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『こころ』の「上三」1
日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上三」の中で理解できないところがあるので、教えていただけないでしょうか。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.すると着物の下に置いてあった眼鏡が板の隙間(すきま)から下へ落ちた。 (1)浴衣の話をしているのに、なぜ急に「着物」が出たのでしょうか。 (2)「板の隙間」はどんなもののどこを指すのでしょうか。 2.先生は白絣(しろがすり)の上へ兵児帯(へこおび)を締めてから、眼鏡の失(な)くなったのに気が付いたと見えて、急にそこいらを探し始めた。 (1)「そこいら」は眼鏡を指すのでしょうか。それとも場所を指すのでしょうか。 (2)「そこいら」は現代日本語でも使う単語でしょうか。 3.二丁(ちょう)ほど沖へ出ると、先生は後ろを振り返って私に話し掛けた。 「丁」は長さの単位でしょうか。 4.先生はまたぱたりと手足の運動を已(や)めて仰向けになったまま浪(なみ)の上に寝た。 なぜ「また」を使うのでしょうか。初めての動作ではないでしょうか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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1.すると着物の下に置いてあった眼鏡が板の隙間(すきま)から下へ落ちた。 (1) a.#1さんがおっしゃるように「着る物」という意味で「着物」という表現が使われています。 b.「浴衣の下」でも間違いにはなりませんが、「浴衣」という言葉を使って『【着ている者の種類】を特定しないほうが良い』ということです。 「すると【浴衣】の下に置いてあった眼鏡が板の隙間(すきま)から下へ落ちた。」という文を、原文と比較しながら考えてみましょう。 「眼鏡が下へ落ちた」ということを言っている点では同じですが、 「浴衣の下においてあった眼鏡」という点にも比重が掛かっているような印象を受けます。 わざわざ着る物の種類を特定しているのだから、「着ていた物は浴衣だ」ということにも何か意味があるのだろう、というような不要な錯覚を読者に与えてしまうわけです。 (ex) 「彼は毎日、車で会社へ行く」 「彼は毎日、ダンプカーで会社へ行く」 どちらも車で行くことを言っているには違いありませんが、後者は「ダンプカー」と特定する意図が何かある場合に使うべき表現です。 歩くのでもなく、電車でもなく、車を使っているということを言いたい場合には「車で」だけで十分ですし、車の説明をすることは却って本来の意図を損ねることになります。 c.「眼鏡が下へ落ちたのは、先生が【砂を払うために取上げた物】の下にあったからだ。」 という関連性がわかればいいのです。 別に浴衣でなくても、タオルであっても「取上げようとする動作」によって眼鏡が下に落ちた、ということを言いたい場面だということです。 (2)「上二」で、「純粋の日本の浴衣(ゆかた)を着ていた彼は、それを床几(しょうぎ)の上にすぽりと放(ほう)り出したまま~」という箇所があります。 床机は、幅の狭い板(竹の場合もあります)を数枚、腰掛部分に並べたベンチのようなものです。 その板の隙間から眼鏡が落ちたということです。 先生も、西洋人と同じく浴衣と眼鏡を一緒にこの板の上に置いていたわけです。 2.先生は白絣(しろがすり)の上へ兵児帯(へこおび)を締めてから、眼鏡の失(な)くなったのに気が付いたと見えて、急にそこいらを探し始めた。 (1) 「そこいら」は場所です。 「その辺」「そのあたり」などという似たような表現もありますが、これらは探す範囲がどちらかというと【面的】であるニュアンスを持ちます。 大体の目安がついている場合の探し方、と言えるでしょう。 「そこいら」も大体の目安がついている点では同じですが、探す範囲が【散らばった点】という感じでしょうか。 つまり、目をきょろきょろと移動させる率が高いのです。 きょろきょろ移動させる範囲が広くなると、「そこいらじゅう」という表現もあります。 (2) 現代でも使われます。 ただ、男言葉と限定まではしませんが、やや乱暴な印象を与える言葉遣いだとお考えになったほうが良いでしょう。 一般的な文章で特に必要がなければ、「そのあたり(当たり)」で代用することも十分可能です。 「必要がある場合」とは、たとえば 「見知らぬ外国を彼氏と二人だけで旅行している時に、急に彼がいなくなって慌てて付近を探し回る」 というような状況を表現する場合です。 「彼が急にいなくなって不安になった私は、そこいらじゅうを探し回った。」 という表現でも、「乱暴」ではあるがマイナスの印象を与えることはないということです。 乱暴に表現するぐらいの緊迫感を十分に持った状況だからです。 「必死に探す必要性のあるような状況」=『本当に見つけるのが困難な状況』であれば自然な表現になります。 すぐ見つかる(あるいは、すぐ見つかった)ような物に対して「そこいら」という表現を使うと不自然な印象を与えるでしょう。 