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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:聖書を材料とする、人類史の神話性と歴史性)

聖書を材料とする、人類史の神話性と歴史性

このQ&Aのポイント
  • 文字を導入する教科書に神や信仰について書かれたことが好まれる傾向を私は指摘しましたが、その類例や例外に関して何か証言をお願いします。
  • イエス実在への疑念について、何か参考として記述できることがあったらご回答として参加してください。
  • 歴史的にイエスを考察した、最後の論考への意見募集です。

質問者が選んだベストアンサー

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  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率64% (1056/1648)
回答No.2

<質問1について> 儒教文化圏に属する東アジアにおいて文字を導入する教科書として用いられたのは論語であり、それは神や信仰についてではなく、孝行や仁義など世俗的な道徳について書かれたものです。日本も例外ではなく、古事記によれば論語がもたらされたのは応神天皇の時代で、欽明天皇の時代の仏教伝来(538年?552年?)よりずっと前ですし、すでに仏教が広まっていた奈良時代でも、文字の練習に広く用いられたのは論語だったことが、習書木簡の出土によりわかっています。

Flareon
質問者

お礼

1さん、2さんの回答で、一つ分かった。 どちらの意見も痕跡が残っているのだろう。 しかし内容は継承されていない。 事実関係はともかく、文字を学習するには、神学には優位性がある傾向だろう。 その事実は神話のスタートと言えて、そうした根拠がないと歴史は成立しないのではないかと、生活における経験則から考えてみるよ。 お二方さんありがとう。 要するるに私が取り上げたのは歴史の検証としては成立しないんだね。 まあいい、 神話と歴史の分岐点や関連性がテーマで、いい収穫だよ。

Flareon
質問者

補足

考古学的に年代の誤差があるようだけど、傾向だけはまあまあだね。 博識ある皆さんありがとう。

その他の回答 (1)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11072/34514)
回答No.1

>さて、日本で文字である漢字が初めて導入したのは、仏典の輸入が動機であった。 と、されていた時代もありましたが、近年は弥生時代の遺跡から硯が発見されています。 https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%B8%AD%E6%9C%9F%E3%81%AB%E7%A1%AF%E8%A3%BD%E9%80%A0%E3%81%8B-%E7%B3%B8%E5%B3%B6%E3%80%81%E5%94%90%E6%B4%A5%E3%81%AE%E9%81%BA%E8%B7%A1-%E5%9B%BD%E5%AD%A6%E9%99%A2%E5%A4%A7%E3%81%AE%E6%9F%B3%E7%94%B0%E6%B0%8F%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%80%8C%E5%9B%BD%E5%86%85%E6%9C%80%E5%8F%A4%E7%B4%9A%E3%80%8D/ar-BBTPlby#page=2 この記事によれば、弥生時代中期には「国産硯」が作られていた可能性があるということですから、日本に文字がもたらされたのはかなり古い時代であろうと思われます。 >文字を導入する教科書に神や信仰について書かれたことが好まれる傾向を私は指摘しましたが、その類例や例外に関して何か証言をお願いします。 上記でもあるように、仏教より先に文字が入ってきたのはどうやら間違いないので「まず信仰ありき。しかるのち文字ありき」というのは考えづらいのではないかなと思います。 世界最古の文字のひとつはシュメール人の楔形文字で、おそらく商取引の記録を残す必要性から生まれたのではないかといわれています。記録を必要とするのは商取引なんですよ。「いった」「いわない」を避けるためにね。 その象徴が他ならぬ一神教で、一神教と人類との間には「契約が結ばれた」とされています。旧約聖書や新約聖書の「約」とは契約の約なのです。インディージョーンズでもお馴染みの「聖櫃」は、神様と人類の間に交わされた契約書(の石板)を入れる箱でした。 >王と神の一元の文明の根拠がいまだに揺るがない、日本という地上に存在する唯一の真の王国では これってひょっとして天皇が現人神であるということを指しているのですか?それこそ、それは明治政府がキリスト教をモチーフにして考え出した「新興宗教」ですよ。日本神道は経典も教祖もなく、儀式だけが存在しているので、学問的には「宗教」には該当しません。宗教には、教祖、経典、儀式の三拍子が揃う必要があるのです。

Flareon
質問者

お礼

1さん、2さんの回答で、一つ分かった。 どちらの意見も痕跡が残っているのだろう。 しかし内容は継承されていない。 事実関係はともかく、文字を学習するには、神学には優位性がある傾向だろう。 その事実は神話のスタートと言えて、そうした根拠がないと歴史は成立しないのではないかと、生活における経験則から考えてみるよ。 お二方さんありがとう。 要するるに私が取り上げたのは歴史の検証としては成立しないんだね。 まあいい、 神話と歴史の分岐点や関連性がテーマで、いい収穫だよ。

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