- ベストアンサー
宗教についての質問に困っています
- 私は何の宗教にも属していないと答えたいですが、宗教的な事であるため、失礼にならないように気を付けたいです。
- 私の家族は面倒くさがりだからクリスマスを祝わないと伝えたいのですが、宗教的な事と誤解される可能性もあるため、注意が必要です。
- 彼女には「何の宗教にも属していない」と誠実に伝え、私の家族がクリスマスを祝わない理由は単に面倒くさがりだからであり、宗教的な意味はないことを説明したいです。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
神道と仏教の信者を足すと日本の総人口より多いのは、信者がかぶっているからなんです。 昔風の家ならば仏壇と神棚があるものです。 大昔は神仏習合していましたし。 だからお寺だか神社だかイマイチ分からない感じがあったり・・・・・ 自分が興味ないとしても、外国人と話したらありうる話題ですよ?宗教や文化って。 タブーになりやすいのと同時に興味を持たれやすい分野です。 「興味がない」で済ませてしまって良いものか。 せっかくの機会だから、自分の国をするために少し調べてみたらどうでしょうか。「文化」として考えては如何? 自分は宗教的な人間ではないが、季節行事や習慣としては、大晦日にお寺に行ったり、新年に行く、とかいう説明もできるでしょうし。 我々は意識してなくても仏教や神道的な文化の影響をどこかしら受けてると思いますよ。 「宗教にこだわらない現代的な西洋人」と比べても、やっぱり感覚が同じではありませんもの。一神教じゃないし。
その他の回答 (5)
- Him-hymn
- ベストアンサー率66% (3489/5257)
1、 何の宗教にも属していない。 There are two kinds of religions in the world. One is a religion that serves one God, namely, Judaism, Christianity, and Islam. These religion has the same Scriptures (the first five books of the old Testament). They are similar im many ways. The other is a religion of philosophy and doctrine. Even Buddhism in its origin had no gods. It has an after-death world, and reincarnation, but no gods. It teaches you how to live, rather than what to believe. Shintoism is this kind of religion. In this sense, I have shintoism, and yet, I cannot say I "believe in" shintoism, because it is just a philosophy. In Japan, most people do not admit that they believe in shintoism unless you dedicate yourself to a shinto shrine. In this sense, I do not believe in any religion, yet I do practice some of the shinto rituals, and I have shinto in my life as a part of Japanese culture. 最後の段落のような言い方でしょうかね。 2、私の家族は面倒くさがりだからxmasを祝わなかった This year, we didn't have Christmas decorations nor did we eat Christmas cake as many other Japanese people do. We are not Christians but usually, people in Japan "celebrate" Christmas as a wonderful European traditional culture that we can respect. この程度の書き方なら、言い分けじみてもわかってもらえると思いますが。
お礼
ありがとうございました!
- phj
- ベストアンサー率52% (2344/4489)
アメリカに住んでいたことがあります。 この問題はものすごく難しいのです。 まず日本人は「私たちはなにも宗教がない、無宗教だ」と答える方が多いのですが、これは世界的な「宗教」という考え方とそもそもずれているのです。 日本人は生まれたら神社に行き、葬式は仏教で行い、毎年正月にはどちらかに初詣に行きます。結婚式は憧れのある西洋式(キリスト式)で行っても、基本は神道であり仏教である、と手紙の相手は考えているようです。 その理解が I know majority of Japanese people are Shinto, but there is also Buddism でこの文章を見ると、彼女は「日本人はふたつの宗教を信じている」と考えているようです。しかしこれは、そもそも彼女が「一神教」の教義を念頭に考えているから「一つではなく二つぐらいなら日本の長い歴史を考えればありえるかもね」という理解なのです。 しかし、これは日本の「宗教」を間違って捉えていますし、この理解では、質問者様の 1、 何の宗教にも属していない。 