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自然な日本語に添削していただけないでしょか。(十年前の教科書)
日本語を勉強中の中国人です。作文の練習をしています。次の文章は自然な日本語に添削していただけないでしょか。よろしくお願いいたします。 部屋掃除をする時に、本を見つけた。表紙の埃をそっとはらって、なんとこれは十年前の英語の教科書であった。引越しをして以来、中小学校の教科書はほとんど紛失したから、かつ驚きかつ喜ぶ。 表紙はすでに黄色さがさしている。開いてみたら、顔なじみの字が目に映った。教科書で直接ノートを取る派なので、メモがびっしりと書いてある。幼稚な字だが、筆跡が整っている。さすが学級委員さんの教科書だなぁと思いつつ…… 目に飛び込んできたのは、デスクメートのAちゃんと力を合わせて出来た英語先生の漫画絵であった。学究の先生の代表的な物――眼鏡は大げさに描かれ、先生の目は点となった。その絵の下には次のような一行記されていた。「わが英語先生殿の肖像」。当時に、二人はこの傑作を見ながら、頭を下げたままくすくす笑っていた。いつのまにか、頭を上げたら、なんと目の前に目を張っている先生が。担任先生のところまでも連れられ、自己批判の始末書も書き、担任先生の前で経文を唱えるように読んで絶対こんなことを二度としないように誓った。あの頃のさんざんなことを思い出すとぷっつと吹き出した。 なんと懐かしい教科書だろう。青二才の十代の私に再会したような気分になった。あの頃のことは映画のように絶え間なく目の前に流されている。十歳も若くなった気がした。しかし、この世で、タイママシーンがないのであった。いくら小さい頃に戻りたくとも、時は公平で誰にも特権をあげない。だからこそ、今を大事にしなくてはならない。今を振り返る十年後の私に、本当に有意義な二十代だなぁと言ってほしい。そう思いながら、この教科書を閉じた。 ●特に、「表紙はすでに黄色さがさしている。」の自然な書き方を教えてください。
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awayuki_ch さん。長文への挑戦、ほとんど自然に書かれていますよ。 間違えている所は添削の後に記しました。 では、本文の添削です。 部屋の大掃除をしている時に一冊の本を見つけた。表紙の埃をそっとはらってみると、なんとそれは十年前の英語の教科書だった。引越しによって、中小学校の教科書はほとんど紛失していたので、この一冊の教科書の出現は、驚きかつ喜びの出来事だった。 表紙はすでに黄色くなりはじめていた。開いてみると懐かしい子供の頃の私の字が目に入ってきた。私は教科書で直接ノートを取る派だったので、ページのいたるところにメモがびっしりと書いてある。幼稚な字ではあるが筆跡が整っている。我ながら、さすが学級委員さんの教科書だなぁと思いつつページをめくっていった。 目に飛び込んできたのは、隣に座っていたAちゃんと力を合わせて描いた、英語の先生の似顔絵だった。学究肌の先生のトレードマーク――眼鏡は大げさに描かれており、先生の目は点となっていた。その絵の下には、「わが英語先生殿の肖像」と書かれていた。当時二人はこの傑作を見ては、下を向いたままくすくす笑っていた。ある時など、ふっと頭を上げたら、なんと目の前にメガネの奥の目を大きく見開いている先生が立っていたことがあったのだ。 そのとき二人は、担任の先生のところまで連れて行かれ、反省文を書かされたうえ、その反省文を先生の前で経文を唱えるように読まされ、今後二度とこのようなことはしないと誓ったのである。さんざんな目に遭ったあの頃のことを思い出しながら、私はプッと吹き出してしまった。 なんと懐かしい教科書だろう。私は十代の私に再会したような気分になった。あの頃のことが走馬灯のように目の前を流れている。十歳も若くなった気がした。 しかし、この世にはタイママシーンがないのである。いくら小さい頃に戻りたいと思っても、時間は誰にも公平であり、誰にも特権を与えない。だからこそ、今を大事にしなくてはならないのである。 私が十年後になって今を振り返ったとき、本当に有意義な二十代だなぁと言ってみたい。そんな思いを抱きながら、この懐かしい教科書を閉じた。 ★三~四行目の「かつ驚きかつ喜ぶ」は間違いです。 ⇒最初の「かつ」は不要です。 ★五行目の「黄色さ」 ⇒「黄色さ」という表現は殆んど使われません。 ★同じく五行目「顔なじみ」は「常連の客」などを表す言葉です。 ★下から八行目の「青二才」はここで敢えて使う必要はありません。 ★最後の八行はかなり苦戦したようですが、もう少し推敲を重ねる方が良いでしょう。 ほんとはもう少し添削理由を書きたかったのですが、今日のところは時間が無くなってしまいました。 締め切られていなければまた追加文を書いてみます。
