- ベストアンサー
ヘミングウェイ「異国にて」:病室での議論と妻の死
- 病室で、傷病兵の主人公がリハビリ仲間の少佐と議論になる。
- 議論の結果、少佐の妻が病没したことが明かされる。
- 翻訳の問題点として、龍口訳の「家内がつい最近死んだもんだからね。赦してくれたまえ」が弱いと指摘される。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
Gです。 こんにちは!! また、ヘミングウェイですね。 実は私の好きな作家でもあります(これは4年ほど前にこのカテで書きましたが)ので私の考えを書かせてくださいね。 どうか、なぜヘミングウェイがこれほどまで愛されていながら高校・大学での英語科目で厳しい質問を教授がするのでしょうか。 それは、あまりにも人間性や心理的なもの(セックス・結婚についてでも)をあの時代に奇麗に描写しているからだと私は思うのです。 それにもかかわらず、何かを考えさせるものがあるのですね。 今回の様に自分を作品に入れ込み実際自分が経験した事を背景に書いていますね。 怒りを表した表現で何を彼は言いたかったのでしょう。 なぜ、その怒りをこれほどまでに表現しなくてはならなかったのでしょう。 今回のjustを辞書的に理解する事が本当に正当化できることなのでしょうか。 (前回でもありましたね) understand Hemingway's words with discountと言われるゆえんでもありますね。 手を、脚を怪我する事が、lose everythingなのでしょうか。 それとも、病気だった妻が彼にとって全てだったのでしょうか。 フェンシングが出来なくなったからか。(実際にはこのMajorはこの後ピストルで自殺したらしいいですが、もう何十年前の事なのでうら覚えですが) 全てをなくす運命にあるならばそうなる立場に自分を置くな、と言っていますね。 その立場とは戦場に向かう事なのか、結婚する事なのか。 二つのメインテーマをこの多く語られた短編にどのように持って行きたかったのか。 なぜ、妻が死んだと言うのに、若いアメリカ人に謝らなくてはならないのか。 本当に電話をしたのか。 それとも、いつものように怒りを抑えられていない事に気が付き一人になって考え直すためにわざとその行動をとったのか。 そして、自分のとった言動に対してまだ若い主人公に、「まだまだなくしていないものがある」と言いたいのか。 さらに、何の効果もない機械であり、自分たちがはじめて使うものだと言うのに、治療前と治療後の写真があるのはなぜか。 まだ治って生きていける可能性をヘミングウェイは示したかったのか。 これらの事をもう一度考えながら読み直してみてください。 龍口氏の英語理解力のすばらしさが分かると思います。 文字の中の深い意味を読み取る英語力、ヘミングウェイはそれを私に教えてくれました。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
その他の回答 (3)
- Ganbatteruyo
- ベストアンサー率63% (4601/7273)
Gです。 >まだまだ疑問は開かれたままである、とのご趣旨ですね。 いいえ、そういうことではなく(多分私の回答が疑問文だけで書いてしまったからだと思いますが)、なぜ巨匠が巨匠と言われるのか、を考えれば、どっかのひげ面のおっさんが昔経験した事を基にしてそのときにあった人との「会話文」をただ書き連ねたものではないと言う事を知ってもらいたかったのです。 もう一度このクライマックスの文章を読んで見てください。 いかにも普通の会話文みたいですね。 しかし、私は、巨匠の表現力が「巨匠の思想」を何とか滲み出そうとしている、つまり巨匠自身のフィーリングですね、のを分かって欲しいのです。 機械と負傷兵士、死と生、地元人と外国人、前後を示す写真、生きる希望と死への急ぎ(これはこの短編の背景としてしか分かりませんが)、若と老、過去と現実、などこの本当に短い短編を「ただのお話」として理解してはこの凝縮された英語表現から私たちが学べる英語力の向上と「もう一度自分が生きている社会を見直し、自分の人生を考える」事で「効力のないとされる機械」と言う比喩的表現を使って「批判しがちな現状」でさえ結局は「自分から進んで使うようになり」、彼の言う「(戦争のような)全てを失うような立場に自分を置くな」は結局自分から「失ったものにかじりつく必要はない、これからの自分を作り上げていかなくてはならない」とまで彼は言いたいのでしょう。 Another Countryは単なる「異国」と言う場所だけを示しているとは考えられないわけです。 