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浮き世の月
浮き世の月 見過しにけり 未二年 井原西鶴の辞世の句です、金銭に対する嫌悪が表現されているとの解釈がありますが、西鶴の名前ぐらいしか知識の無い私には、句の意味合いがよく判りません。 浮き世の月で検索すると「忠臣蔵」ばかりヒットしてしまいます。特に、最後の一節は意味が不明で困っています。 カテゴリーに迷いましたが、ご存知の方、お教えください。
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元禄6年、西鶴死後に出版された、「西鶴置土産」のはじめに次のようにのっています。 辞世 人間五十年の究りそれさへ 我にはあまりたるにましてや 浮き世の月 見過しにけり 末二年 元禄六年八月十日五十二才 (ご質問は、「未」となっていますが、正しくは「末」であります。) 前書きとともに素直に読めば、「人生五十年といわれ、自分にはとてもそこまで長生きするとは思ってもいなかったが、それさえ超して二年も長く生きてしまった」となります。でも、西鶴のことですから、仰るように、他に何かを意味するところがあるかもしれません。
お礼
yacobさん、早速の、ご回答有難うございます。 末二年でしたか、大変参考になりました。 あとは、浮き世の月が何を象徴しているのか、人生に倦んだ感じもありますし難しいところですね。 ところで、元禄六年八月十日ですか、大石蔵之助の辞世にある、「浮き世の月」との関係も面白そうですね。