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- IXTYS
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#21 に追加します。 > なくしてした」はどういう意味でしょうか。「なくして(い)た」か「なくしてしまった」の入力ミスでしょうか。 『なくしていたから』です。
お礼
たびたびありがとうございます。進行形ですね。よく分かりました。 本当にありがとうございました。
- IXTYS
- ベストアンサー率30% (965/3197)
awayuki-ch さんこんにちは #16に追加します。 参考にして下さい。 (1) > なくしてした」はどういう意味でしょうか。「なくして(い)た」か「なくしてしまった」の入力ミスでしょうか。 ごめんなさい.。 入力ミスです。 (2) > 「尊敬する英語の先生の肖像画」。 当時、二人はこの傑作(?)を見ながら、下をむいたまま、くすくす笑い転げたものだった。 先生殿を『殿下』と皇室を引き合いに、、、。 それなら、『先生閣下』の方が面白いでしょう。 皇室は避けた方が良いですね。 閣下は『えらーい軍人や政治家のセンセイ達』を皮肉るのには最適な言葉です.。 (3) > 二人はこの傑作(?)を見ながら 傑作より力作ではいかがですか? その時には(?)は入れません。 何故なら、傑作と判断するのは作者ではなく、権威ある批評家達だからです。 傑作(?)としたのは、『自分では傑作だと思っているんですが、ご賛同頂けません?,』という複雑なニュアンスを込めたかったのです。 こういうところが日本語の面白いところで、『行間を読む』の一例です.。 ご参考までに。 加油、
お礼
IXTYSさん、再びありがとうございます。「閣下」と「力作」を覚えておきます。このような細かいところに注意しなければなりませんね。 励ましていただきありがとうございました。頑張ります!
補足
>ごめんなさい.。 入力ミスです。 申し訳ありませんが、「なくしてした」は何の内容の入力ミスでしょうか。その正しい文を提示していただけないでしょうか。私は「して以来」の後ろにつく文の時制に自信がありませんので、「なくしてした」の部分をとても見たいです。よろしくお願いいたします。
- gekkamuka
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No.10&14&17です。 >素敵なエッセーを書く作家(できれば、20世紀生まれの日本人)を知っているなら、いつでもお勧めください。 ここには「文学」とか「読書一般」というカテゴリーがありますから、そちらにて改めてご質問されたらいかがでしょう。 ネットでも、例えば以下のような参加自由のサイトもあります。日本中近世史の山室恭子先生の研究室で「自らの文章力を鍛えたいという思いを共有するかたなら、どなたでも参加できます」という面白ランドです。ご参考まで。 http://www.columnland.net/beginner.html
お礼
貴重なアドバイスをありがとうございます。「文学」か「読書一般」で多くの方々に聞いてみます。また、参考ページも面白そうで、ゆっくり読んでみたいと思います。 本当にありがとうございました。
- shigure136
- ベストアンサー率37% (278/744)
awayuki_ch さん。 早速のお礼をありがとうございます。 「気に入る」に関する重要な一言を忘れていました。 【私はこの表現が気に入りました。】 と同じように現在の心境を言い表す表現に、もう一つある事を忘れていました。 →【私はこの表現が気に入っています】です。 「私は○○がとても好きである」という【現在の心境】を表現には、 ★「私は○○が気に入りました」 ★「私は○○が気に入ってます」 という二つがあるということになります。 少々早とちりですみませんでした。
お礼
shigure136さん たびたびありがとうございます。了解いたしました。とても感謝しております。
- shigure136
