9の最後にも言ったことを再度説明します。 (1)機械に人間をあわせて仕事をしていくこと(機械が主人)を当然のこととしていたわけ 昔は職人が道具(簡単な機械)を使い、それを使いこなして仕事をし、物を作っていました。 人間が主人、機械(道具)が家来でした。 機械化が始まり、オートメーション化されるようになると、ベルトコンベアーで素材や半製品が工員の前に自動的に運ばれてきて、工員は自由に便所に行きたくてもいけないようなことも起こりました。 また、機械の非常停止などの仕掛けも十分ではなく、腕が機械に挟まれてちぎれるなどの事故も多発しました。 ◎機械に人間が使われるようになったわけです。 大量生産はできるようになりましたが、製品の質の低下と非人間的な労働形態をもたらしました。 機械化が始まった頃は、機械化することに精いっぱいで、人間のことを考慮する余裕がありませんでした。 こんなこと(機械に人間をあわせて仕事をしていくこと⇒機械が主人)が当然のこととしてまかり通っていました。 (2)機械否定論の出現 当初の機械化は、以上のような、非人間的な労働形態をもたらしました。 当然各方面から反発が出ます。 また、機械で作られた製品の多くが劣悪で、手仕事のほうが質的によいものを作れたことなどを考えると、機械化を否定する意見が出たこともやむを得ないことであったといえます。 (3)機械化の正しいあり方(問題文にはありませんが・・・。) しかし、機械を否定し、機械を使うのをやめると、昔の非効率な社会に戻ってしまいます。 手仕事の製品は値段がどうしても高くなり、庶民は手に入れにくくなってしまいます。 ですから、休憩時間の設定など人間の生理的欲求と機械稼働の折り合いをうまく付ける、人間の安全に考慮した機械化システムを設計するなどして、人間にやさしくしかも効率的な大量生産を目指さなければなりません。 ◎機械を人間に合わせて上手に利用する。これが「人間に機械をあわせて仕事をしていく(人間が主人)」です。
お礼
再びありがとうございます。いろいろな知識を教えていただき心から感謝いたします。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
おはようございます。 まずこの問題文の構造をきちんと理解しましょう。 長い文ですが、主部は 機械を否定することは です。 述部は やむをえないことであった です。 主部と述部にはさまっている長い文は なぜやむをえないことであったかの理由を述べています。 ウィリアム・モリスは機械を否定した。この文の著者は、こうこうこういう理由でそれもやむをえないと言っているのです。 今日も暑いですね。夏バテしないように御自愛ください。
お礼
こんにちは。何度もご親切に回答していただきありがとうございます。よく理解できました。大変助かりました。本当にありがとうございました。台風が来たので、この二、三日涼しくなってきました。お体に気をつけてください。
- bacaisao
- ベストアンサー率48% (37/76)
(1) あることについて、甲さんと社長の見解に差が出ました。 甲さんは困りましたが、彼は要領がよく、柔軟な考え方ができる人でしたので、 「社長(の見解)に自分(の見解)をあわせて」うまくいくようにしました。 (2) 甲さんは、大きな靴屋で、「自分の足に靴をあわせて」、履き心地のよい靴を選びました。 (3) 年の暮れに、甲さんは、社長からとびきり上等の靴をプレゼントされました。 その靴は甲さんの足にピッタリではありませんでしたが、要らないと言って返すことはできません。 そこで、甲さんは、仕方なく「靴に自分の足を(無理に)あわせて」履き、社長の家へ年始の挨拶に行きました。 質問者さんは、以上の三つの文については、十分おわかりになると思います。 >「人間に機械をあわせて仕事をしていく」 この文の「人間」と「機械」を先の(1)~(3)の例に当てはめて考えるとわかると思います。 「人間に機械をあわせる」・・・これは機械が軟体動物のようになって人間に合わせるのです。 機械がつらい目をして人間に従うわけです。 人間の方がエライわけです。これが本来のあり方です。 「機械に人間をあわせる」・・・これは人間が軟体動物のようになって機械に合わせるのです。 人間がつらい目をして機械に従うわけです。 機械の方がエライわけです。これは本来のあり方ではありません。 語順を変えて 「機械を人間にあわせる」・・・(機械が軟体動物)・・・これでも意味は同じです。この方がわかりやすいかもしれません。 あるいは、人間や機械を意志あるものとみなして、 「機械が人間にあわせる」・・・(機械が軟体動物)・・・としても同じです。これが、最もわかりやすいと思います。 そこで、原文を「機械が・・・」に改変してみますと・・・。 