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『私の書いた文「A」は日本の方に「B」と表現したほうがよいと指摘していただきました。』

 日本語を勉強中の中国人です。次の一文を自然な日本語に添削していただけないでしょうか。多ければ多いほど言い方を教えてくだされば嬉しいです。  『私の書いた文「A」は日本の方に「B」と表現したほうがよいと指摘していただきました。』  また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

『 私の書いた文「A」は日本の方に「B」と表現したほうがよいと指摘していただきました。』 意味は通じますが、不自然な印象を与える文です。 原因は2つあります。 1、 「は」は「主題の提示」(または主題の宣言)という意図を持っています。 そこで大事になってくるのは、 【一方が全く知らないことを主題にすることはできない】 ということです。 【「は」は既知を表わす】 と良く言われるのは、こういう意味です。 (しかし、「は」だけが既知を表わすわけではありません。「が」も既知を表わすことができます。) 『私の書いた文「A」は日本の方に「B」と表現したほうがよいと指摘していただきました。』 という文が不自然なのは、 『私の書いた文「A」』が、読者にとって「全く知らないこと(未知のこと)」だからです。 『【 1mizuumi さんが「A」という内容の文を書いた。】という事実を知っている人』に対して 『私の書いた文「A」は~』と切り出すのは自然です。 2、 『私の書いた文「A」は~』という場合、 『私の書いた文「A」』を主題として提示していることになります。 主題として提示したのですから、あくまで主題を中心にして記述する必要があります。 しかし、後半で『指摘していただきました。』という表現が出てきます。 『指摘していただきました。』の主体(主語)は私(1mizuumiさん)です。 話の中心(主題)が『私の書いた文「A」』から『私(1mizuumiさん)』に移動してしまっています。 最初に、 【『私の書いた文「A」』を主題にします。】 と宣言したのに、 後半では、 『私の書いた文「A」』ではなく、 『私(1mizuumiさん)』について記述している。 これが不自然さの2つ目の原因です。 ◇ 『私の書いた文「A」に関して「B」と表現したほうがよい、と日本の方に指摘されました。』 『私の書いた文「A」について「B」のように改めたほうがよい、と日本の方に指摘していただきました。』 『「A」という私の文について「B」のように表現したほうがよい、と日本の方に指摘していただきました。』 などとすると自然でしょう。 ◇ 【多ければ多いほど言い方を教えてくだされば嬉しいです。】 これは全く日本語になっていません。 「多ければ多いほど○○です」と、慣用句として覚えられたほうが良いでしょう。 #2さんが適切な添削例をいくつかあげておられますので十分とは思いますが、ひとつだけ追加しておきます。 『多様な表現を覚えたいと思っておりますので、添削例は多ければ多いほど嬉しいです。』    

1mizuumi
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。二つの不自然の理由を拝見しました。とても納得できました。質問文の添削にも感謝いたします。まだすっきりしていないところがありますが、もう一度教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

1mizuumi
質問者

補足

>『私の書いた文「A」に関して「B」と表現したほうがよい、と日本の方に指摘されました。』 ここの「指摘されました」は普通の受身でしょうか。敬語のつもりなら、文章は次のように変える必要があるのでしょうか。【】の箇所、「に」を「が」に変えました。 『私の書いた文「A」に関して「B」と表現したほうがよい、と日本の方【が】指摘されました。』

その他の回答 (14)

  • akisny
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.15

質問文は文法的に間違っています。 質問文の主(格)語は『文「A」』であり、述語は『(指摘して)いたただきました』です。「いただく」は「もらう」の謙譲語です。文自体は指摘を「もらう」ことは出来ません。また、文が謙譲することはありません。 よって、質問文を修正すれば次のようになります。 『私の書いた文「A」は日本の方に「B」と表現したほうがよいと指摘されました。』

1mizuumi
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.14

読み返してみたのですが、#13の私の回答前半部に疑問が生じてきました。 >『たぶん』と始めたら、『~だから【と思います。だろう。】』といったような、推測的理由(原因)を示す文末が必要です。 :正確には、「推測的理由(原因)を示す場面で使われるものです」とすべきでした。 「彼はたぶん2階にいます」などという場合も、「2階にいると思います」という意味ではありますが、必ずしも【と思います。だろう。】という言葉が続く必要はありません。 混乱を招いたかもしれず、お詫び申し上げます。 >「たぶん」の使い方の問題もあるかもしれませんね。 :と言うのは間違いかもしれません。 語の位置関係が問題になるのかもしれません。 いずれにしても、「は・が」の問題とは関連が無いように思えてきました。 あやふやな回答で本当に申し訳ないと思っております。 重ねてお詫びいたします。 このことについては質問を立てますので、よろしければご参照ください。 また、1mizuumi さんの疑問点もさらにおっしゃっていただければ、と思っております。  