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shigure136 です。 「十年前の教科書」には関係ないのですが、awayuki_ch さんが「補足やお礼」の欄でお使いになる、「気に入る」の表現方法が「気になり」ます。 ⇒awayuki_ch さんは、「気に入ります」という使い方をなさっています。 しかし、「気に入ります」という現在形での使い方はまずありません。 ⇒「気に入る」は「気に入りました」か「気に入るでしょう」という過去形か未来形で使います。 ⇒例えば、ある表現方法を何度も何度も読んで、とても共感し、好きになった時に、「気に入る」わけです。この時点で既に「私はこの表現が気に入った」のです。現在の心境でありながら、過去の事実なのです。 ⇒また、ある表現方法に、もう1つ納得できないところが残っているような場合、「そこのところが解決できれば、この表現はきっと気に入るでしょう」という未来形で使うことができます。 ⇒二人称や三人称を主語として使うときは、「気に入ります」というつかい方が出来ますが、この時も時制は未来です。 私が送ったスーツをあなたはきっと「気に入ります」よ。 彼はあなたからの贈り物をきっと気に入りますよ。 ★私が主語になると、「気に入ります」というのではなく、「気に入りました」か「気に入ると思う」とか「気に入るでしょう」とかになります。 ★ところが、これが否定形になると、「私はそれが気に入りません」という現在形の否定形が使われます。 ここでは「私はそれが気に入ったわけではありません」という過去形だけしか使えないわけではないのです。 ★また、何度も何度も読むうちに次第に好きにjなっていく、現在進行形的な好きになっていく過程を表現する「気に入りつつある」は使えます。 ★一人称の肯定文の現在形だけ「私は気に入ります」という表現が使えないわけですから非常に難しい言葉です。 ⇒同じ意味の「好きです」は自由に現在形でも何でも使えます。「私はこの表現が好きです」などと。 ちょっと本題と関係は無いのですが、時々目にする「気に入ります」が「気になった」ので一言アドバイスを差し上げましたが「気になさらない」で下さい。 そして「気に障ったら」ごめんなさい。
お礼
shigure136さん、たびたびありがとうございます。 No.17まで何度も何度も間違えた「気に入ります」を書いてしまいました。早くこの投稿を読んだほうがよかったです。(この文は自然でしょうか。やっと使いました。)今度から間違えないように心がけます。 shigure136さんの投稿を拝見してはじめて、「気に入る」の誤用に気づきました。実は、私は「好き」を避けるために、「気に入る」を使ったのです。おとなの女性の日本語に少し近づこうと思いましたから^^。「気に入る」は「気に入りました」か「気に入るでしょう」という過去形か未来形で使うのですね。大変参考になりました。また練習させていただきます。 「気に障った」なんてそんなことはありませんよ。素直に指摘していただきとても嬉しいです。指摘していただけないとたぶん今後直したくてももう癖になってなかなか直せません。最近は「気に入る」をいっぱい使いました。この言葉を使う最初の段階で、貴重なアドバイスをいただき感謝の気持ちでいっぱいです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
- gekkamuka
- ベストアンサー率44% (138/309)
No.10&14です。 >ぜひ読書計画に入れて読んでみます。 このリストはあくまでも、お尋ねされた「月下無可さんの好きな作家の名前」のそれです。読書の好きな日本人にとっては代表的なリストでもありましょうが、日本語を外国語とされる皆さんにはご苦心されると思われます。 殆んどは「青空文庫」としてネット上で閲覧できるものばかりですので、「いくつかの段落に少し触れたことがあります」程度で構いません。それぞれの出だしだけも繰り返し音読して、その雰囲気に触れていただくだけでも十分その素晴らしさに浸っていただけると思います。 島崎藤村「夜明け前」 http://www.aozora.gr.jp/cards/000158/files/1504_14585.html むしろ、私が淡雪さんにお薦めしたいのは以下のような作品です。 須賀敦子「遠い朝の本たち」 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480036288/249-5441551-8844326?v=glance&n=465392 何の前置きも要りません。手にとって紐解いていただければ、そこには在りし日の日本の子供たちが、その子らが慣れ親しんだ書物の案内も兼ねて、実に丁寧で分りやすい日本語で語られています。外国の方に、胸を張ってご紹介できる素敵な日本女性のエッセーです。 飯嶋和一「黄金旅風」 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4093861323/249-5441551-8844326?v=glance&n=465392 やや漢字が多めで読みにくいし、歴史小説なので背景も分かりづらいでしょうが、その代わり日本のことを知るには恰好ではないでしょうか。 白石一文「私という運命について」 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4048736078/249-5441551-8844326?v=glance&n=465392 入手しにくいようでしたら文庫になった短編集の方でも。 