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夏目漱石『こころ』の「上三」の理解について
- 日本語を勉強中の中国人が夏目漱石の『こころ』を読んでいます。特に「上三」の中で理解できない箇所があります。具体的には、「考えのない」という表現や、「そこに住んでいる人の先生の家族でない事も解(わか)った」という文について疑問があります。また、「風変り」の読み方と文中での意味についても教えてほしいと思っています。最後に、「そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった」という表現の意味についても知りたいです。
- 質問文章では、日本語を勉強中の中国人が夏目漱石の『こころ』について理解に苦しんでいます。「考えのない」という表現の意味や、「そこに住んでいる人の先生の家族でない事も解(わか)った」という文の書き方について疑問があります。また、「風変り」の読み方と文中での意味についても教えてほしいとのことです。最後に、「そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった」という表現の意味についても質問しています。
- 夏目漱石の『こころ』を読んでいる中国人が、「上三」の内容について疑問を持っています。「考えのない」という表現の意味や、「そこに住んでいる人の先生の家族でない事も解(わか)った」という文の文法について教えてほしいとのことです。また、「風変り」の意味や読み方についても教えてほしいという質問もあります。最後に、「そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった」という表現の意味についても知りたいとのことです。
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1.{考えのない私はこういう問いに答えるだけの用意を頭の中に蓄えていなかった。} :この場合の「考えのない私」は、 「何も考えていなかった私」という意味です。 「いつまで滞留するか決めていなかった私」ということです。 2.{そこに住んでいる人の先生の家族でない事も解(わか)った。} a.「の」は主格を表わすこともできます。 ただ、「そこに住んでいる人の先生の家族で(は)ない。」のような【言い切り文】にすることはできません。 つまり、「そこに住んでいる人」を主格として強く印象付ける機能は持たない、ということでしょう。 強く印象付けたい(強調したい)場合は【が】を使って、 「そこに住んでいる人【が】先生の家族でない事も解(わか)った。」 とする必要があるわけです。 しかし、原文では逆に「強調したくなかった」のです。 なぜなら、 「先生は家族と一緒に住んでいなかった」という発見について述べているのであって、 「一緒に住んでいる人」にとって先生が家族であるかどうか、という視点ではないからです。 b.「そこに住んでいる人【は】先生の家族でない事も解(わか)った。」 の場合は、 「そこに住んでいる人」を主題として提示しています。 「そこに住んでいる人」について述べてみれば・・・、 という意図があることになります。 しかし、実際にはそういう意図ではなく、先生について述べている箇所なので「は」は使わなかったのです。 この第2項は、うまく説明できているかちょっと自信がありません。 不明点が残るようでしたら、お手数ですが何度でも補足してください。 3.「風変わり(ふうがわり)」です。(「が」は鼻濁音) 「普通と様子が少し違っていること」という軽い意味ですが、「変人」という意味もあります。 この場合は前者の意味でしょう。 西洋人なのに人前で平気で肌を曝したり、日本の浴衣や猿股を着用していたりするのも「風変わり」の一種と言えると思います。 おそらく無頓着で飾らない性格なのでしょう。 そのために他にも色々面白いエピソードがあって、それを先生が教えてくれたのだと思います。 4.{そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。} :多分、下記URL(18)の【~した態度で臨む】ではないかと思います。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%AB%A4%AB%A4%EB&kind=jn&mode=0&base=1&row=2 いずれにしても、 「そう言えば私も君をどこかで見たことがある」という答えが先生から返ってくる、と予想(期待)しながら返事を待っていた、という意味です 5.ご質問文の添削 a.{この文はおかしいでしょうか。} というのは純粋な疑問文で、「おかしいか、おかしくないか良くわからない場合」に使う表現です。 b.ご質問文の場合は、続けて、 {「が」か「は」を使う必要があるような気がします。} とおっしゃっていますから、「(この文は)明らかにおかしいという疑いを持っている場合」に相当します。 この場合は、 『この文はおかしいのではないでしょうか』 『この文はおかしくはないでしょうか』 などとする必要があります。 (ex) 間違いかどうか良くわからない場合、「間違いでしょうか」。 間違いだという強い思い、あるいは確信に近い思いがある場合、「間違いではないでしょうか」。 【ではないでしょうか】は、一種の主張の形態とお考えになって良いでしょう。
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- hakobulu