1mizuumi
質問者

お礼

 たびたびありがとうございます。承知いたしました。お気になさらないでください。「たぶん」のご質問は参考にさせていただいております。本当にありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.13

「たぶん」の使い方の問題もあるかもしれませんね。 『たぶん』と始めたら、『~だから【と思います。だろう。】』といったような、推測的理由(原因)を示す文末が必要です。 「たぶん私は外国人で、日本の方の考え方がよく理解できていません。」 という文には、「推測的理由」を表わす言葉がありません。 「たぶん私が外国人で、日本の方の考え方がよく理解できていません。」 という文に直しても、同様の理由でやはり不自然です。 「私は外国人で、日本の方の考え方がよく理解できていません。」 であれば正しい日本語です。 今回あげられた、 「たぶん、私が外国人なので、日本人の考え方が理解できません」 という文も間違いです。 『たぶん』と始めたら、『~だから【と思います。だろう。】』といったような、推測的理由(原因)を示す文末が必要です。 と上で述べましたが、 この文には、 【と思います。だろう。】 という要素が抜けています。 それが不自然に感じる理由です。 「たぶん、私が外国人なので、日本人の考え方が理解できない【のだろうと思います】」 または、 「たぶん、私が外国人だから【なのだと思いますが】、日本人の考え方が理解できません」 という文であれば自然になります。 ◇ >どんなときに、「たぶん、私は外国人であるからだと思います」と答えるのでしょうか。 :たしかに微妙な問題かもしれません。 この表現が、 「どうして日本人の考え方が理解できないのですか?」 という問いの答えとして、 「絶対に間違いである」とは言えないでしょう。 しかし、それは極めて特殊な状況であるとお考えになって良いでしょう。 具体的に言うと、自分に対する深い感慨の元に発せられるのであれば、このような表現も可能でしょう。 たとえば、次のような例です。 私の管轄する仕事で問題が起こり、 「なぜこんなことになったのですか?」と責められたとします。 一般的には、 「私が間違えました。申し訳ありません」 と謝罪しするのが普通です。 しかし、その間違いを起こす過程において、感慨を伴なって思い起こされる様々の理由が私にあった場合、私は自らを深く省みる作業を心の中で行います。 「私という人間は・・・」 と過去の自分自身に対して思いを馳せるのです。 このような場合、 「私が間違えました」 ではなく、 「私は間違えました」 という表現になるかもしれません。 しかし、これは質問に対する直接的答えとして正確ではありません。 自分を中心にした思いについて語っていることになります。 そのために主題の提供としての「は」が使用されているわけです。 この「は」と「が」に関しては、ネイティブでもみんなが上手に使いこなせているとは言えません。 説明も難しいです。 日本の小説にたくさん触れてみてください。 そのうち【ひらめくように理解する】ことができると思います。 少しづつ慣れていきましょう。  

1mizuumi
質問者

お礼

 ご親切に説明していただき誠にありがとうございます。わかるようになりました。「たぶん」の使い方も覚えました。これから気をつけます。できるだけたくさんの小説に触れてみます。早く「は」と「が」をひらめくように理解したいです。本当にありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.12

少し補足します。 「は」について説明するのはネイティブでも難しいです。 前回の説明もあまり上手ではなかったと反省しています。 もういちど述べてみましょう。 「たぶん私は外国人で、日本の方の考え方がよく理解できていません。」 この文で 1mizuumi さんが言いたかったことをもう一度考えてみました。 おそらく次のようなことであったように思います。 『 たぶん私が外国人だからだと思いますが、私は日本の方の考え方がよく理解できていません。』 このままの文であれば間違いではありません。 「私」が2つ出てくるので、ひとつにまとめようとして無理な表現になったのではないでしょうか。 このような場合は、「私」が2つでも自然な表現になります。 ひとつ質問があります。 ◇ 「どうして日本人の考え方が理解できないのですか?」 という質問に対して、 「たぶん、私は外国人であるからだと思います」 という答え方は間違いで、 「たぶん、私が外国人であるからだと思います」 が正解です。 この意味はご理解できますか?  