白石一文「不自由な心」 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4043720025/249-5441551-8844326?v=glance&n=465392 この人の日本語はごく当たり前な表現に見えのですが、その実、やや句読点を多用した切り詰めや表現の抑制や溜(た)め、そこからくる爽やかさや心地の良いテンポから、やがて優しげな表情も滲んでいる感じです。 高村薫「李欧」 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062630117/249-5441551-8844326?v=glance&n=465392 けっして文章力があるとは思えないのですが、筆に篭められた勢いにひきつけられます。 北村薫「六の宮の姫君」 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4488413048/249-5441551-8844326?v=glance&n=465392 また色々な本が読みたいなって、そんな気持にさせてくれます。 藤本和子訳(R・ブローディガン著)「アメリカの鱒釣り」 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9979768134 翻訳ですが、読みやすいでしょう。それに、いざとなると英文の原書と対比読みという手もあるでしょうし。
お礼
たびたびありがとうございます。『青空文庫』は以前よりよく使うようになりました。島崎藤村の『千曲川のスケッチ』は少年向けの作品と聞いているので、よくあそこで読んでいます。私は随筆、エッセーのような文体をとても愛読します。島崎藤村の『夜明け前』もぜひ読んでみます。最初の部分を少し覗いてみたのですが、『千曲川のスケッチ』より難しい感じがします。それでも、がんばります! 月下無可さん、わざわざたくさんの本を薦めていただき心より感謝しております。ぜひ探してみます。その中で、私は特に、須賀敦子の『遠い朝の本たち』という本をすぐ読みたくなりました。この作家は知りませんでした。素敵なエッセーを書く作家(できれば、20世紀生まれの日本人)を知っているなら、いつでもお勧めください。
- IXTYS
- ベストアンサー率30% (965/3197)
awayuki-ch さんこんばんは 日本での生活は楽しいですか? 私も文章の校正をしてみました。 部屋を掃除していて、一冊の本が見つかった。 表紙の埃をそっとはらってみると、これがなんと十年前の英語の教科書だ。 引越して以来、小中学校の教科書はほとんどなくしてしたから、驚きもし、嬉しくもあった。 表紙はすでに、かなり黄色くなっている。 開いてみると、なつかしい字が目に飛び込んでくる。 教科書に、直接ノートを取る方だったので、メモがびっしりと余白に書い込まれている。 幼稚な字だが、筆跡は思ったより整っている。 さすが、学級委員さんだっただけのことはある、とちょっとうぬぼれたりして…… 次に目にしたのは、隣りに座っていたAちゃんと一緒に描いた英語の先生の似顔絵だった。 学究肌の先生らしくー 大きな黒ぶちの眼鏡に、点のようなちっちゃな目。 絵の下に、次のような一文が記されていた。 「尊敬する英語の先生の肖像画」。 当時、二人はこの傑作(?)を見ながら、下をむいたまま、くすくす笑い転げたものだった。 ところが、頭を上げて見ると、なんと目の前にはあの先生の顔が。 それも、こちらをぐっと睨んでいるではないか。 担任のところまで連れて行かれ、こってり絞られる。 先ず、自己批判の始末書を書かされる。次に,先生の前で誓約だ。 お経でも唱えるように『絶対に、二度とこんな事は致しません。』と何回も何回も。 散々な目に会った、あの日の事を思い出すと、思わず噴出してしまう。 懐かしい想い出のある教科書だ。 青二才だった十代の頃の私に再会できた気持ちにになった。 あの頃のことが、まるで『走馬灯』のように目の前を駆け巡る。 十歳は若返った気分だ。 しかし、この世にはまだ、タイムマシーンはない。 いくら幼い昔に戻りたくとも、誰にもそんな特権は与えれられてはいないのだ。 だからこそ、今が大事なのだ。 十年後の私が、今この時を振リ返って、『本当に有意義な二十代だったなあ』といえるように。 そう思いながら、教科書をそっと閉じた。
お礼