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#2です。ご返事ありがとうございました。 >「【確信的な断定・推定】が明確に言葉で述べられている必要は無く」とは、単に「のでしょうか」という疑問を投げかける形を取っているということなのでしょうか。 :いえ、そうではありません。 既出の例で言えば、先生が「Bは関係ない」などと、【Bは悪くないという評価】を明確に言葉で述べている必要は無い、という意味です。 「『相手がそのように思っている』という暗黙的な了解がある場合にも使える表現」は、おっしゃるように、 『>先生は「Bは悪くない」と言ったわけではありませんが、暗黙のうちにそう思っているとしか考えられないような雰囲気が醸し出されていたと言えます。』 と同じ意味です。 確かに抽象的な上に、「不正確」な表現という評価をされても止むを得ない内容です。 その上、良く見ると蛇足ですね。 私の悪い癖です。 指摘していただき大変嬉しいです。 気をつけるように努力しますが、また「わかりづらいなあ」と思ったら遠慮なく教えてください。
お礼
実例とあわせて繰り返して読みました。わかるようになりました。『「不正確」な表現』や「蛇足」なんてとんでもありません。とても参考になりました! 毎回オーダーメードのような回答文を書かせて申し訳ないと思います。心から感謝しています。そろそろ大人の日本語の世界にも入って探検してみたいです。凝縮した言葉で本質をまとめられる大人に包まれる空気は、ほんの少しでも流れてくれたら、わずかでも身に沁みてきたらいいなと思っています。丁寧なご解説で本当にありがとうございました。
- hakobulu
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1. (1)「考えのない人は好きではない。」 a.{「考えのない人」は「考えるという行為が好きでない、考えるという行為をしない人」という意味でも使えるのでしょうか。} :一般的な状況では、そういう意味に解釈するのは難しいかもしれません。 おっしゃるような意味の場合は、『考えない人』と表現するように思います。 「考えのない人」というのは、 『ある状況・事柄について何も考えていない人』(ア)あるいは、 『自分独自の意見の無い人』(イ) という意味で使われることが多いようです。 b.{上の文は「が」ではなく、「は」を使うことによって「考えのある人は好き」という言外の意を読み取ることは可能でしょうか。} :aで述べた(イ)の解釈の場合に限定されるでしょうが、 そのような意味を言外に含む場合【も】あり、前後の文脈によっては含まない場合もあります。 いずれにしても、その可能性にお気づきになるとは感心いたします。 ○「好きではない対象」が特定されている場合。 →言外の意は殆んどありません。 (ex)特定の個人を批判する目的で「Cさんのように、考えのない人は好きではない」と言う場合。 ○「好きではない対象」が特定されていない場合。 →「自分の考えを持っている人が好きだ」という言外の意を含みます。 (2) 上で述べたように、そう言えます。 『自分の考えを持っていない人』 『自分の考えの(が)ない人』という表現が一般的です。 2. (1)あなたのおっしゃるとおりです。 (2)あなたがおっしゃるとおりです。 (3)彼のくれた手紙を引き出しの奥にしまっておく。 (4)彼がくれた手紙を引き出しの奥にしまっておく。 (2)の「あなたが」は「あなた」の強調になるのでしょうか。(4)の「彼が」は「彼」の強調になるのでしょうか。 ーーーーーーーーーー :私はそう思います。 (1)は、「おっしゃるとおり」、つまり「おっしゃる内容」に重点を置いた表現で、(2)と比較すると「あなたがおっしゃった」という要素は【どちらかと言うと】軽視されている。 (3)は、「手紙を奥にしまっておく」が骨子で、「彼からもらった」という点は(4)に比べると【あまり】重視されていない。 と解釈します。 3. {『この文はおかしくはないでしょうか』 上の文と「この文はおかしくはないのでしょうか」とのニュアンスの違いを説明していただけませんか。} :う~む、これは難問だ・・・(-_-;)。 自信はありませんが頑張ってみましょう。 納得いかない場合は、ぜひ補足お願いいたします。角度を変えてみると解決することもあると思うので。 a.『この文はおかしくはないでしょうか』 「おかしくはない」の【は】は、この場合、強調の役割です。 「この文は(絶対に)おかしくはない」という前提に対して、 「でしょうか」と疑問を呈しているわけです。 ですから全体としては、 『「この文は絶対におかしくはない」と言えるのでしょうか』 →『この文はおかしいと思う』 という意味になります。 b.『この文はおかしくはないのでしょうか』 この「ので」は、【確信的な断定・推定】で、下記URL二・(3)と考えて良いように思います。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%CE&search_history=%A4%AB%A4%AB%A4%EB&kind=jn&kwassist=0&mode=0&jn.x=31&jn.y=15 「のでしょうか」は、その疑問形ですから、全体としては、 『「この文はおかしくはない」と断定して(と考えて)良いのでしょうか』 という意味になります。 『この文はおかしいと思う』という意味でもありますから、基本的にはaと同じ事を言っています。 ただ、bの場合は 『「この文はおかしくはないのです」という【確信的な断定・推定】をした相手の判断』に対して、 「のでしょうか」という疑問を投げかける形を取っている、という違いがあると思います。 