なぜ、このアメリカ兵士(ヘミングウェイ自身)に「これからどうする?」と聞いているのでしょう。 単なる「会話文」ではないのです。 母国から離れて足を失った現状、地元で手と妻を失った現状、countryと言う1900初期での「母国愛」はただの「国」だけを意味するものではないはずなのです。 外国語を習う場面も意味を持たせた場面なのです。 イタリアにいるからイタリア語を習う、だけの表現では、長編ならまだしも、これほどの短編としても短い「意思伝達手段」で使っている理由を感じて欲しいと私は言うわけです。 フェンシング、と言う単語にしても同じですね。 喪に浸ることを決意したMajorが使える手で肩を叩き、と言う表現も同じです。 今いる自分、今失っていないものを使って、人間性を引き出した「意味のある行動」をしているわけです。 これらを書き始めたら30ページ以上になってしまいそうなので<g>書きませんが、どうか、「どっかのおっさんが書いた文章」ではなく、巨匠と世界中で認められた、超人的表現力と一貫した思想表現ができる人が書いたものであることをもう一度分かって欲しいのです。 今回のjustと言う単語を使って私のような者がが書いたのであれば、辞書どおりの意味でいいでしょう。 しかしながら、巨匠と認められた人が言葉による表現を2重3重の意味を持たせて「書かないはずがない」と言う、言ってみれば「常識」とも言える「読む姿勢」で読むわけですね。 戦争悪を土台として(上に書いた以上に)ヘミングウェイの深い思想を出したものとして世界中で認められてきた理由がここにあるわけなのです。 このjustを、ついさっき、と訳す事がどれだけ「もったいない」と言う事を龍口氏は考えあえて誤訳と批判されるかも知れない訳し方をしたのであろうと私は考えたいのです。 >もちろん、それは一つの賭け――極めて不利な――としてはありうるでしょうけれど。 そういうことでしょうね。 言い換えれば、ヘミングウェイのこの作品自身が「ひとつの賭け」として、自分が言っている事を理解してくれない人だって必ずいる、と彼自身知っていて書いたはずです、と言う事でもあるのです。 しかしこの作品を熟読すればするほど、単なる回想文でないと言う事に気が付くと思います。 >個人の嗜好によるわけでしょうね。 私の言う「もったいない」ままで読むのか、英語習得中の自分が一種のある「普通の人では達成できない」ものをあえて可能性を信じ身に付けていこうと読むのかの選択はヘミングウェイとしても強制できない事ですね。 つまり、エンターテイメントとして読むか、名作から何か自分のためになる事を得るか、それは、読者が決める事であり、また、翻訳をどのように作者のフィーリングを表現するか、どちらが正しい、と言う事ではなく、人が言うからそうだ、ネットにそう書いてあるからこうだ、ではなく、自分にどれだけの理解力を持たせたいのか、と言う考えがなくてもその人の自由でもあるわけです。 ただ私は「もったいない」と感じるのです。 私は後者を選んだ、と言う事でもあります。 これが実は私の言う「フィーリングを感じる」能力であるはずだ、と思うところでもあるわけですね。 という事で、私自身はこのjustは「今さっき」ではないはずと個人的に、また多くの人たちが感じるように、思うので書かせていただきました。 誤訳と決め付けるのは私にとっては「もったいないな」と感じるわけです。 なぜか大学院の英語文学科での読書感想文になってしまったみたいですが、私のつたない日本語で書いたため、私たちの感じることが私か今回書いたこととどれだけマッチして理解していただけるかちょっと心配である、と言う事も書き添えさせてください。
お礼
ありがとうございます。 肉体労働の余暇活動を、とにかく知的なエンジョイメントで満たしさえできればイイといった欲求に呑まれがちなのですが、そんな私にたいして、Ganbatteruyoさんのご意見は、強くpietyを喚起するものだと感じます。 それが「もったいない」というコトバの真の射程なのでしょう。 尚、ところどころ、Gさんのお書きになる日本語には――性急さゆえでしょうか――文章構造の不完全さをお見受けしますが、そこで、私が思わぬ誤解をしている恐れもありますから、代表的な一箇所だけとりあげて、パラフレーズさせていただきます。 >この本当に短い短編を「ただのお話」として[だけ]理解して[しまって]は[もったいない。]この[見事に]凝縮された英語表現から私たちが学べる[ものとしては、]英語力の向上と「もう一度自分が生きている社会を見直し、自分の人生を考える」事で[もあるはずです。] 「効力のないとされる機械」と言う比喩的表現を使って[作者が伝えようとしたのは、]「批判しがちな現状」でさえ[人は]結局は[批判を止めて]「自分から進んで使うようにな[るという怠惰さ・愚かしさであ]り」、[また、]彼の言う「(戦争のような)全てを失うような立場に自分を置くな」[云々というセリフの中で]は結局自分から「失ったものにかじりつく必要はない、これからの自分を作り上げていかなくてはならない」とまで彼は言いたいのでしょう。
