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「平和」の名言でよくある間違い。

Peace cannot be kept by force. It can only be achieved by understanding. 平和は力によっては維持できない。 理解によってのみ平和は達成される。 理解によって「のみ」と言うのは間違い。 正しくは、「平和は、力と理解のバランスが保たれている時に達成される。」 ではないでしょうか? みなさんはどう思いますか?

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noname#214841
noname#214841
回答No.10

>>みなさんはどう思いますか? ゼノンのパラドクスでは、なぜか、平和が保たれてゐます。もちろん、それは「力」による維持ではありません。 では、「理解」による平和なのか。いや、違ひます。約半数は状況を理解してゐません。ただし異変には気付いてゐるやうです。 平和を達成する新しい鍵が、ここにあるのかもしれません。「力」でもない「理解」でもない何かが。

noname#197520
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >平和を達成する新しい鍵が、ここにあるのかもしれません。「力」でもない「理解」でもない何かが。 新しい妄想暇つぶし娯楽ができました。ありがとうございます。 その方向性で、ちょいと妄想してみようと思います。

その他の回答 (10)

noname#214841
noname#214841
回答No.11

ゼノンのパラドクスを読んで感じるのですが、理系の人は、純粋なのでせう。異変に気付いてゐても、何度でも回答してくれます。しかも、純粋な回答を。いちばん平和を楽しんでいるのは、かういふ人たちのやうな気がします。争ひの種を持ち込んでも、平和が実現するといふのは不思議です。

noname#197520
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

noname#214841
noname#214841
回答No.9

こんにちは。 1,>平和は力によっては維持できない。 理解によってのみ平和は達成される。 2,>平和は、力と理解のバランスが保たれている時に達成される。 現実的には2です。私もさうおもひます。 ゼノンのパラドクスのやうに数学カテゴリ的なものとはことなり、社会学的な理論は、普遍性が乏しくなります。一面の真理、といつた要素が強い。 1と2で見解が分かれるひとつの原因は、個人と国際社会の関係をどう捉へるか、そこにあると見てゐます。 少数の集団であれば、理解のみで平和を保つことがある程度可能です。しかし、国際社会では、きはめて困難です。かりに、すべての個人が平和を愛したとしても、その求める平和の内容が異なれば、平和にはならないかもしれません。 細かく分析してゆけば、すべてが解明される、かういふ還元主義的姿勢を私は好みません。遺伝子を解明すれば、生物そのものがわかる、などといつた考へ方のことです。小さく分析された事実は、あくまでも小さな世界で通用するにすぎず、それ以上でも、それ以下でもありません。 かういふ西洋至上主義的見方よりも、東洋的な「木を見て森を見ず」といふ警告のほうに魅力を感じます。それぞれの「木」をどれほど深く知つたとしても、全体としての「森」を理解することはできません。 個人レベルの、もしくは少数レベルの「理解」による平和の考へが、そのまま全体としての国際社会に通用するのか。私はすこぶる疑問に感じます。 遠い将来のことはわかりません。しかし、「今」を見るかぎり、2をとらざるを得ません。 >>究極の日本国民への人権侵害である拉致問題。 すくなくとも、現実のかうした問題を心から解決したいと願ふなら、「きれいごと」だけですませてはいけないと思ひます。

noname#197520
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.8

1,>平和は力によっては維持できない。 理解によってのみ平和は達成される。 2,>平和は、力と理解のバランスが保たれている時に達成される。 格言として風格があるのは、やはり 1 でしょうね。 「そうでなきゃ!」という前向きの気分にさせられますよ。 これは少なくとも間違いではありません。人類の夢がこもったものです。 積極的な価値がこめられていなければ、格言はただの言葉でしかないと思います。 2 は、ただ、現実の追認、といった平凡な意味しか感じられません。まあ、とりあえずは間違いではないと思いますが。

noname#197520
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >格言として風格があるのは、やはり 1 でしょうね。 確かに。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.7

力の側に理解を求めます。

noname#197520
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 日本の「拉致問題」「竹島」「尖閣」に関して言えば、それはとっくの昔から今現在もやっていますが、このザマです。

回答No.6

NO1さんの回答を読んで思ったのですが、 力によって維持される平和って、見せかけの平和だけのような気がします。 力の均等によって、戦争は起こらないかもしれませんが、 戦争のない世界=平和とはならない気がします。

noname#197520
質問者

お礼

その回答の私の返答は、読んで頂けたでしょうか? 平和とは何か。真剣に考えた方が良いと思います。 回答有難うございました。

回答No.5

#2の者です。 >しかし、少なすぎる軍事力も侵略を誘発します。 「少なすぎる軍事力」だけのように見える場合も、必ず「相互 依存の深まりを理解できない政治家や国民の短絡的判断」 が伴います。 生産力(一般市民の命)を奪う事が勝利の条件となった現代 の戦争において、勝者は存在しないのです。 我々の身の回りの物は衣食住全て世界中から来ている= 世界中の人の順調な営為に拠っている(土地や資源が豊か さの条件の時代は終わった)=勝っても損(=負け)。

noname#197520
質問者

お礼

>「少なすぎる軍事力」だけのように見える場合も、必ず「相互依存の深まりを理解できない政治家や国民の短絡的判断」が伴います。 「理解」だけで平和的に物事を進められると、本当に自負するのでしたら、その知恵をお貸して下さい。 先生には、ブータンやソロモン諸島だけでなく北朝鮮にも行って、その知恵を拉致被害者奪還のためにお貸し頂けないでしょうか? 「理解によって、平和を実現出来る」と、思うのは大変結構な事と存じます。 ではどうやって拉致被害者の平和を実現するか。それを真剣に考えましょう。