2、私の家族は面倒くさがりだからxmasを祝わなかった を説明することができません。 では、一般的な日本人はどんな「宗教」をもっているのでしょうか。 日本人の宗教をひとことで言うと「アミニズムを基本とした多神教」ということになります。アミニズムというのは神道ということでもありますが、もっと原始的に「何にでも神様がいる」という考え方です。 たとえば、山には山の神がいて海には海の神、箸には箸の神がいて、針には針の神、道場にも神聖な神がいる、とされている、ということでだから針供養とか山頂に注連縄を張ったりとか、道場の出入り時には礼をしたりするのです。 これらの目に見えない神と有名な神(出雲大社とか八幡様とか)が居て、八百万の神々がいるのが日本の宗教の原型であり「いただきます」もこれらの神様が与えてくれる恵みに感謝するから「ご馳走様」と共に食事の前後に言うのです。 つまりこれは「お祈り」ですから、いただきます、を違和感無く言っているのであれば、あなたは「日本的宗教の信者」といえます。この宗教をシントウ(アミニズムを含む神道)と書いていきます。 しかし「シントウ」という概念は日本人でさえ意識していないのですから、一神教を基本に考えている外国の人にわかるわけがありません。 ただここで重要なのは、日本人は「1、 何の宗教にも属していない。 」とは言えない、ということなのです。 また日本人が自分たちで話をややこしくしているものに仏教があります。仏教を日本人が信じるようになったのは歴史的な経緯があるのですが、最初仏教を信じようとした人たちは神道の神社を壊して回りました。明治になって天皇と神道を合体させたときは、仏教を排除しようとしました。 しかしそれらの争いが治まると、大部分の日本人は古来から日本人が信じてきたシントウと仏教を融合することにしたのです。これを本地垂迹説と言い「日本ではアマテラスオオミカミという一番偉い神様は、インドでは大日如来として知られていて、それが日本にやってきたんだ。だから神道も仏教も同じ神様の別の言い方だ!」と昔の人は考え受け入れたのです。 これにより日本では、ずっと長い間神道と仏教が共存できるようになり、シントウとして日本人の心の宗教となっているのです。 さて、本地垂迹はなにも仏教だけを取り入れているわけではありません。明治以後に入ってきた西洋の神様も取り入れてしまっているのです。 つまりキリスト様は「よく分からないけど、西洋にはキリスト様というとっても偉い神様が居て、大日如来様と同じぐらいえらいらしい。その誕生日が12/25でクリスマスというらしいんだけど、そんなに偉い神様ならいっちょ祝ってあげよう」と心やさしいシントウ信仰者である日本人は考えたのです。そして、街中にイルミネーションを飾り、ケーキを配ってみんなで楽しく祝うことにしたのです。 だって、クリスマスツリーというきらびやかな飾りを祀って、プレゼントをもらえるなんて、ものすごくありがたい神様に違いないからです。 これが質問者様の言う「2、私の家族は面倒くさがりだからxmasを祝わなかった」の本質です。 つまり日本人はシントウ信仰者として八百万の神のひとつとして(それもかなり有名な神として)キリストを受け入れ、12/25を祝うことに決めたのです。 ところが質問者様は、シントウ信仰者として、クリスマスがお正月やお盆並みに義務化されて街中がお祝いムードなのに「メンドクサイから」という理由でお祝いしないことに決めたということなのです。 いずれにしても一神教の文化と価値をもつ、外国人に説明するのはものすごく難しいですし、これをこのまま書いたら、本気のキリスト教徒ならむしろ怒ってしまうぐらい失礼(向こうから見れば)なことなのです。でも私たちは日本人であり日本的なシントウ信仰ですからどうしようもありません。 ですから私は彼女に対してこういう風に書くことをお勧めします。 ○○さんは、日本に神道と仏教があることはご存知なのですね。しかしほとんどの日本人は神道や仏教を含んだ多神教(Polytheism)なのです。そして八百万の神々がいると言われています。 日本人は多神教の神々の一つとしてキリスト教の神も受け入れますし、12/25は尊敬に値すべき日であり神様をお祝いする日でもあるとも考えています。 しかし、私は日本人の中でも信仰心の薄いほうなので、25日に特段の配慮をしなかったのです。私たちは多神教ですから、どの神々(ここを複数形にするのは重要)または仏様を特に大切にするかは、その人によって違うのです。 ある人は近くの神社の神をとても大切にしますし、ある人は先祖を大切に考えます。またある人はキリスト教の神を大切に考えるかもしれません。しかし、日本人で本当の意味でのキリスト教徒やイスラム教徒は本当に少ししか居ないのです。 キリスト教徒である貴方には、失礼に見えるような考え方かもしれませんが、私たち日本人にはそれが一般的な宗教なのです。だからこそ、日本中に神社やお寺さらには教会などもたくさんあって、共存できるのです。 私は貴方の宗教心を尊敬していますし、お互いの文化の理解が深まることを望んでいます。 こんな感じでどうでしょう。 最近アメリカでも他宗教の人々に配慮して「Merry Christmas」と言わず「Happy holiday」と言い換えるようになってきています。 しかしこれも「他の一神教に配慮」しているのであって、多神教としてはキリストを神々のうちの一つ、と受け入れれば別に「メリークリスマス!!」で一向に構わないわけです。 外国の方と話されるときに「無宗教」と言うと、悪魔でも見るような顔をされることがあります。つまり人間なら信仰がある(同じ宗教でなくていいから信仰はある)というが世界一般の理解であって、もちろん日本人はかなりの信仰心をもつ文化を有しています。 それを自分たちの無理解で「無宗教・無信仰」と表現してしまう人が多いのがとても残念です。
お礼
ありがとうございました!