特に他人に対して提案する時などに、 「そこいらをお探しになってみてはいかがですか」などと言うのは失礼になります。 「そのあたりをお探しになってみてはいかがですか」などであれば大過ありません。 3.「丁」は長さの単位でしょうか。 a.他にも意味はありますが、長さの単位でもあります。 一丁は約109mです。 一町と書いても同じ距離を表わします。 一町=六十間 一間=六尺=約182cm 一尺=十寸 一寸=約3.03cm です。 畳のサイズは色々あるので一概には言えませんが、基本形は三尺×六尺です。 そして、一間(=六尺)というのは、 現在でも和風建築の「柱と柱の間の大体の距離」と考えることが可能です。 c.市街の区分単位としても使われています。 日本の住所には「○県○市○町○丁目○番地」という表記が多いと思います。 d.豆腐の単位としても使います。 e.衣類の枚数を数える単位として使う場合もあります。 ただ、うまく説明できませんがタイミングがあって、どんな場合でも使えるというわけではありません。 「あまり暑いので昨日はパンツ一丁で過ごした。」(無論、家の中で)」 「ふんどし一丁で滝に打たれて修行をしている人を見た。」 「仕事中は背広を着ているが、家では冬でもシャツ一丁で過ごす。」 などのように使います。 4.先生はまたぱたりと手足の運動を已(や)めて仰向けになったまま浪(なみ)の上に寝た。 :この場合の「また」は、『別/他』という意味ではないかと思います。 >先生と一緒に海へ飛び込んだ。 >先生といっしょの方角に泳いで行った >先生は後ろを振り返って私に話し掛けた 「強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らして」いる中で、私は先生とふたりだけの時間を楽しんだわけですが、 先生の動作ひとつひとつに注意を払っていたのでしょう。 上に挙げたような動作の【他】にも、 「>手足の運動を已(や)めて仰向けになったまま浪(なみ)の上に」寝る、という動作をしたわけです。 そして、私はその真似をして「愉快ですね」と大きな声を出したのです。 後に起こる事件の暗い印象とは対照的な場面であるだけに、 この時の事が特に印象深く思い出される、ということだろうと思います。
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- DexMachina
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1-(1); ここの「着物」は「和服」等の意味ではなく、もっと範囲の広い「着る物」の意味です。 (洋服が入ってくるまでは、「着る物」といえばそれ(=洋服に対する名前として、後に 和服と呼ばれることになるもの)しかなかったので、「着物=和服」の意味を持つ ようになっただけで、おおもとの意味はこちら(=着る物)と思います) 1-(2); この「板の隙間」は、そのすぐ後に出てくる「腰掛」のことを指しています。 (先に「状態」を描写し、後からその「物の名」を出すという、文学的な表現; 普段の生活での事務的な説明としては、親切な表現方法ではありませんが) 2-(1)(2); 場所を指します。 他に、「そこいらへん」「そこら」「そこらへん」とも言うと思います。 (「い」が入らない方が、一般的かもしれません) 3; 長さと言えば長さですが、より正確には「距離の単位」です。 「町」と書く場合もあります(読みはどちらも「ちょう」)。 辞書「広辞苑」によれば、約109メートルにあたるそうです。 4; この「また」を「繰り返し」を意味すると見るなら、「描写はされていないが、 手足を動かしていなかった時は当然あったはず」という読み方もできます。 また、「並列」の意味と見れば、「海で泳いだ。また、泳ぐのではなくただ 波間に浮かんでいるだけのときもあった。」ということになると思います。 (「浪の上に寝たりもした」なら、後者であることがはっきりしますが、 そういう説明的な表現がかえって無粋な印象を与えることもあるため、 文学作品では「正確性」よりも「軽い語感」(→音が少ない分、しつこさが 減る)を選んだ、という可能性が考えられます) 私としては、後者の意味(=並列)に解釈します。
お礼
ご親切に教えていただき誠にありがとうございます。ほとんどはわかりましたが、4はまだ難しいような気がします。大変参考になりました。本当にありがとうございました。
- ANASTASIAK
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>(2)「そこいら」は現代日本語でも使う単語でしょうか。 はい。
お礼
ありがとうございました。
お礼
いつもお世話になります。ご回答ありがとうございます。大変詳しく説明していただき助かりました。同じ意味の言葉が持つ違う効果もよく理解できました。言葉のそのあたりの魅力に憧れます。「床机」はネットで検索してみました。イメージはよくわかりました。夏の夜、腰掛に座って祖母と一緒に夕涼みをする遠い昔のことも思い出されました。扇子で清風を送ってくれた祖母は、いま輝いた星になって手に届けないところで微笑んでくれます。「後に起こる事件の暗い印象」を読んでちょっと気が重くなりました。夏目漱石の世界を大変親切に案内してくださったガイドさんに心より感謝しております。