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「気づかい」

 日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の「吾輩は猫である」の中の表現についてお聞きします。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html 『あたかも吾輩の水彩画に於けるがごときもので到底卒業する気づかいはない。』  文中の「気づかい」の意味がよく理解できません。「到底卒業する気づかいはない」とはどういう意味でしょうか。いったい卒業する見込みがあるでしょうか。  また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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noname#101110
noname#101110
回答No.3

No,2 です。 漱石の文章は江戸っ子らしく活気があってぴょんぴょん飛躍するので部分的にみれば意味が取りづらいことがありますね。でもそんなところがたまらな(く良)いという人も多いようです。 質問者様が出された文節の前段に主人公の猫が主人について書いたところがあります。ここでは、主人が習っている水彩画がなかなか上達せず、このままでは卒業は難しいだろう、そのことを当人も自覚しているようで、次に引用する日記の文章に書いている、とあります。 質問者様が質問されたのはまさしくその中核部分なのですね。 主人が冷ややかに観察している「放蕩者」を自身と比べて、彼が「放蕩者」を卒業することなどありえない、卒業してもらったらこっちが困る、という気分を「気づかいはない」と書いたのだと思います。 このあたり、かなり主人はこの「放蕩者」を意識して、ちょっと嫉妬しているような気配もありますね。ま、どっちもどっちじゃないか、という猫(つまり作者)の皮肉な視線が感じられます。

1mizuumi
質問者

お礼

 再びありがとうございます。わかるようになりました。ご親切に説明していただき誠にありがとうございました。

その他の回答 (2)

noname#101110
noname#101110
回答No.2

「きづかい 気遣い」は「気をつかうこと 心配」というほどの意味で、語義どおり解釈すれば「到底卒業する心配はない」ということになります。 猫の主人の知り合いの放蕩家を主人が批判して、”放蕩をやめてその上の境地に入ったと自任しているつもりのようだが、なに、あいつが到底放蕩をやめられるわけはないさ”、と自分の水彩画の上達が思うようにならないことに引っ掛けて自虐的に、ユーモアをこめてちくっているところですね。卒業する見込みはありません。 >いったい卒業する見込みがあるでしょうか。  見込みは あるのでしょうか と変えたほうが自然ですね。

1mizuumi
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。とても難しいです。もう一度説明していただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

1mizuumi
質問者

補足

 「到底卒業する心配はない」という直訳はわかりやすいです。しかし、この意味だとすると、「卒業できる」という意味になるのではないでしょうか。十二月一日の日記という段落の意味はよく理解できませんでした。

  • born1960
  • ベストアンサー率27% (1223/4397)
回答No.1

「卒業する気が無い」だと思います。 「卒業するつもりが無い」ってことですね。

1mizuumi
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。まだよく理解できていません。もう一度教えていただけないでしょうか。

1mizuumi
質問者

補足

 「気づかい」に「気」、「つもり」という意味はあるのでしょうか。

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