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長文解釈 このasの用法は?

この英文に続くasが納得いかないのです! The case against boredom in school is the same as the case against the fear; it makes children behave stupidly, some of them on purpose, most of them because they cannot help it. ここまでは意味・構文ともに問題はありません。しかし、次の英文の【as】です。 If this goes on long enough, as it does in school, they forget what it is like to grasp at something, 【as】 they once grasped at everything, with all their minds and senses; they forget how to deal positively and aggressively with life and experience, to think and say "I see it! I get it! I can do it" セミコロンまでの和訳はこのようになっています。 「もしもこのことが、実際に授業でそうであるように、存分に続いてしまうと、彼らがかつて全ての思考や感覚を使ってあらゆることを理解していった【ように】、何かを理解するとはどのようなことかを彼らは忘れてしまうのである。」 この英文において1つ目のas it does in schoolのasは様態のasで「~のように」でなんら異論はありません。 しかし、2つ目のasは様態ではおかしくありませんか?「かつて、理解したように、現在、忘れてしまう」では日本語としておかしいと思います。私はこのasを対比としてた捉えるべきだと思いますが、どうでしょうか? つまり、現在と過去の対比でasの意味は「彼らがかつて~あらゆることを理解した【が】」ぐらいにとるのではないかと思います。 自信があまりないので、文法に詳しい人教えてください!

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  • ydna
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回答No.8

#1 です。 >辞書によっても、対比という項目すらないものもあります。 LDOCE Online と Merriam-Webster Online などでは、[対照]と考えられる語義区分はありませんでした。また、おっしゃるように、[対照]という語義区分をしていない英和もあります。 こういうことは、よくあることですね。私自身、高校時代に英英辞典を使い始めた頃、英和と比べ語義区分数に大きな差があることに驚きました。英語という「ものさし」だけで計れば、この訳語(語義区分)の数で済んでしまうのかと感じました。 そのころから、辞書の語義区分はあまり信じなくなりました。明らかに多義にまたがる使用例も多くありますから……。基本的に語全体のイメージ(コアと呼べるものでもないですが)を探るようになりました。特に as は多義ということでは悩みますね。 He didn't do it as I did.  おそらく[様態]ですよね。 He didn't do it, as I did. で、判らなくなります。音でいえば、pause が入るくらいの変化ですが……。 「私がしたので」[理由]、「私がした時に」[時]、「私はしたけど。」[対照]などの解釈が増えるように思います。 ========================= 今回の問題文について、#1で答える前に、1つ引っかかることがありました。 それは、質問者様と逆のことを感じたのです。問題の as は、[様態]に取れるが、その前の as の方が、どちらかというと [対照]ではないのだろうか、という疑問でした。 おそらく筆者としては、同じ用法(意味合い)の as を並べているつもりだろうと思いました。そうでないと、なんとなく読者に不親切です(わかりにくい)。  私としては、後の as の方が、with ... の助けを借り、[様態]に取りやすかったのです。同格的に、焦点の広い形から、焦点を絞る形への変化は、here in this town のようだと感じました。だから、後で焦点をぼかすより、先にぼかした状態を言いたいから、挿入したのではと思いました。 しかし、質問者様は、最初の as を[様態]と感じていらっしゃるなら、そのまま[様態]で、あとも[様態]なら、理解して頂けると思いました。 ========================= で、#1 の回答の後,調べてみました。たしかに、ジーニアスには、[対照]があります。[対照] の語義区分をしていない辞書もありました。その中で、興味深い記述を見つけました。 ロイヤル英和辞典 as ー conj >6 [[対比・評言]] …(するの)だが(whereas) ((▼仮定などに)対比して実情を述べる. 関係詞ともとれる. ↓pron 2)) >If I had been present. ~ I was not, I should have asked for it. 実はいなかったのだが、いたらそれを求めていただろうに 問題文の最初の as に似ています。また、別の辞書では、 小学館プログレッシブ英和中辞典 as ーconj >語法 as を含む節を、文頭・文中・文尾に挿(そう)入的に用い、意味を強めて「…のだが、実際…なので]などの意を表すことがある。 文中で使用された例だけ引用します。 > Written, as it was, in plain English, the book was easy to understand.  実際、平易な英語で書かれていたので、その本は理解しやすかった。 意味としては、 >意味を強めて という表記から強意的な意味合いだと思いますが、 この語法は、★[[様態]] ★の語法として記されています。「…のだが」の訳語を使えば[対照] の as に似ています。問題の as に似ています。Written, as it was (written in plain English), in plain English というように、同格的でもあります。 また、「実際…なので」の訳語を使えば、最初の as にも似ています。 ========================= ★ここまでで、2つの as は、おそらく同じ用法で、両方とも[様態]または、[対照]。[対照]を挙げていない辞書は、[様態]に含めている。[様態]の強意的表現と言える。★ 「両方とも、[様態]、[対照] として考えていい。」が、これまでの私なりの結論です。 #5 さんへの補足に書かれている貴訳でいいと思います。 少なくとも、挿入節であり、grasp 修飾には間違いありません。つまり、to grasp の to の支配下です。 everything の後のcomma は重要です。with all their... は、something に続きます。 なぜなら、semicolon の後を考えれば、what ... senses と、how 以下を namely 「すなわち……」と言い換えています。 「to grasp at something」と「to deal ....」は、イコールではありません。「to grasp at something with all their minds and senses」と 「to deal ...」がイコールです。 ========================= おまけ >このテキストは市販されているものではなく間違いは時々見られるので、間違っている可能性はあります。 ということなので、「多分、意訳だろう」と思って合わせたのですが、改めて全体を読むと、やはり、grasp は、[自動詞] としてきちっと訳出したほうがいいみたいですね。そうすれば、「grasp at something」と「how to deal positively and aggressively」、「to think ...」が言い換えであることが判りやすいと思います。 以上、再考させていただきました。いかがでしょうか?★

