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“cafe girls”とは?―ヘミングウェイ「異国にて」(質問その2)
シリーズ・ヘミングウェー6 気の向くままにヘミングウェイ作品を読んでいるうち、つぎつぎと難解な部分に直面しては、皆さんに質問を投げかけている者です。 さて、短編「異国にて」の非常にオモシロい箇所なのですが、困ったことに翻訳が分かれているので、気に掛かる一節があります。 (…) there were always girls at the tables and the illustrated papers on a rack on the wall.The girls at Cova were very patriotic, and I found that the most patriotic people in Italy were the cafe girls - and I believe they are still patriotic. 主人公を含めたリハビリ中の負傷兵たちの、行きつけのカフェ「コーヴァ」。 判りかねるのが 「カフェ・ガールズ」です。 龍口直太郎は、これを「女給たち」と訳し、大久保康雄は、あいまいに「カフェの女たち」、高見浩は「カフェに集まる女のコたち」としています。 果たして、女給なのか客なのか、これが大きな分かれ目で、当該部分のオモシロさが、相当に大きな影響を受けることになります。 またしても龍口訳は間違いなのでしょうか?
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戦後イタリアの風俗を調べたり原作を読んだり、という作業を飛ばしてこの部分の文面のみを考察の対象とさせていただきます。 カフェに来る客を称してthe cafe girlsと名づけるとは英語的にちょっと考えにくいです。girls at the tables(このフレーズは the illustrated papers on a rack on the wallと同格の扱いを受けている、つまり共に店に属している存在と考えられている)あるいは、The girls at Cova といった表現から想起させられるのはやはりそこで働いている女の子たちです。客の女性ならyoung women 等の呼び方がありえますし、girlを使ったのはやはり#6さんのおっしゃるように女子従業員を表したかったと考えるのが妥当では?前置詞atが2度使われているのも、そこに来る人たちではなく、そこにいる人たちを示唆してはいないでしょうか。高見浩氏の訳にあるような「~に集まる」といった店の方向に向かう動詞が原文には実は無いことも意味深です。 Theyが指すものはイタリアのカフェガール以外に考えられないと思いますが・・・。ここではすでに作者の視点はCovaを離れてカフェガールをひとつのイタリアの社会層として一般化しているわけですね。この職業グループの人々は今でも愛国的に違いない、と言っているわけで、作者の独断と偏見に満ちたユーモアを披露している箇所だと思います。 あるカフェが高級かどうかは絵入り新聞の存在だけで判断できるものではないでしょう。ヨーロッパの一流カフェとはあらゆる雑誌新聞類をそろえているのが当然とされていますから。 なお、Cafe Covaに関して下記のURLを貼っておきます。面白いですよ。
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No. 1の補足です。 日本語のカフェ・ガールが何であるか知りませんが、女給を"cafe girls"と訳しているのです。 正確な意味は著者に聞かないと分からないでしょうが、少なくとも次の人たちはcafeで働く女性を意味していると思います。girlには軽蔑的な使われますが女子従業員の意味があります。 「Of course the Rochester store at Pittsford Plaza is my usual haunt; where I have a nodding acquaintance with the clerks, and am fine-tuning a running dialogue with the cafe girls. 前にclerksがありcafe girlsの前にtheがあるということは、不特定の客ではなくcafeで働いている女性のことを指します。 http://www.antigeist.com/mortimer/archives/2006/08/my_new_job.html It was brought to my attention today that when I jumped off the stage at the last song, my guitar cord was too short and came flying out of my amp and hit someone in the face. The nice cafe girl who gave us water. I didn't know about it until today, so I apologize to you, nice cafe girl, for hitting you with my cord. http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewprofile&friendid=32468487 When Brassai took his camera out into the Paris night, he was reveling in the humanity-- not the alienation--of the whores, thieves and gay demimonde he photographed: the naked brothel staff with dimpled bodies whose shapes remind you of Babe Ruth, the lurking darkness beneath bridges, the cafe girl with spit curls and a bad tooth lolling heavy-lidded between two sailors, ... http://www.pulitzer.org/year/2000/criticism/works/allen5.html I was scraping rock bottom a few months ago. it came time to pull myself up by the boot straps, so i threw the ol' punk ethics out the window and shackled myself to the espresso machine. thats right im a cafe girl now. http://profile.myspace.com/index.cfm?fuseaction=user.viewprofile&friendid=27833617
お礼
いろいろ実例を列挙してくださいまして、ありがとうございます。 「カフェ・ガール」=女給の線が濃くなってきた印象がありますね。 ただし、高見浩としては、それを重々承知のうえで、女性客のニュアンスを出した訳語を選んのでしょうから、それがなぜなのか気になるばかりです。