- sporespore
- ベストアンサー率30% (430/1408)
詮索するの嫌だけど、あなたの宗教は・・と言うのは失礼な。 If you do not like to pry, please keep it as is. I hope you respect me as I am. と言ったらどうですか。「人の詮索が好きではないのならばそのようにしておいてください。私を私のままにしておいてくださいね。」 そのあとは、日本の神道と仏教について聞いているだけです。仏教の僧を知っていて黙想したみたいです。 神道には神殿があって、仏教にはお寺があるのですよね。そうですか。 と聞いているだけ。 本人はクリスチャンで三位一体説を信じている。(つまり、プロテスタントです。)で、ほかの宗教を尊敬していると言ってます。つまり、クリスチャンでなければダメとは一言も言ってません。 で、1は If you do not like to pry, please keep it as is. I hope you respect me as I am. で、OKでしょう。つまり、直接答えません。その必要もありません。 2.あなたがクリスマスを祝ったかどうか聞いていないので、このような返事をする必要はありません。最後は「良いお正月を・・・」と言ってるだけです。 因みに、日本政府が宗教団体に信者数を聞いて統計を取ったデータでは、神道と仏教の信者がそれぞれ一億人ずつ。キリスト教は約300万人です。日本の人口が1憶3千万ですから、宗教団体が水増ししてデータを提出したようです。 それから、神道は天皇が神様だとして派生した日本古来の宗教。仏教はインドからきた宗教ですよね。
お礼
ありがとうございました!
- princelilac
- ベストアンサー率24% (1618/6634)
1、 何の宗教にも属していない。 I am not religious. ※ I don't believe in religion (または god). I have no religion. という言葉は、キリストやアラーのような唯一絶対神を信じる人にとっては、積極的な神の否定に聞こえることがあります。 日本語での「無宗教」は中立的な言葉ですが、「否定」に繋がる可能性がありますので、注意が必要です。 2、私の家族は面倒くさがりだからxmasを祝わなかった これを英訳したら、とんでもない誤解を招きそうです。 『クリスマスを祝うのは、クリスチャンだけ』が、日本以外の国での常識です。この文は「クリスチャンだけどもクリスマスを祝わなかった」と聞こえます。日本語でもそのように聞こえるのですが、日本語でも「元々クリスチャンでもなく、だからツリーを飾ったり、ケーキを食べたりしなかった」の意味になり得ます。しかし、本来はクリスマスは教会へ行ってキリストの降誕を祝う典礼(ミサ)が行われますので、それに参列することが「祝う」ということになります。日本人が神社やお寺に行くのと似ています。
お礼
ありがとうございました!
- kabsc
- ベストアンサー率18% (2/11)
勝手にお友達はアメリカ人だとしますと、 宗教を信じていないというのは、考えられないことだと思います。 毎週日曜日に家族で教会に行き、お祈りをささげて、主(キリスト)のために 時間を割かないなんて。 でも日本人で、毎日、毎週仏壇に向かって手を合わせる人は、 知っている限り、おじいさんや、おばあさんであって、 自分やお父さん、お母さんでもない。 そこが、キリスト教やイスラム教の人達には信じられないことなんです。 おじいさんの時代までは信仰していて、それがその次の代では引き継がれない。 これを理解できるように説明するには、第2次大戦の敗北や長い歴史を説明しないといけません。 それを、英語を母国語としない我々が説明するのは大変です。 友達に嘘をつくわけではありませんが、彼らに理解してもらうのは大変なので、 その回答例として、以下を提案します。 自分たち日本人は、お正月に神社に初詣に行き、お葬式には、お坊さんに参ってもらう、 敬虔な神道であり、仏教徒であると言いましょう。 事実、神社・仏閣に行くとお賽銭を投げていますよね。 それで十分だと思います。 クリスマスを祝わないのは、仏教徒だし、キリストを実感していないから。 それで十分理解してもらえると思います。
お礼
ありがとうございました!
お礼
ありがとうございました!