tasutasu9
質問者

お礼

再回答ありがとうございます! >>意味を強めてという表記から強意的な意味合いだと思いますが、 この語法は、★[[様態]] ★の語法として記されています。 まさにこれは私が考えていたことでした。ジーニアスにも―3a【様態】b【対照】―とまるで同じグループのように表記していました。つまり、様態という日本語のカテゴリーが大きいので、日本語で表現すると、いろいろな日本語を使うことができ、一番まとまりやすいのが、いわゆる“様態”の「~のように」という表現だと感じました。この質問を出したことで自分の英語レベルが上達したと思います。 本当にありがとうございました。

その他の回答 (9)

  • gamme
  • ベストアンサー率0% (0/8)
回答No.10

途中の回答をまったく見ないでも断言できますが、これは「様態の as 」でしかありえません。自信満々に見えるかもしれませんが、そういうやつが一人いるという事実が参考になると思います。

  • ydna
  • ベストアンサー率63% (179/281)
回答No.9

#1 です。すみません。おまけの中でエラーです。 >と「how to deal positively and aggressively」、「to think ...」 は、以下のように訂正いたします。失礼しました。 と「to deal positively and aggressively」、「to think ...」

回答No.7

あなたの最初の感覚が正しかったようです。 forgetまで含めて何度も文脈を考えると、非常に流れがすっきりすることが私にもわかりました。 ご自分の感覚に自身を持ってよろしいと思います。 X)Men usually like wrestling as women do not. 女性はレスリングを好まないが、男性は普通好きだ。 Y)Men often use confrontation as women often use negotiation. 男はしばしば対立するが、その一方で女はしばしば交渉する。 これは、X)Y)で前半と後半が逆になっていますが、言っていることは同じです。 Y)のほうが英文を頭から訳していくという現代の傾向にあっているというにすぎません。X)ならMen usually like wrestling とwomen do notを比較しているし、 Y)ならMen often use confrontationとwomen often use negotiation を比較しているだけのことなのです。 ですから、申し訳ありませんが、but等位接続詞の意味で考えるところでもないようです。 そうであるならば貴方のおっしゃるようにforgetまでを含めた考え方ができ、貴方の感覚どおりすっきりとした流れになります。 いずれにせよ、たいへん鋭いご質問だったようです。 勢いあまっていってしまいましたが、本が間違いかどうかはともかく、そのほうが明らかに流れが良いことは貴方にはお分かりになるようです。

tasutasu9
質問者

お礼

何度もありがとうございます!このテキストは市販されているものではなく間違いは時々見られるので、間違っている可能性はあります。ただ自分でも、ここまで解釈が分かれるとは考えていなかったので、実はまだ迷っていています。

回答No.6

>>they forget what it is like to grasp at something, 【as】 they once grasped at everything, with all their minds and senses 何回も何回も注意深く読んでみましたが、 ここでのasは譲歩ではなく、対照対比のasでした。 with all their minds and sensesは、現在と過去のどちらにもかかると考えられます。 つまり、 they forget what it is like to grasp at something with all their minds and senses, 【as=while=対照対比】 they once grasped at everything, with all their minds and senses 彼らがかつて全ての思考や感覚を使ってあらゆることを理解していった【のに比べ】、何かを理解するとはどのようなことかを彼らは忘れてしまうのである このようにasの前半と後半で大きく分かれます。様態のasは間違いです。 おっしゃるとおり、そうとらえないと文脈がおかしくなります。 その本の訳はそうなっているのでしょうか。 そうであれば間違いです。

