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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:卑弥呼が日本の歴史書に詳しく記されていない理由は?)

なぜ卑弥呼が日本の歴史書に詳しく記されていないのか?

このQ&Aのポイント
  • 卑弥呼が日本の歴史書に詳しく記されていない理由は、卑弥呼が日本で嫌われた売国奴であり、魏に支援を頼んだことで親族の卑弥弓呼に殺されたためです。
  • 日本の記紀において卑弥呼に関する記述は数行で済ませられており、他の文献でもほとんど無視されています。これからも卑弥呼は日本にとっては重要な存在ではなかったと示されています。
  • 魏志倭人伝には卑弥呼と卑弥弓呼の対立や卑弥呼が魏に援軍を頼んだことが記されています。卑弥呼は軍事面では卑弥弓呼に敵わず、売国奴行為と見なされて殺されました。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

その可能性は否定できないですね。 卑弥呼は戦前は無視されていました。 第二次世界大戦後から日本の教科書に出てきました。 確かに日本書記や古事記はほぼ無視するか軽視しているのですから 重要な人物とみなされていなかったのは事実ですね。

vyhhimuko
質問者

補足

その通りです。 戦後出た教科書やGHQによって広められた説をうのみにする人が多いですね。 全く嘆かわしいことです。

その他の回答 (4)

  • misa-on28
  • ベストアンサー率35% (227/640)
回答No.4

近代的国家が成立する以前の「くに」の時代に、「売国奴」という概念を持ち込む事に何か意味が見いだせるのでしょうか。とくに古代の漢民族の帝国は朝貢体制(貿易)で、近代以降の帝国主義とは違った形態と考えるべきでしょう。 >最近の最も有力な説の倭迹迹日百襲媛命ですが、この人の場合には最後には陰部に棒が刺さって死んでいます。(これは最後には売国奴と死んだことを表しています) ホトを棒で突いて死ぬと売国奴となるのなら、アマテラスの衣装のための布を織っていた天服織女(あめのはたおりめ)も売国奴だったことになります。彼女はスサノオが天斑馬を逆剥ぎにして天服屋に落とし込んだのを見て驚いて「梭(ひ)に陰上(ほと)を衝きて死にき」とあります。 かわいそうな天服織女(あめのはたおりめ)が売国奴でないのは明らかです。 とすると死に方からして倭迹迹日百襲媛命が売国奴であったというのは無理がありますね。 どちらかといえば珍説に属するものだと思えます。

回答No.3

卑弥呼って天皇のねーちゃんだから 天皇が姉の指図であれやこれやと大和の政治を動かしてたってのは 聞こえが悪いからでは? それに魏志倭人伝をちゃんと読むと邪馬台国は現在の奈良県付近にちゃんとたどり着きます まぁ卑弥呼の占星術は眉唾だったかも知れませんよ?

回答No.2

ざっと読んで、多くの誤りがあるのを指摘しておきましょう。 まず記紀には卑弥呼は書かれていません。なので『記紀に書かれている誰それが卑弥呼』などという話は全く意味がないです。 記紀はヤマト王権の記憶であり、卑弥呼や邪馬台国とは直接関係を持っていなかったために記紀に書かれていないと考えるのが妥当でしょう。卑弥呼などが書かれている三国志は4世紀ころ、記紀は7世紀ころに書かれたもので、300年程度の時間差があることは留意すべきです。 魏志倭人伝に書かれている内容についてですが、これは最近まで間違えて読まれてきていました。挙げられた文章もその間違いに基づいて書かれている部分が多いです。 どこが間違えているかというと卑弥呼の死亡した時期です。卑弥呼は1回目の朝貢の後、おそらく2回目の朝貢の前に死亡しています。3回目の朝貢が、魏に助けを求めたものですが、このときはすでに台与が女王です。なので、魏に助けを求めたのは卑弥呼ではなく、卑弥弓呼は卑弥呼後継争いには関与してないなど、挙げられた文章のほとんどが書かれた人の妄想でしかないということになります。 簡単ですが、このあたりで(時間がなくなってしまいました)

  • mpascal
  • ベストアンサー率21% (1136/5195)
回答No.1

大和政権、特に日本書紀を編纂した持統天皇が歴史から抹殺したかったのでしょうね。(古事記にも出てきませんが)

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