1mizuumi
質問者

お礼

 ご親切に補足していただきありがとうございます。少しわかるようになりました。「が」の届く距離は「は」より短いような気がします。

1mizuumi
質問者

補足

>この文で 1mizuumi さんが言いたかったことをもう一度考えてみました。 おそらく次のようなことであったように思います。 『 たぶん私が外国人だからだと思いますが、私は日本の方の考え方がよく理解できていません。』 たぶん私の頭に次のように反応します。「たぶん私…外国人です。それに、私は日本の方の考え方がよく理解できていません」のような流れです。「私」と「外国人」は単語のように出てきて、その間に「が」を入れるのか、「は」を入れるのか考える時間がありません。 >「どうして日本人の考え方が理解できないのですか?」 という質問に対して、 「たぶん、私は外国人であるからだと思います」 という答え方は間違いで、 「たぶん、私が外国人であるからだと思います」 が正解です。 そうですね。正解がわかりません。でも、「たぶん、私が外国人なので、日本人の考え方が理解できません」という一文を書くなら、「私【が】外国人なので」と正しく書けます。「A+なので+B」という構文のとき、Aという文の主語の後ろに「が」を使うべきだと理解しています。そう考えれば、「たぶん、私が外国人であるからだと思います」が正解だと選べるようになりました。どんなときに、「たぶん、私は外国人であるからだと思います」と答えるのでしょうか。そう考えれば、可能性がないのではでしょうか。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.11

#9です。 >次の添削意見はどういう意味でしょうか。 ・”は”を使って一つ目の鍵カッコ内を主語におきたいのであれば、 『「~略~」は~~と表現【された】ほうが・・・』 などと、「表現される」の受身形にしなければなりません。 ---------------------------------------------------------- 略さずにすべて書くと以下のようになります。 (ア)私の書いた文 (イ)「文章を書くときに、句読点の使い方に気をつけたいです」は、 (ウ)日本の方に (エ)「文章を書くときに【は】、句読点の使い方に気をつけたいです」 (オ)と表現されたほうがよい (カ)と指摘していただきました。 ---------------------------------------------------------- 1、 (オ)の「表現された」は受身で、 「あの写真集で、日本の庭園美が見事に表現された」 「あの映画で表現された中国の山々は美しかった」 などと同じ使いかたです。 2、 この回答者さんは、 >指摘した(=なおした方が良いと忠告を与えた)相手は、”文”ではなく、”話者”ですね。 更に、Dする(表現する)のも、”話者”です。 :と述べていますね。ここからの推測ですが、 (オ)の部分は、 ・と(話者=1mizuumi さんによって)表現されたほうがよい という意味だろうと思います。 この回答者の方もわかっていらっしゃるように、 間違いではありませんが、自然な文とは言えませんね。  

1mizuumi
質問者

お礼

 ご返事ありがとうございます。以前の質問の中の回答者の意味は理解できたように思います。文法が本当に苦手です。何度もご親切に教えていただき本当にありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.10

#7です。 >話の中心(主題)が『私の書いた文「A」』から『私』に移動していないのでしょうか。 :移動していないと私は思います。 以下に私なりの根拠を述べてみます。 ・私の書いた文「A」は、「B」と表現したほうが良いと日本の方に指摘されました。 この文の場合、【指摘された】主語は『私の書いた文「A」』です。 「私」ではありません。 「私」という主語が省略されていると考えることもできますが、その場合は、 ・(私は)私の書いた文「A」について、「B」と表現したほうが良いと日本の方に指摘されました。 のように表現する必要があります。 ここは難しいところです。 私も自信はありません。 ◇ #7での、 「(「は」を使う必然性があるのは)直接引用(直接話法)の場合に限られるように思います。」 という私の見解を撤回するとともに、 1mizuumi さんにお詫びしたいと思います。 ・私の作った料理はとてもおいしいといつもお母さんに褒められます。 などのように表現するのは自然です。 ただ、 ・私の作った料理はとてもおいしいといつもお母さんは言います。 などの場合は、料理を作ったのが私かお母さんか曖昧になる可能性もありますから留意が必要でしょうね。 (作ったのが私である場合は) ・私の作った料理を、とてもおいしいといつもお母さんは言います。 ・私の作った料理について、とてもおいしいといつもお母さんは言います。 などのように表現することもできます。  

1mizuumi
質問者

お礼

 hakobuluさんのおっしゃる意味はよくわかりました。ありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.9