回答No.5

ここに戻ります。 they forget what it is like to grasp at something, 【as】 they once grasped at everything, with all their minds and sensesですが something, 【as】 they once grasped at everything, withとカンマがありますから 【as】 they once grasped at everything,はご指摘のとおり挿入句です。ですから they forget what it is like to grasp at something with all their minds and senses 【as】 they once grasped at everythingのようなものとしてお考えください。 ASを対照ととった場合、ASはB-1、D-1「だが一方」のようにBUTに近い使い方でしたから、 they forget what it is like to grasp at something, 【but】 they once grasped at everything, with all their minds and senses 全ての思考や感覚を使って何かを理解するとはどのようなことかを彼らは忘れてしまうのである【しかしその一方で】、彼らがかつてあらゆることを理解した となり、意味が通らなくなります。 このようにASを対照ととった場合、AS以下を従属節としてFORGETを修飾する力が非常に弱いことは、B-2,D-2の例からもわかります。 対照とした場合は譲歩と違いますから they forget what it is like to grasp at something,【though】 they once grasped at everything, with all their minds and senses 彼らがかつてあらゆることを理解していった【けれども】、全ての思考や感覚を使って何かを理解するとはどのようなことかを彼らは忘れてしまうのである これはできません。これは譲歩の用法になってしまうので、ありえないことは、質問者の方にもお分かりかと思います。 したがって、これは譲歩は論外として、対照ではなく、様態の用法ではないかと思います。 まだ納得できないようであれば、補足いただければお答えします。

tasutasu9
質問者

補足

丁寧にありがとうございます。いろいろと調べてみたのですが、asの対比の例があまりないことに気付きました。辞書によっても、対比という項目すらないものもあります。ご指摘の通り、asは等位接続詞butのような働きに近いと感じました。最後に、見落としていたのですが、 they forget what it is like to grasp at something , as they once grasped at everything , with all their minds and senses;の as~everythingまでは挿入なのでwith all their minds and sensesはthey forget what it is like to grasp at something にかかるので、 「彼らがかつて【全ての思考や感覚を使って】あらゆることを理解していったように、何かを理解するとはどのようなことかを彼らは忘れてしまうのである。」ではなく、「彼らがかつてあらゆることを理解していったように、【全ての思考や感覚を使って】何かを理解するとはどのようなことかを彼らは忘れてしまうのである。」だと思いますが、これはどうでしょうか?

回答No.4

ASの譲歩の例:Å-1,B-2ほぼ同意で、as=though以下、主節の動詞を修飾しています。 彼はよい生徒だけれども、彼のクラスで一番になることはないだろう。 A-1 Good as he is, he will never come out at the top of his class. A-2 Though he is good, he will never come out at the top of his class. ASの対照の例:B-1,B-2はほぼ同意ですが、Whileは本来従属接続詞なのでwhile=but というのは正確ではありません。ただ、対照の用法の場合、かなり等位接続詞に近い働きをしているので便宜上利用される場合があります。 男はしばしば対立するが、その一方で女はしばしば交渉する。 B-1 Men often use confrontation as women often use negotiation. B-2 Men often use confrontation while(but) women often use negotiation. WHILEの譲歩の例:A-1、A-2、C-1、C-2は接続詞が変わっているだけで同じ使い方です。 私はそのバッグの形が好きだけれども、私はその色が好きではない。 C-1 While I like the shape of the bag, I don’t like its color. C-2 Though I like the shape of the bag, I don’t like its color. WHILEの対照の例:B-1,B-2,D-1,D-2も、接続詞を変えてみただけで同じ用法です。 私は50ページ読んだ、しかしその一方で彼はたった20ページしか読んでいない。 D-1 I’ve read fifty pages, while he has read only twenty. D-2 I’ve read fifty pages,( but) he has read only twenty. 続きあります。。。。。。。。

