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a drowned man

a drowned man の drowned は自動詞の過去分詞形ですか、それとも他動詞の過去分詞形ですか?

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回答No.5

Gです。 >fall は他動詞がないので、後者の可能性はないと思います。 drown は自動詞と他動詞があるのでややこしいのだと思います。 では、fallen leavesを考えたときに、自動詞だという知識があるから、他動詞としての使い方をしないから、風に吹かれて落ちた、というような受身のフィーリングは感じないかもしれませんが、冬になりかけているという季節のために・又季節外れでも寒くなったから落ちたという現象を示すためにこの表現を使う場合を考えたらどうなりますか? I love the fall season that make leaves fall. It's such a wonderful feeling to walk on those fallen leaves.という感じですね。 秋という季節が落とした葉、つまり落とされた葉ですね。 自動詞だから自然にそうなるということではないともいえるのです。 哲学的考えまで発展する話題であることかもしれませんが、昨日勉強した、I studied yesterday.といいますね。 しかし、ここにも「受身」の考えが存在するということに気がついたことがあるでしょうか。 今までの学校英語の試験文法では「人間・自然の持つ根本的な」事柄をとことんまで無視し彼ら(だけ)の自己満足のためにこのような文法用語を作ってしまったのです。 そして、その用語をいかにも「自然の起こり方」を無視していないとでも言うような教え方をしているわけです。 自動詞なのか他動詞なのか、文章の構造を考えたり、教えやすくするために「一貫した定義」を持たせたに過ぎないのです。 日本語でも英語でも、又どんな言語でも、それを使いきれる人は文法用語は必要ないのです。 I studied yesterdayに戻りましょう。 これは、本当に自動詞という単語だから云々というのでしょうか。  日本語では勉強「を」した、という他動詞的動詞ですね。 もちろん、勉強した、ともいえますが。 そして、何かが自分を勉強させたのですね。 受身だから勉強したわけですね。 自発的に勉強したといっても理由があるはずでその理由が「使役」したわけですね。 drownという動詞が他動詞としても使われ自動詞としても使われる、という知識が災いとなったと感じませんか? この知識がもしなかったらこの疑問は出なかっただろうと私は思うわけです。 the drowned manはあくまでも「おぼれた(死んだ)男」なのです。 結果しか見ていないのです。 つまり、おぼれることが原因で死んだ男だといっているのです。 He was drownedという表現から受身だということも出来るでしょう。 では、何が彼をdrownしたのでしょう。 ???となりませんでしたか? それとも、普通なら考えようともしないけど聞かれたからという理由で答えを探しましたか? 自動詞なのか他動詞なのか関係なく、drownedという形容詞だといったほうが分かりやすいと私は思いますがどうですか? 試験文法自体が使えない部分の学校文法であると同時に、雑学的な答えを求める質問を英語習得中の人に考え込ませることになってしまっているのです。 英語習得をより難しくしているともよく言われるますね。 私も共鳴するところです。 文法学者さんの自己満足だけのための試験文法であるわけです。 試験文法に長けているような巧みな説明は出来るけど解釈や英語表現に決定的な間違いが見られるのはこのカテでも私だけが感じることではないようですね。 ということで、今回のご質問は結果的にはいい質問だったと思います。 多くの人の目を開かせたものだと思います。

その他の回答 (4)

回答No.4

Gです。 こんにちは!! 日本を発ち今中国に来ています。 文法を知れば知るほど、文法学者さんの唯一の生きがいである「品詞わけ」の必要性を正当化できなくなるのが分かってくると思います。 つまり、fallen leavesの例を持ってこられていますが、秋になって自然の落ちた、というフィーリングなのか、それとも秋風に吹かれて落と「された」のか、本当にこのfallen leavesという表現が「気にしている」とことだと思いますか? 地面に落ちている葉っぱのことなのです。 木を揺らしたのか、枝が揺れたのか、雨の重みが関係しているのか、まったく関心のないことなのです。 そのレベルのことだというはすなわち落ちた理由(受動態なのか能動態なのか)はこの表現では出そうとはしていない、と言う事なのですね。 つまり、過去分詞であるということの「文法的知識」以上は必要ないということであり、それが自動詞なのか他動詞なのか、分かっても大きな問題ではないし、だからといって英語の表現力が高まるかというと文法学者さんの英文を見れば文法が表現力を高めているのではないということが分かりますね。 ですから、過去分詞であるという英語教養的知識を持っていることはいいことだと思います。(必要だとは私は思いませんが) しかし、過去分詞ではなく現在分詞であるという判断が出来る英語教養的知識があれば、その知識を使ってfalling leavesが地面に落ちている葉っぱのことではなく、まだ宙に浮いている葉っぱのことをいっているのだということを感じればいいのです。 他動詞なのか自動詞なのか、ここでも大きな問題ではないはずです。 ですから、今回のa drowned manも同じように、おぼれ死にした人、として結果だけを重要視する、でいいわけです。 他動詞の過去形なのか自動詞の過去形なのか知る必要を感じてしまうのですか? それとも、文法をやっていてふと疑問に感じたというだけのことですか? 文法の勉強には必要のない私権文法の「説明」を鵜呑みにしてしまいがちですからね。 (間違った解釈を試験文法的に「巧みに」説明されたために正しいと思い込んでいる人も最近よく見ます。 文法が分かる先生に持っていったら罰を食ってしまうのが心配ですが<g>) #1-#3産の文法的説明は私のためにもなっていますので、上は皆さんの回答への補足となります。 参考になりましたでしょうか。 理解しにくいところがあったり追加質問がありましたら締め切る前にまた書いてくださいね。 