IXTYSさん、私は今日本にいません。ご親切に添削していただき誠にありがとうございます。「さすが、学級委員さんだっただけのことはある、とちょっとうぬぼれたりして……」、「大きな黒ぶちの眼鏡に、点のようなちっちゃな目」、「下をむいたまま、くすくす笑い転げたものだった」、「ぐっと睨んでいるではないか」、「こってり絞られる」、「誓約」、「目の前を駆け巡る」などの表現は新鮮だと思い、とても気に入ります。覚えておきます。大変参考になりました。 本当にありがとうございました。
補足
ご回答を拝見してもう少しお伺いしたいことがあります。 >引越して以来、小中学校の教科書はほとんどなくしてしたから、驚きもし、嬉しくもあった。 「なくしてした」はどういう意味でしょうか。「なくして(い)た」か「なくしてしまった」の入力ミスでしょうか。 >「尊敬する英語の先生の肖像画」。 当時、二人はこの傑作(?)を見ながら、下をむいたまま、くすくす笑い転げたものだった。 「わが英語先生殿の肖像」はちょっと冗談混じりの書き方だと思いました。先生を尊敬するというより、「皇太子殿下」扱いする冗談混じりのような感じです。私は「殿」と「殿下」の意味を間違えたかもしれません。「わが英語先生殿の肖像」という書き方は、冗談混じりの書き方にならないでしょうか。「わが英語先生殿下の肖像」はいかがでしょうか。 >当時、二人はこの傑作(?)を見ながら、下をむいたまま、くすくす笑い転げたものだった。 本当は美術館などで掛けられる芸術品の名画ではありませんが、敢えて「傑作」を使う理由は、当時の似顔絵にすごく満足していて、けっこう自慢、得意な心境を表したかったのです。これも少し冗談混じりの書き方だと思いましたが、やはりおかしいでしょうか。 上記の三箇所でもう一度教えていただけれ大変ありがたいです。よろしくお願いいたします。
- he-goshite-
- ベストアンサー率23% (189/802)
こんにちは。日本語学習への相変わらず熱心な取り組み,いつもながら敬服します。その熱心さに応えて,回答を寄せる人たちも増えているようで,しかも回答内容のレベルも高く内容も濃いものになっています。よかったですね。 ご質問本題の,作文についての添削は別の方たちのすばらしい回答がすでに出ているので,質問文の一箇所だけ…… >次の文章は自然な日本語に添削していただけないでしょか。 →次の文章を自然な日本語に添削していただけないでしょか。 「は」としても意味は通じます。しかし「を」とするほうがここでは"自然な文"になると思います。 「は」とすると, 「(他の文を添削してもらえるのは当然だと思うが,)この文は少し特別なので,添削してもらえないかもしれない。心配である(けれども,添削をお願いしたい。)」といったニュアンスが感じられてしまいます。 ※「とりたての「は」」というのでしょうか?
お礼
毎度お世話になっております。 いつも日本語の勉強を応援していただき心より感謝しております。もともとは確かに「を」と書きましたが、話題をはっきりさせたほうがいいかと思って、「は」に変えてしまいました。「(他の文を添削してもらえるのは当然だと思うが,)この文は少し特別なので,添削してもらえないかもしれない。心配である(けれども,添削をお願いしたい。)」といったニュアンスが感じられてしまうのですね。指摘していただいてとてもうれしいです。大変助かりました!今後気をつけます。 本当にありがとうございました。これからも私の文に対して「ちょっとあれ?」と感じられる表現のご指摘をよろしくお願いいたします。
- gekkamuka
- ベストアンサー率44% (138/309)
No.10です。 >ここの「もの」の役割がよく分かりません。「もの」があるとないとの違いは何でしょうか。 もの【物】二)形式名詞。(1)そのような事態・事情・意図などの意を表わす。「あきらめたものと見える」。(小学館「現代国語例解辞典」) 「諦めていた(もの=そういう<事情・経緯>があった)だけに」 >とても面白い一シーンですね。ここの「当」は「当先生」の省略なのでしょうか。 はいそうです。もともと、淡雪さんの原文に可笑(おか)し味があるので、少しでもそのほのぼの感を消さないようにと思ったのですが中々むずかしいですね。当の先生を先に顔いっぱいのメガネで象徴したので、ここでは「当のメガネ」と簡略化させて出る味と、意味のつながりの確実性(「当の先生」と再出させる)との選択で、結局は前者を採ったものです。 >「映写フィルムのコマ送り」はどんなものでしょか。機械ですか。それとも映像でしょうか。 はい映像の積もりです。「映写フィルムのコマ送り映像」さながらに、さらさらと追憶が眼前を過(よ)ぎっていく様に触れたかったのですが…。 >月下無可さんの好きな作家の名前を教えていただけないでしょうか。 お言葉ですので、僭越ですが、個人的に素晴らしいと思われる作家とその一作も少し上げてみます。 島崎藤村「夜明け前」 幸田露伴「連環記」 松尾芭蕉「奥の細道」 夏目漱石「虞美人草」 井伏鱒二「屋根の上のサワン」 樋口一葉「たけくらべ」 森鴎外訳「ファウスト」 国木田独歩「武蔵野」 永井荷風「腕比べ」 芥川竜之介「奉教人の死」 太宰治「津軽」 上田秋成「雨月物語」 中里介山「大菩薩峠」 五味康祐「柳生武芸帳」