#8さんに示していただいた作文についてです。 >(私は、)私の作品は素晴らしいと山田さんに言っていただいた。 :というような表現をすることは、たしかに多いと思います。 #7での 「(「は」を使う必然性があるのは)直接引用(直接話法)の場合に限られるように思います。」 という私の見解を撤回するとともに、 #8さんにお詫びとお礼を申し述べたいと思います。 その上で述べてみたいのですが、やはり間接話法に「は」を使用するのは(間違いではないが)好ましくないのではないか、と思います。 以下にその理由を述べます。 【理由 1】 示していただいた作文の場合は、 (私は)という注釈がある上に、「いただいた」という謙譲語が含まれており、「私≠山田さん」ということが理解できます。 しかし、間接話法における「は」の使用を認めるのならば、 ・私の作品は素晴らしいと山田さんが言った。 という文も成立するでしょう。 前後の脈絡から類推すれば「私≠山田さん」ということは判然とするでしょうが、それにしても「私=山田」と解釈されても不思議ではない文文章の構成であって、曖昧な印象は残ります。 ・私の作品について、素晴らしいと山田さんが言った。(間接話法) ・「あなたの作品は素晴らしい」と山田さんが言った。(直接話法) のように表現すれば明快だと思われます。 しかし、今回は#8さんのおかげで大変いい勉強をさせていただきました。   【理由 2】 今回の焦点である、#1さんのご回答、 『私の書いた文「A」は「B」と表現したほうが良い、と日本の方に指摘していただきました。』 を再確認してみます。 これは、「A」を略さなければ、たとえば、 ・私の書いた文 「文章を書くときに、句読点の使い方に気をつけたいです」は、 「文章を書くときに【は】、句読点の使い方に気をつけたいです」と表現したほうがよいと日本の方に指摘していただきました。 のような内容になります。 この場合は、 ・私の書いた文 「文章を書くときに、句読点の使い方に気をつけたいです」について、 「文章を書くときに【は】、句読点の使い方に気をつけたいです」と表現したほうがよいと日本の方に指摘していただきました。 とするほうが自然なように思います。 つまり、「A」が(短い単語ではなく)文章であることも考慮する必要があるように思うわけです。 この場合における#8さんのご見解も、さらに伺うことができれば有難いと考えます。  

1mizuumi
質問者

お礼

 No.10を先に読んでこの回答の意味を理解できました。{私の書いた文 「文章を書くときに、句読点の使い方に気をつけたいです」は、 「文章を書くときに【は】、句読点の使い方に気をつけたいです」と表現したほうがよいと日本の方に指摘していただきました}が私の訊きたい文ですね。  http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4858401.html←この質問に理解できない添削意見(No.2さん)があります。hakobuluさんのご意見に近いような気がします。一箇所どうしてもわからないところがあります。ご存知でしたら、教えていただけないでしょうか(ご存知でなければ、この依頼を無視してください。)次の添削意見はどういう意味でしょうか。 ・”は”を使って一つ目の鍵カッコ内を主語におきたいのであれば、 『「~略~」は~~と表現【された】ほうが・・・』 などと、「表現される」の受身形にしなければなりません。

  • lens2009
  • ベストアンサー率38% (14/36)
回答No.8

作文してみました。 どれが自然かというと、各グループ共最上段の直接話法の文ですかね。 最下段の文は確かに何度も読んでいると微妙に違和感を感じるような気も しますが、私はOKだと思います。時間のある時にもう少し考えてみます。 (私は、)「あなたのやり方ではダメだ」と日本の方に指摘していただいた。 (私は、)私のやり方に関して、ダメだと日本の方に指摘していただいた。 (私は、)私のやり方ではダメだと日本の方に指摘していただいた。 (私は、)「あなたの作品は素晴らしい」と山田さんに言っていただいた。 (私は、)私の作品について、素晴らしいと山田さんに言っていただいた。 (私は、)私の作品は素晴らしいと山田さんに言っていただいた。 (私は、)「あなたの足は臭い」と山田さんに指摘された。 (私は、)私の足について、臭いと山田さんに指摘された。 (私は、)私の足は臭いと山田さんに指摘された。

1mizuumi
質問者

お礼

 たびたびありがとうございます。なぜ文の一番最初に「私は、」を補足されるのでしょうか。なにを説明されたいのでしょうか。私はよく理解できていません。もう一度教えていただけないでしょうか。急ぎませんので、お時間のあるときにどうぞよろしくお願いいたします。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.7