「機械を否定することは、当時の社会において、機械が人間にあわせて仕事をしていくのではなく、人間が機械にあわせて仕事をしていくことが当然のこととされていた点や、機械でつくられた製品の多くが劣悪で、手仕事のほうが質的によいものをつくれたことなどを考えると、やむを得ないことでもあったといえる。」 昔は職人が道具(簡単な機械)を使い、それを使いこなして仕事をし、物を作っていました。 機械化が始まり、オートメーション化されるようになると、ベルトコンベアーで素材や半製品が工員の前に自動的に運ばれてきて、工員は自由に便所に行きたくてもいけないようになってきました。 ◎機械に人間が使われるようになったわけです。 大量生産はできるようになりましたが、製品の質の低下と非人間的な労働形態をもたらしました。 ・・・ということで機械化否定論が出たことはやむを得ないことでした。しかし・・・。 【に】格助詞 動作の帰着点や方向 【を】格助詞 動作の対象
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。「AにBをあわせて」の意味は理解できました。しかし、私の例文の意味はまだよく理解できていません。矛盾しているようにも感じています。「機械を否定することは」は「人間に機械をあわせて仕事をしていく」でしょう。なぜ「人間に機械をあわせて仕事をしていくのではなく、機械に人間をあわせて仕事をしていくことを当然のこととしていた点」と書くのでしょうか。もう一度教えていただけないでしょうか。
- Ishiwara
- ベストアンサー率24% (462/1914)
機械に押しボタンがあって、位置が少し高すぎるとします。 人間を機械に合わせる = ボタンを押すときは台に上がる 機械を人間に合わせる = ボタンを少し低い位置に付けなおす 産業革命の初期には、すべて人間を機械に合わせていました。C. Chaplin の Modern Times をぜひご覧ください(無声映画です)。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。申し訳ありませんが、たとえの意味がよくわかっていません。また、私の例文の意味もまだよく理解できていません。矛盾しているようにも感じています。「機械を否定することは」は「人間に機械をあわせて仕事をしていく」でしょう。なぜ「人間に機械をあわせて仕事をしていくのではなく、機械に人間をあわせて仕事をしていくことを当然のこととしていた点」と書くのでしょうか。もう一度教えていただけないでしょうか。
「に」と「を」がわからないとのことですので、補足します。 たとえば、なべ(に)砂糖(を)入れる。なべという目的地に砂糖というものを入れるということです。 あわせるは漢字では合わせるです。ぴたっと合わせること。ここでは適応というような意味があります。 机の上に赤い色紙を置きます。この赤い色紙に緑の色紙を合わせてください。さあどうしますか。 赤い色紙はそのままにして、緑の色紙を赤の上にのせます。 機械に人間を合わせる 機械はそのままにして、人間の方を機械に適応させる 人間に機械を合わせる 人間はそのままにして、機械の方を人間に適応させる
お礼
再びありがとうございます。「AにBをあわせて」の意味はよく理解できました。とてもわかりやすいです。本当にありがとうございました。
- takabo1026
- ベストアンサー率18% (179/945)
回答者No.1のtakabo1026です。ごめんんさい。わかりづらかったですか。 AにBをあわせての「に」はAにたいして、Aにとって、という意味です。 「あわせて」というのはうまくいくようにする、やりやすいよう変える、ということです。 AにとってうまくいくようにBを変える、なのです。 余計に混乱させてしまったかな?
お礼
再びありがとうございます。「AにBをあわせて」の意味はよく理解できました。しかし、私の例文の意味はまだよく理解できていません。矛盾しているように感じています。「機械を否定することは」は「人間に機械をあわせて仕事をしていく」でしょう。なぜ「人間に機械をあわせて仕事をしていくのではなく、機械に人間をあわせて仕事をしていくことを当然のこととしていた点」なのでしょうか。もう一度教えていただけないでしょうか。
- 1
- 2
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。「AにBをあわせて」の意味は理解できました。しかし、私の例文の意味はまだよく理解できていません。矛盾しているようにも感じています。「機械を否定することは」は「人間に機械をあわせて仕事をしていく」でしょう。なぜ「人間に機械をあわせて仕事をしていくのではなく、機械に人間をあわせて仕事をしていくことを当然のこととしていた点」と書くのでしょうか。もう一度教えていただけないでしょうか。