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歴史を断言してしまう学者
自分が実際にこの目で見たわけでもないのに大昔のことをこうだったと断言する 歴史学者や考古学者がいますね?例えば邪馬台国はまちがいなく○○にあったなど・・ それもいろいろな文献を読んでのことでまちがいない、と言い切る学者がいます じゃあその他人が書いた文献ってどこまで信用性があるのか疑問ですが とにかく大昔の歴史を予想ではなく絶対にこうだ!と決め付ける学者などは 何を根拠にしてそのように言い切るのでしょうか?
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まともな歴史学者・考古学者であれば「断言」はしません。 「~の可能性が高い」「~の蓋然性が高い」「~の史料によれば~と考えられる」「私は~と考えている」というむしろ曖昧な表現をします。 故にまともな研究者の主張というのは一般の人にはわかりにくくかつ歯がゆく聞こえます。 逆に断言してしまう人の方がわかり安いので理解されやすく世間に受け入れられやすいというのが実態です。 一般の書店にある普及本ではなく学術論文を読んでみればよくわかるかと思います。 ただし、学説研磨のため論争をする場合はある程度断言・断定していかないと議論は進みませんので論争のための断言・断定はする場合があります。 「絶対にこうだ!」と言い切る学者がその根拠にするのは、充分な検証や確実な史料・史料ではなく「自分の信念・信仰」であるかと思います。
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- poccuru5
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直感と、発想、想像力。 大昔のことは記録に全て残っているわけではないし、その全てを知ることもできない。 だから、あらゆる考古学的データとこれまで積み重ねられてきた研究を考慮に入れながらも、 見れない部分のある程度を想像力で補うのは仕方ないと思います。 それがときおり妄信的な発言になるとすれば、 人は自分の見たい物だけを見たがるから、でしょう。 でも断言してしまう人というのは、だいたいは研究者とは名ばかりの、素人だと思いますよ。
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- Scull
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いや、「根拠が薄いのを自分で承知しているから断言する」のではないでしょうかね?十分な根拠があるのなら、その根拠をきちんと積み上げれば相手に理解してもらえるわけだから「断言する必要は全くない」訳ですよ。 それをわざわざ断言するという事は「それだけ根拠が薄弱なのを知っているからこそ」無理矢理説得しようとする為に断言したり決めつけたりするのでしょう。こういうのを「語るに落ちる」というのです。
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タイムマシンでも、持たない限り、100%の検証は、できないと、思います。 たとえ、複数の文書の一致があったとしても・・・だと、思っています。 学者では、ありませんが、私は、ある、考証家が(断言系、他者を批難系)が、大の苦手です。 「思います」「思われます」「考察されます」・・・だと、弱い・・やられる・・と、思い込んでいるのだと、思います。 私は、それぞれが、独自の歴史観があっていいと、思っています。
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- Firmament
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歴史に「絶対」はありません。 現在の事件ですら、真相がはっきり分からなかったり、裁判で間違った判決が下されることがあります。 ましてや昔のことが「間違いなくこうだった」と断言できるわけがありません。 自説を断言するのは単なる言葉のあやで、自説に自信があることの表れとでも考えればよいのではないでしょうか。
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- myeyesonly
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こんにちは。 私は「xxは絶対…」などという人は三流の学者だと思っています。 よってその人の著書などは殆ど当てにしません。 ご質問の通り、自分の目で現物を見てないのですからいえるのは「xxはこうであると考えられる。その根拠は…」となるのが当然だと思います。 非常に沢山の、あるいは確実性の高い根拠があり、それ以外の状況は考えられない、というような場合はその著書なり論文なりに十分説得力のある根拠が示されているので、そのような疑問はそもそも湧かないと思います。
お礼
ありがとうございました
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