【確信的な断定・推定】が明確に言葉で述べられている必要は無く、 『相手がそのように思っている』という暗黙的な了解がある場合にも使える表現でしょう。 相手の判断に対する強い疑問・批判を含むニュアンスが込められている、と思われます。 (ex1) Bが教室の窓ガラスを割りました。 先生は見ていましたが、何も怒りません。 それはおかしいと思い、Aは、 「Bは悪く(は)ないでしょうか」と先生に言いました。 (ex2) AとBが二人で何かいたずらをして先生に見つかりました。 先生はAばかり怒ります。 長い時間ずっと怒られて頭にきたAは、思わず、 「Bは悪くはないのでしょうか」と叫んでしまいました。 先生は「Bは悪くない」と言ったわけではありませんが、暗黙のうちにそう思っているとしか考えられないような雰囲気が醸し出されていたと言えます。 4. 前回、良い写真を見せていただきましたね。 「滄海一艘」という言葉がすぐ浮かびました。影響されやすいですね。(^^;) 「海天」よりも、遠くに小さく見える貨物船を非常に愛しく印象深く感じたようです。ひねくれものです。(^^;) 全体的な色彩は、配分も含めて非常に上品で落ち着いていて気に入りました。 個人的には紺碧の空と入道雲の組み合わせが好きですが、この写真を見て心が柔らかなものに優しく満たされたような気持ちになりました。 ピアノ曲は私も好きです。
お礼
再びありがとうございます。「考えのない人」の定義がよくわかりました。「の」と「が」もすっきりいたしました。以前「曰く」の時もお世話になったことがあると思い出しました。記憶力が悪くて反省しております。3はわかりやすい実例があるおかげでだいぶ解決できるようになりました。ただ、説明文の中でまだ理解できない文があります。 「滄海一艘」というお答えからすると、目はすごくいいですね。それとも海自身の感受性は優れたということでしょうか^^。それから、地面から地下までトンネルを何本か掘ってまいりました。「紺碧の空と入道雲の組み合わせ」を心がけます。雲の製造機を研究してみます♪。 本日はご来店ありがとうございました。明日お時間がありましたら、またお越しくださいませ♪。
補足
>ただ、bの場合は 『「この文はおかしくはないのです」という【確信的な断定・推定】をした相手の判断』に対して、 「のでしょうか」という疑問を投げかける形を取っている、という違いがあると思います。 【確信的な断定・推定】が明確に言葉で述べられている必要は無く、 『相手がそのように思っている』という暗黙的な了解がある場合にも使える表現でしょう。 相手の判断に対する強い疑問・批判を含むニュアンスが込められている、と思われます。 「【確信的な断定・推定】が明確に言葉で述べられている必要は無く」とは、単に「のでしょうか」という疑問を投げかける形を取っているということなのでしょうか。特に理解できないのはその次の「『相手がそのように思っている』という暗黙的な了解がある場合にも使える表現」という文です。どういう意味でしょうか。 ちなみに、実例の中に触れられた暗黙に関するご説明ならよく理解できます。たぶん、同じようなことをおっしゃっていると思うのですが、抽象的な説明文の読解に苦しみます。 >先生は「Bは悪くない」と言ったわけではありませんが、暗黙のうちにそう思っているとしか考えられないような雰囲気が醸し出されていたと言えます。 ならよく理解できます。
お礼
いつもお世話になります。ご回答ありがとうございます。順調に理解できるようになりました。「が」と「の」の違いを知ることができ嬉しく思います。「風変わり」は「かぜがわり」か「かざがわり」で調べてみましたが見つけられませんでした。「ふうがわり」と読むのでしたね。漢字に影響されたせいか、「風変わり」という漢字の並び方から「豹変する」というイメージを受けておりました。「かかる」の使い方も初めてです。これから気をつけます。大変詳しく説明していただき本当にありがとうございました。助かりました。
補足
1.文中の「考えのない」はわかりました。「考えのない」についてもう少しお伺いしたいと思います。次のようなシチュエーションでも使えるのでしょうか。 (1)「考えのない人は好きではない。」 「考えのない人」は「考えるという行為が好きでない、考えるという行為をしない人」という意味でも使えるのでしょうか。また、上の文は「が」ではなく、「は」を使うことによって「考えのある人は好き」という言外の意を読み取ることは可能でしょうか。「考えるという行為が好き、考えるという行為をする人のことが好き」という意味を婉曲的に表したいと思います。 (2)先ほどの(1)と違う意味の「考えのない人」だと思います。「ちゃんとした見解を持っていない」、腹が決まらず、しっかりした見解を持ち合わせていない」人でも「考えのない人」と言えるのでしょうか。 2.次のような「が」と「の」に似ているものを論じておられるのでしょうか。 (1)あなたのおっしゃるとおりです。 (2)あなたがおっしゃるとおりです。 (3)彼のくれた手紙を引き出しの奥にしまっておく。 (4)彼がくれた手紙を引き出しの奥にしまっておく。 「が」と「の」は上のような文で両方使えると習ったのですが、その違いは習っていませんし、知りません。また面白いものを見つけたようです。(2)の「あなたが」は「あなた」の強調になるのでしょうか。(4)の「彼が」は「彼」の強調になるのでしょうか。 3.質問文について。 >『この文はおかしくはないでしょうか』 上の文と「この文はおかしくはないのでしょうか」とのニュアンスの違いを説明していただけませんか。