#3、#5です。 (ア) 『私の書いた文「A」に関して「B」と表現したほうがよい、と日本の方に指摘されました。』 ここの「指摘されました」は普通の受身でしょうか。 :おっしゃるとおりです。 状況によっては、ちょっと不満の要素が混入してしまうかもしれません。 特に問題になるほどではありませんが。 (イ) >『私の書いた文「A」に関して「B」と表現したほうがよい、と日本の方【が】指摘されました。』 :この文章でも間違いにはなりません。 ただ、 『「B」と表現したほうがよいと指摘されたこと』よりも、 『日本の方によって指摘されたこと』ことが強調される印象を与えます。 「が」には、「特定・強調」の意図があります。 (ウ) ・私の書いた文「A」は、「B」と表現したほうが良いと日本の方に【指摘されました。】 1.なぜ「指摘していただきました」を「指摘されました」に直す場合には、正しい文章と言えるようになるのでしょうか。 :『私の書いた文「A」』を主題として提示したのですから、あくまでこの主題を中心にして記述する必要があります。 【指摘されました。】は受身で、主語は:『私の書いた文「A」』です。 ゆえに正しい文章と言えるわけです。 【指摘していただきました。】の場合、主語は私( 1mizuumiさん )になります。 『私の書いた文「A」』を主題として提示したにもかかわらず、主題(主語)が入れ替わってしまうので正しくない不自然な表現になる、ということです。 ・私の書いた文「A」【を】、「B」と表現したほうが良いと日本の方に指摘していただきました。 という表現は可能です。 2. また、「正しい文章とは言えない」の「は」がよく理解できません。どういうニュアンスなのでしょうか。 :http://ext.dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/140884/m0u/%E3%81%A8%E3%81%AF/の 『2)「と」を強めた言い方として用いられる。』「は」です。 「正しい文章と言えない」でも間違いではないのですが、「弱い」です。 「正しい文章とは言えない」と表現すると、 「決して正しい文章と言えない」 「正しい文書と絶対に言えない」 といったような強いニュアンスになります。 友達と喧嘩した後などに、 「あの人ともう話したくない」 などとよく言いますが、 「あの人とはもう話したくない」 と言うと、 「あの人とはもう絶対に話したくない」 という強いニュアンスが出ます。   (エ) #6さんのご見解について。 >「私の書いた文・・・」とすれば間接引用です。 「あなたの書いた文・・・」とすれば直接引用です。 :大事な点をご指摘いただいてますね。 ただ、素人なので詳しいことはわからないのですが、 間接引用であるならば、なおさら「は」を使う必要性はないと思うのですがどうなんでしょうね。 ここは、新たに質問を立てることも視野におきながら、#6さんのご見解をお待ちしたいところですね。 私としては、やはり、「は」を使う必然性があるのは、 ・『あなたの書いた文「A」は「B」と表現したほうが良い』と日本の方に指摘していただきました。 という直接引用(直接話法)の場合に限られるように思います。 間接引用(間接話法)であるならば、 ・私の書いた文「A」に関して、「B」と表現したほうが良い、と日本の方に指摘していただきました。 のほうが自然だと思うのですが、これは間接話法とは言わないのでしょうかね・・・。 私も一緒に勉強させてもらいましょう。  

1mizuumi
質問者

お礼

 たびたびありがとうございます。もともと『私の書いた文「A」は、「B」と表現したほうがよいと日本の方に指摘されました』と書いたつもりですが、「に指摘されました」は尊敬語になっていないので、「に指摘ていただきました」という謙譲語の案を採用しました。「日本の方が指摘されました」という尊敬語の解決案は思い浮かべませんでした。(ウ1)の「指摘されました」についてのご説明はまだよく理解できていません。本当にありがとうございました。

1mizuumi
質問者

補足

>【指摘されました。】は受身で、主語は:『私の書いた文「A」』です。 ゆえに正しい文章と言えるわけです。 話の中心(主題)が『私の書いた文「A」』から『私』に移動していないのでしょうか。 ・「A」は~と日本の方に指摘されました。 ・「A」は~と日本の方に指摘していただいた。 『「B」と表現したほうが良い』を「~」に置き換えて、基本的な構造からみると、上記の二つの文は同じような感じがします。受身のときの「対象+に」と「対象+にしてもらう/いただく」のときの「に」は同じ役割なのでしょうか。

  • lens2009
  • ベストアンサー率38% (14/36)
回答No.6

No.4です。 まず最初に誤解されないように言っておきます。 No.3さんにケチをつけようとするものではありません。 質問者さんの日本語学習の助けになればと思い書いています。 No.3さんのNo.5での回答もとても深い洞察で、私自身多くを 勉強させて頂きました。 少し補足しておいた方が良いと思いますので書かせてください。 「と」の前の「引用節」についてですが、直接引用と間接引用があります。 「私の書いた文・・・」とすれば間接引用です。 「あなたの書いた文・・・」とすれば直接引用です。

1mizuumi
質問者

お礼

 ご親切に教えていただきありがとうございました。

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