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「あれで」、「あれでも」
日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の「吾輩は猫である」の中の表現についてお伺いします。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/789_14547.html 『障子の内で御師匠さんが二絃琴を弾(ひ)き出す。「宜(い)い声でしょう」と三毛子は自慢する。「宜(い)いようだが、吾輩にはよくわからん。全体何というものですか」「あれ? あれは何とかってものよ。御師匠さんはあれが大好きなの。……御師匠さんはあれで六十二よ。随分丈夫だわね」六十二で生きているくらいだから丈夫と云わねばなるまい。吾輩は「はあ」と返事をした。少し間(ま)が抜けたようだが別に名答も出て来なかったから仕方がない。「あれでも、もとは身分が大変好かったんだって。いつでもそうおっしゃるの」』 1.「あれで六十二よ」の「あれ」は何を指すのでしょうか。 2.「あれでも」だけでは、どうも文がまだ終わっていないような気がします。どういう意味なのでしょうか。 また、質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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これは、明治の人のものの見方感じ方を知らないと日本人でも正しく理解できません。 「あれで六十二よ」 「あれ」はこの場合は、御師匠さんの見た目を指しています。(たぶん)若作りをして歳もはっきりせないようにしているのでしょう。当時は年代でどのような着物をきるとか云う暗黙のルールがありました(大体歳をとれば地味なものになってゆきます)。見た目では大分若く見える(見せている)けれどもと云う気持ちがあります。 「あれでも、もとは身分が大変好かったんだって。いつでもそうおっしゃるの」 この御師匠さんは二絃琴などを教えています。当時は浄瑠璃や常磐津などの師匠は芸者あがりと云う人が多くあまり身分の高い扱いはされませんでした。二絃琴はそれよりは多少なりとも上ですがそれでもこのようの教授はやはり余り良くは思われませんでした。しかもこの御師匠さんのもの云いはあまり身分が高い様には思えません。 そこで「あれでも」つまり「あのようななりふりをしているけれど」の意味になります。 しかも原文にこのあと出て来ますが、「身分が良い」も実は高貴の方の縁が大した事もない事が解ります。天璋院様は13代将軍の正室ですから確かに身分が高いのですが、その御祐筆の云々と云うと大した事はありません。なお、このようにごちゃごちゃと縁を並べてておかしみを出すと云うのは落語などにも良くあります。 ここの三毛子に、艶っぽい話し方をさせています。先に出てきた車屋の猫など共に飼われている家の主人の風を猫にもそまらせる事でおかしみを出すとともに風刺にもなっています。
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- hakobulu
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1.「あれで六十二よ」の「あれ」は何を指すのでしょうか。 :「あれで」は「ああ見えて」と似たニュアンスですね。 二絃琴が大好きで、それを引きながら(疲れも知らないように)ああして楽しそうに歌っている。 『あれで(=あんなに元気そうに歌っているけど)もう六十二(という年寄り)よ』 という意味になると思います。 当時の平均寿命は 50歳以下だったようですから、62歳というのは相当の老齢だったわけです。 2.「あれでも」だけでは、どうも文がまだ終わっていないような気がします。どういう意味なのでしょうか。 :おそらくですが、「二弦琴のお師匠さん」というのが、あまり立派な 職業とは認識されていなかったのだと思われます。 「あれでも」は、 『今は二弦琴のお師匠さんという身分に落ちぶれているが(昔はもっと良い身分の人だったらしい)』 という意味になると思います。
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早速のご回答ありがとうございます。よくわかりました。本当にありがとうございました。
>「あれで六十二よ」の「あれ」 御師匠さん、もしくは御師匠さんの歳。 >あれでも 「ああ見えても」、「あの様な人でも」、「今はあの様に落ちぶれているが」などと言い換えられますね。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。理解できたように思います。本当にありがとうございました。