回答No.3

#1 の方が回答されているように,as 節は (to) grasp という動詞のみにかかっていて,they forget ~にはかかっていません。 as には「~だけれども」という譲歩の意味は本来ありません。 Poor as he was, he was happy. 「彼は貧しかったけれども,幸せだった」 形容詞 as SV の形でのみ,日本語に訳せば「~だけれども」 の意味になるだけで,勝手にいつでも「~だけれども」の意味になるものではありません。 以前も,英英辞典に as に though の意味があるからといって, そのように解釈された回答を見たことがありますが, 上で挙げた例以外では譲歩の意味にはなりません。

tasutasu9
質問者

補足

回答どうもありがとうございます。もちろん、asに譲歩の意味があるのは知っていますし、名詞・形容詞・副詞 as S' V'の語順になるのは理解しています。ただ気になるのは、基本的に副詞節は、主節の動詞、つまりこの場合、forgetにかかるものだと思っていました。また、ジーニアスの様態のところに【対照】の欄があったので、この和訳はおかしいと感じました。辞書の例:Men usually like wresling as women do not.この場合、whileの意味つまり「~であるが」という対比の意味になります。意見も割れているので、まだ迷っています。

  • Parismadam
  • ベストアンサー率65% (2756/4211)
回答No.2

はじめまして。 ご質問: <つまり、現在と過去の対比でasの意味は「彼らがかつて~あらゆることを理解した【が】」ぐらいにとるのではないかと思います。> 非常に鋭い点をついています。ただ、「対比」の用法ではありません。 ここでの用法は「~であるのに」という逆接的な意味を表す接続詞、「譲歩」の用法になります。 1.譲歩を表す接続詞asは、通常は形容詞などと一緒に用いられます。 例: Young as he was, =Though he was young 「彼は若かったけれど~」 2.ご質問文では、 「(現在)理解するとはどういうことかを忘れてしまう」 と 「(過去)知覚と感覚ですべてを理解した」 という、おっしゃる通り、2つの対照的な事実があります。 3.その対照的な事実をつなくasの用法は、「ように」という様態では、「同様の例示」になってしまい、どこか矛盾します。 4.ここは、AはBの反対の内容になるのですから、「~にもかかわらず」「~であるのに」といった、逆説的な用法がふさわしいでしょう。 ご質問文のような場合は、形容詞を使っていなくても、逆説的な譲歩の用法としての、接続詞asに分類されます。 5.従ってこの部分の訳は (直訳)「~彼らはかつては知覚と感覚ですべてを理解したのに、何かを理解するとはどういうことか、を忘れてしまう」 → (意訳)「~彼らは知覚と感覚を使ってすべてを理解した経験があるのに、何かを理解するってどういう風にするんだっけ、と忘れてしまうのだ」 ぐらいになります。 以上ご参考までに。

  • ydna
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回答No.1

as 節は、この場合、様態(方法、手段)でおかしくないと思います。 (ジーニアス英和第4版 as [接] 2[様態]) 質問者様は、as 節の役割を取り違えています。 as 節は、副詞節ですが、forget を修飾していません。 as 節は、like to grasp at の grasp を修飾している副詞節です。 key は、as の前の comma と everything の後の comma です。 つまり、as they once grasped at everything は、挿入節です。 with all their minds and senses; を something に直結して考えてみて下さい。as 以下を、with 以下が方法の意味で言い換え(つまり、as 節は様態(方法、手段)を表す)ています。 ーーー拙訳ーーー >they forget what it is like to grasp at something, 【as】 they once grasped at everything, with all their minds and senses; 彼らの全ての知性と感性を使って(彼らが、かつてあらゆることを理解したように/した方法で)何かを理解するということがどんなことかを彼らは忘れてしまう(ことは確実だ)。 『彼らが、かつてあらゆることを理解したように、彼らの全ての知性と感性を使って何かを理解する』ということがどんなことかを彼らは忘れてしまう(ことは確実だ)。 同格的な訳し方だと、 『彼らが、かつてあらゆることを理解した方法、つまり、彼らの全ての知性と感性を使う方法で、何かを理解する』ということがどんなことかを彼らは忘れてしまう(ことは確実だ)。 ーーーーーーー おまけ 帰結節が直説法で、助動詞なしの現在形なので、確実な未来(今、すでになっている感覚も含めて)のニュアンスを感じます。 以上、少しでもお役に立てたでしょうか?★

tasutasu9
質問者

補足

回答どうもありがとうございます。様態の可能性も考えたのですが、基本的に副詞節は、主節の動詞、つまりこの場合、forgetにかかるものだと思っていました。また、ジーニアスには【対照】の欄があったのでこの訳はおかしいと感じました。辞書の例:Men usually like wresling as women do not.この場合、whileの意味つまり「~であるが」という対比の意味になります。意見も割れているので、まだ迷っています。