exordia
質問者

お礼

いつもためになる回答をありがとうございます。 >つまり、fallen leavesの例を持ってこられていますが、秋になって自然の落ちた、というフィーリングなのか、それとも秋風に吹かれて落と「された」のか とありますが、fall は他動詞がないので、後者の可能性はないと思います。 drown は自動詞と他動詞があるのでややこしいのだと思います。

  • taked4700
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回答No.3

>つまり、「溺死させられた」という意味ですよね? どうして、自動詞の「溺死する」の過去分詞とは考えられないのでしょうか? fallen leaves のように落ちてしまった葉っぱ、と同じように「溺死してしまった」とはならないのでしょうか? そうですね。確かに、自動詞として理解した方が、いいですね。 ただ、a broken window にしても、日本語ですと、「壊れた窓」ですが、窓が自分から壊れることはないので、他動詞として「壊された」と言う意味のbroken を使うわけです。 同様に、fallen も、自分から落ちると言うよりも、風に揺られ重力に引かれて「落とされる」とも考えられます。 drowned も同様に自分からおぼれると言うよりも、自然の力に負けておぼれてしまったわけですから、一種の受身と取ることも可能だと思います。 実を言うと、自動詞とか他動詞と言う概念そのものが、混乱している面があるのです。自動詞の多くが、単に他動詞の目的語を省略したものと捉えることができるますし、その他にも、現在の自動詞・他動詞概念は、いろいろ混乱した面があるのです。また、形容詞や副詞と言う品詞分けも、混乱を生み出していて、違う分類の仕方と言うか、異なる理解の仕方の方が簡単になることがあると考えています。

回答No.2

えとぉ、かなり感覚的なことであまり役に立たないかも知れませんが、と前置きしつつ…。 結論から言うと、自動詞・他動詞の両方の過去分詞形だと解せるのではないでしょうか。 というか、その短いフレーズだけで決定することは難しいように感じます。 drownに限らずですが、自動詞というのは主語自らの動作の結果を述べているだけで、そうなる過程というか原因が主語自身の意志としてなのか、意志に関係なくひとりでになのか、或いは他からの力が加わったためなのかというのはハッキリとは確定しづらいor問題にしない言い方のような気がします。 「骨が折れた」と言う時のbrokeや、「窓が閉まる」と言う時のcloseなどは、実際は誰かに折られたor閉じられた結果かも知れませんが、自動詞の用法ではそれは特定しづらいというか問題にしていなくて結果だけを言っている感じもします。 そして、そんな自動詞の過去分詞形でも同じくあまり原因を意識せずに結果として、「~した、してしまった」という感じで動作の"完了"のニュアンスを加味しているように思います。 自動詞としてのdrownedであれば、不注意だったのか不慮の事故だったのか、或いは水死させられたという他殺であっても、とにかく「水などが原因となって溺れ死んだ」ということしか問題にしていない感じです。 一方、他動詞というのはその字の通りで他への動作の働きかけを表し、その過去分詞形は一般に「~された」という感じで動作の"受け身"のニュアンスを加味しているように思います。 つまり、骨折にしても窓が閉じたのにしても、或いはdrownedで示される溺死にしても、自らの意志でとか自然に独りでにといった感じではなく何らかの"外的要因"を意識している感じがして、特に溺死の要因が外的だということは暗に他殺を示唆している感じがします。 a drowned manだけでは前後の流れがあれば分かるかも知れませんが、とにかく溺れて死んだという事実は分かっても事故なのか殺されたのかという判別は普通は難しいと思います。 それはつまり、自動詞の過去分詞なのか他動詞の過去分詞なのかの判別も難しいことを意味するように思います。 何らかの修飾語句なのでの補足情報があって初めて判別可能な気がするのですが…。 また、自動詞他動詞のどちらの過去分詞由来にしろ、もはや別個に「形容詞」と見た方が良いという解説もあるようです。

  • taked4700
  • ベストアンサー率37% (777/2050)
回答No.1

A drowning man will catch at a straw.「おぼれる者はわらをもつかむ」にあるのが、自動詞です。 a drowned man は他動詞と考えるのが普通です。

exordia
質問者

お礼

ありがとうございます。 つまり、「溺死させられた」という意味ですよね? どうして、自動詞の「溺死する」の過去分詞とは考えられないのでしょうか? fallen leaves のように落ちてしまった葉っぱ、と同じように「溺死してしまった」とはならないのでしょうか?

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