お礼
再びありがとうございます。「もの」、「当」、「映写フィルムのコマ送り」の意味がよく分かりました。私は「当」と「映写フィルムのコマ送り」が含まれる二文がとても気に入ります。このような書き方は非常に参考になりました。また、お勧めの作品にも感謝いたします。国木田独歩の『武蔵野』のいくつかの段落に少し触れたことがありますが、ほかは全部読んだことがありません。ぜひ読書計画に入れて読んでみます。 月下無可さん、本当にありがとうございました。
- kanpyou
- ベストアンサー率25% (662/2590)
#3です。 >同じ机を使って、一緒に授業を受けるクラスメートのことを表したいのです。これは日本語で何と言うでしょうか。 1.日本では、隣の席の人との関係を表す慣用句は、「机を並べる」と言います。 例. ○○さんて、どんな人ですか? あ~、○○ね~。あいつとは、机を並べて勉強した仲だよ。 また、「竹馬の友」という言い方もあります。 意味は、小さな頃から、いつも一緒に遊んでいるほどの仲良し、友達を表す言葉です。 「同卓」(英語の「deskmate」)を意味する単語は思い浮かばないので、『[隣の席だった]Aちゃんと力を合わせて出来た…』のように少し説明口調(せつめいくちょう)になりますが、堅苦しい用語で表現するよりも幼さが表れるので、そのほうが効果的だと思います。 ―おまけ― 「同席(どうせき)する」という言葉がありますが、これは、同じ部屋に居るという意味で、「席を並べて座る」という意味にはなりません。(「同じ場面/状況に臨む」という感じです。) 2.「しかし」以下の読点の位置が気になるとのことですが、私としては「存在しない」を強調したかったので、そこに読点を打ちました。 私はそのように打ちましたが、感じ方/受け取り方は人それぞれですので、awayuki_ch さんが思うように、読点を打ってください。
お礼
度々ありがとうございます。 「同卓」について貴重なアドバイスをたくさん下さり感謝いたします。隣の席の人との関係を表す慣用句は、「机を並べる」と言うのですね。「竹馬の友」という言い方は中国でも同じような言い方「竹馬之友」があるので、よく理解できます。「同席する」は「席を並べて座る」ではないことも心がけます。間違いそうですね。また、読点の打ち方へのご意見に感謝いたします。打つのと打たないのと感じ方によって両方あるのですね。 本当にありがとうございました。
お礼
shigure136さん、いつもお世話になっております。 お忙しいところで添削してくださりありがとうございます。「によって」、「我ながら」、「ページをめくる」、「トレードマーク」、「下を向いたまま」、「思いを抱く」などの表現は今後生かしてみたいです。大変参考になりました。 最後の段落はshigure136さんのおっしゃるとおり、もっと考えたほうが良いと私も思います。私もこの段落が不満足です。書く時にちょっといらいらしていました。早急に結論を出してしまったと思います。また考えてみます。 いつも励ましていただき本当にありがとうございました。私の作文の不足を厳しく指摘していただければ一番嬉しいです。日本語の勉強、頑張ります!
補足
補足させて頂きます。 >当時二人はこの傑作を見ては、下を向いたままくすくす笑っていた。 確認していただきたいのですが、ここの「見ては」の「ては」は「その動作・作用が一回だけでなく、くりかえし起こることを表す」という使い方なのでしょうか。次は参考書の例文です。 1.彼はタバコを吸っては話し、話しては吸う。 2.花ちゃんは、書いては消し、消しては書いて、なんとかして作文を完成させようとしている。 3.雨が降らないからといっては節水する。 4.子供たちは村に近い丘にかけのぼってはかけおりて、楽しそうに遊んでいる。 >目に飛び込んできたのは、隣に座っていたAちゃんと力を合わせて描いた、英語の先生の似顔絵だった。 「隣に座っていたAちゃん」が私の表したかった意味です。「隣席のAちゃん」でもよろしいでしょうか。 中国では普通一つの長い机は二人で使います。一緒に授業を受けたりします。中国語は「同卓」(英語の「deskmate」)という単語で表現します。日本語はやはり「同卓」や「デスクメート」と言わないですね。 >ある時など、ふっと頭を上げたら、なんと目の前にメガネの奥の目を大きく見開いている先生が立っていたことがあったのだ。 ここの「など」の使い方がよく分かりません。説明していただけませんか。 上記のところでもう一度教えていただければ幸いです。追加文もお待ちしております。お時間があるときいつでも良いので、よろしくお願いいたします。