  • 2014japan
  • ベストアンサー率22% (35/159)
回答No.4

おっしゃる通り、正しくない名言というものは、結構ありますよね。 私は、当分の間は、平和は、力のみでしか達成も、維持もできないように思えます。 文明が進み、人間自体がもっと進歩すれば、理解し合えるのでしょうが、 富を一部の人間だけが独占していて、食うこともままならなく、家もない、人々が溢れているのに、 他人の平和を理解させることは不可能でしょう。 理解すべき相手というのは、数人でしたら、お互いの理解を得ることは可能でしょうが、 数億人、数十億人レベルの理解は不可能なことでは、ないでしょうか? ですから、今現在、現実には力によって、取り敢えずの平和を維持しているのではないでしょうか?

noname#197520
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 おっしゃる通り。今の時代の平和維持は、「力」と「理解」では、「力」の比率の方が高いのだと思います。いずれはその比率を、「力」より「理解」が高くなる世の中になるのが理想でしょう。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.3

現代戦争の原因の多くは資源と領土です。 この傾向は30年戦争を境に強くなっています。 イラク戦争が石油目当てだったことは、国際政治学者 の間では通説です。 EUは石炭と鉄鋼を巡る争いを阻止するための組織が 前身です。 石油の宝庫リビアに内戦が発生するや欧米は軍事介入 してさっさと沈静化させましたが、 石油が出ないシリアは放置プレイです。 戦争は、国益を図るために行われるものです。 そこに理解云々が介在するものでしょうか。 一方、冷戦時代は、米ソはとうとう戦争をやりません でした。 それは武力が抑制力を発揮したからです。 現在、米国に正面から戦争をしかける国は存在しません。 核武装した国は侵略されたことがありません。 悲しいけれど、平和は武力によって維持される、 てのが正しいと思います。

noname#197520
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >悲しいけれど、平和は武力によって維持される 歴史を見れば、認めざる終えませんね。 でも、力「だけ」だと、今の中国みたいになるので(いずれ内部崩壊します。予言します。ただ、いつするかは分かりません。)、力と理解のバランスが重要。

回答No.2

戦争は、1つの短絡的判断でなされるが、 平和は、無数の深い認識に基づく、不断の 判断によって成る。 「力の拮抗による平和」という短絡的な考え の失敗の証しが、間断ない戦争の歴史だ。 分業化による相互依存の深まりと、その 自己の生命性の社会的拡張を自覚化し得る、 認識の深まりによる、内発的平和こそが真に 持続的であり得る。

noname#197520
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 プロフィール先に、リンクされている数々の海外の写真、良いですね。 癒されました。 ただ、先生と私は安全保障に関しての考え方に相違があるようです。 内発的平和は、重要だと思います。それがあれば戦争に発展しなかった歴史のifはあるでしょう。 しかし、それだけでは平和は維持できません。 他国と比べて高すぎる軍事力は、侵略を誘発します。アメリカが戦争狂なのはこれが理由です。 しかし、少なすぎる軍事力も侵略を誘発します。 いま日本の置かれている、「竹島の領土侵略」「尖閣諸島の主権侵害」「日本国民への重大な人権侵害である拉致問題」 これらは、日本の少なすぎる「力」が元で誘発された他国の侵略行為です。 日本人は、世界のと比較しても、極めて平和的な思想を持っている国民性です。日本人に内発的平和が足りないとは思いません。内発的平和だけでは、平和は維持出来ないのです。

回答No.1

>みなさんはどう思いますか? どっちも正しいよ。単に、片方が「理想」で、もう片方が「現実」ってだけ。 理想を語るも良し、現実を語るも良し。 だけど、理想を語るからといって現実を語る人を否定してはいけないし、現実を語るからといって理想を語る人を否定してはいけない。 貴方の >と言うのは間違い。 >正しくは と言う発言で「ある一方を主張したいが為に、他方を否定している」ってのが判る。 少なくとも、質問者さんは「異なる意見の他者」を理解しようとはしていないよね。 こういう「些細なこと」でも「他者が理解できない」んだから「平和」なんて「幻想」でしかない。「今はの日本は平和だろ」って思うかもしれないけど「見せ掛けだけの平和」なのかも知れないし。

noname#197520
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >「今はの日本は平和だろ」って思うかもしれないけど「見せ掛けだけの平和」なのかも知れないし。 はい、その通り。今の日本は「見せ掛けだけの平和」です。 竹島の領土侵略や尖閣諸島の主権侵害。そして、究極の日本国民への人権侵害である拉致問題。 こんな状況が、平和の訳がありません。