No2です。気になる点があり補足します。 >現時点で一番新しい高見浩の訳が、誤りなのでしょうか…… 誤りとは断定しませんが、あたらしいからこそ、昔の社会風俗を理解していない(調べていない)可能性が ありますね。翻訳は語学力だけではありませんから。 >They are.... 一般に屁理屈を捏ねるインテリよりもこのカフェ・バーのようなところで働く人の方が愛国者が多いと思います。作者は昔(過去)を振り返って書いているようなので、they are still patrioticと女の子(女給)たちを思い出しているのでしょう。お店に出入りする 不特定多数の客を指して「彼らは愛国者だ」とは言わないでしょう。 >the illustrated papers 絵入り新聞が置いてあるということはカフェの客は 庶民であり、高級クラブの雰囲気は感じられません。文章からは当時の社会風俗が伝わってきます。
お礼
ご意見をありがとうございます。 私の追加した疑問(theyの指示対象如何)で、議論が、かなり錯綜し始めています。 要するに、martinbuhoさんは、 (a)the cafe girls =「女給たち」と読み、その論拠を、いわば、庶民もしくは肉体労働者の愛国精神にもとめるわけですね。 (b)そして、they =「当時の女給たち」であると。 (c)その際、「絵入り新聞」は、「店の品格」を暗示している要素に過ぎず、それを読むのが誰かはとくに問題にされていない、との御理解ですね。 ――もし、今後ほかの方が、回答を投稿される場合には、ご面倒ですが、上記の3点について言及していただきたいという点を、勝手なお願いとして、ここに付記しておきます。例によって、かなり難しい問題になってきましたので。
- Riverview
- ベストアンサー率63% (227/355)
プロの意見も分かれるほどなので、何はともあれ、この短編の初めからこのくだりまで読んでみました。 この部分はthe illustrated papers on a rack on the wallが決め手になるのではないでしょうか。これ以前にはCovaの壁にイラストがあることは触れられていないのにthe illustrated papersとtheがついています。ここで、特定するものがあるとすれば、個人的にはgirlsを描いたイラストだと解釈します。もちろん客を描いたイラストの可能性を否定することはできないものの、そこで働いている女性を描いたと捉えるほうが自然だと考えます。
補足
いささか当惑をおぼえました。 イラストが、女給を描いている?とのお話ですが、この"the illustrated papers" は「絵入り新聞」という訳で足並みが揃っていますので、Riverviewさんの誤解ではないでしょうか。 ただ、この絵入り新聞に着目しておられるのが、良いヒントになりました。 私の思いつきですが、若い女性客たちが、熱心にその絵入り新聞を読むのでは?そして、活発に会話をする。 だから、主人公から見て、彼女たちはいかにも patriotic だという話の展開なのではないか、という推測です。我ながら、当たっているのではという気がします。
- gabriel-angel
- ベストアンサー率57% (4/7)
there were always girls at the tables の girls が,The girls at Cova の girls であり,the cafe girls の girls だと考えられます。 there were always girls at the tables というのは,「カフェに集まる女の子たち」のことを言っており,給仕している女性のことではないでしょう。 カフェの女給が patriotic というのもピンときません。
お礼
ご説明下さいまして、ありがとうございます。 文脈的には、そう捉えるのが正しいような気がしています。 しかし、そう読むと、内容的にたいして面白くない部分になりますね。 >カフェの女給が patriotic というのもピンときません。 とのご意見ですが、むしろ、そうであってくれれば、スゴく想像力を掻き立てられるのですが…… やはり、可能性は少ないと見たほうが良さそうですね。
補足
コトのついでに、お答えいただきたいな、と思うのですが。 当該箇所を締める、"and I believe they are still patriotic."の they についても、やはり、流れからいって、その当時そこにいた客たち(が、もはや girls ではなくなった今でも)を指すと、お読みになりますか? それとも、この they は、やや一般化して、今、物語が語られている現在、カフェに集まる(新たな)girls を指すと思われますか? 個人的には、後者であってくれたほうが、読んでいて面白いのですが(前者では、なんの妙味もない話なので)。
イタリアの当時のカフェの風俗を調べる必要がありますが、とりあえずは海外の真似をしたであろう日本の カフェから、当時のカフェではお酒も出していたこと、サービスをする女性がいたことが分ります。昔の マッチの箱にそのような女性が描かれているのをコレクションで見たことがあります。 高見浩の「カフェに集まる女のコたち」は誤訳ではないかと思います。 現代のカフェ・ガール http://www.cs.cmu.edu/~mzucker/images/photos/albums/japan_06/japan_06-Pages/Image2.html
お礼
お答えくださいましたことに感謝申し上げます。 すると、現時点で一番新しい高見浩の訳が、誤りなのでしょうか…… ここも、やや迷うところです。
San Francisco Chronicle の True Geisahの記事からの抜粋です。 In the 1930s, as Japan began to adopt Western ways, "cafe girls" -- the precursors to modern bar hostesses -- began to compete with the geisha, who numbered 75,000 at the time. この文章から明らかにcafe(バー・レストラン)で働く女性のことだと分かります。ちなみに秋葉原等の喫茶店でメードの格好をした女性たちを maid cafe girls と英語では言っています。cafeにはcoffeehouse の意味もあります。
お礼
ご意見をお寄せ下さいまして、ありがとうございます。 ただ、日本の「カフェ・ガールズ」では、かならずしも直接的な解答という感じではありませんね。 ちょっと迷いが残ります。
お礼
有益なご意見を、ありがとうございます。 なるほど、cafe girls=女給で、しかも、theyは、その当時そこに居た女給ではなく、「今」の女給一般を指す、というご説明ですね。 まさに、 >作者の独断と偏見に満ちたユーモアを披露している箇所だ というのが、私の最初の読後感でもあります。 お言葉の通りヘミングウェイのレトリックが利いた一節だと感じていた。 それなのに、高見浩の訳で読むと、凡庸な箇所に変質していて、味が完全に消えている。 驚いて、ここで質問を投稿させてもらったというわけです。 しかも、ご案内された「コーヴァ情報」によると、当初からセレブ向けのカフェだった、と。 カフェ・ガールズを常時たくさん雇用しておけるだけの資金力もあったと考えられますよね。 つまり、ANo.4さんへの補足で、私が、展開した推理(高見浩を擁護する線での)は、どうやら間違っていた、あるいは、うがちすぎた見方だった、ということでしょう……