- sukinyan
- ベストアンサー率38% (119/313)
おおー!失礼致しましたー! 龍口直太郎選手、サマセット・モーム作品をメインに、3ページ弱の検索結果です。が、高見・大久保両選手と比較して、圧倒的に少ないです: http://www.amazon.co.jp/gp/search/ref=sr_pg_1/250-0432600-2401857?ie=UTF8&keywords=%E9%BE%8D%E5%8F%A3%E7%9B%B4%E5%A4%AA%E9%83%8E&rh=n%3A465610%2Ck%3A%E9%BE%8D%E5%8F%A3%E7%9B%B4%E5%A4%AA%E9%83%8E&page=1 しかし、スポーツ名選手との喩えは本当に理解し易いです。皆、それぞれ個性が異なり、エラーも出るが、味のある選手はファンから愛される。本当にそうですね。正確な訳でもダイナミズムに欠ける場合、物足りない感じになってしまう作家も出てくる訳ですね。ピアニストでも、モーツァルト弾きとして世界的に評価の高い内田光子さんや、バッハを弾かせたら天下一品だった超天才の故グレン・グールドなど、それぞれ違いますもんね。釣りも本当に「深い」世界で、関連雑誌が世界中で発行されていますが、アマチュア釣り師に関する小話を一題。 What did you catch today? 「今日は何が釣れましたか」 Just cold. 「いや、風邪引いただけでした」 http://www.flyanglersonline.com/features/readerscast/rc333.html (フライフィッシング愛好家の投稿を掲載したサイトを見つけました) 大変失礼いたしましたー。
お礼
楽しいジョークの紹介を、どうもありがとうございます。 そういう分かりやすいのは、とても好きです。高度な語学力を要するものは、笑えるまでに時間がかかりすぎて疲れますからね。 引用なさった釣り師のエッセイも一読しました。これもジョークかと思いながら読みつつ、どんなオチが来るかハラハラしていたんですが(最後に、子供がサディスティックな目にあうのか?それとも祖父がやっぱり帽子のことを怨んでいて?)、フツウにあたたかい話でしたね。いや、じつに教育的です。
- sukinyan
- ベストアンサー率38% (119/313)
なーるほど、recently(或はそれに類する単語)が原文に含まれてはいないのに、「つい最近死んだもんだからね」と。「妻を亡くしたばかりなんだ」ですらないということですね。 瀧口訳の完敗ですね。 ちなみに、アマゾンjapanで、翻訳者さん3名を検索してみました。 完敗の瀧口氏、現在ゼロ。彼の翻訳作品は、out of printで、復刊されることはないでしょう。 高見さんの場合は、ヘミングウェイ中心に、現役で活躍されておられる(訳書が売れ続けている)ことが如実に現れました。 http://www.amazon.co.jp/gp/search/ref=nb_ss_b/250-0432600-2401857?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%8D%82%8C%A9%8D_&Go.x=0&Go.y=0&Go=Go 大久保さんは、ナボコフ、スタインベック等の作品を中心に、訳書が売れ続けています。 http://www.amazon.co.jp/gp/search/ref=sr_pg_1/250-0432600-2401857?ie=UTF8&keywords=%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%BA%B7%E9%9B%84&rh=n%3A465610%2Ck%3A%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%BA%B7%E9%9B%84&page=1 Wouldn't you call this 'a poetic justice'? これこそ、我々がポエティック・ジャスティスと呼ぶものであります。 読者さんは、ちゃんと選ばれているのですね。 優秀な翻訳者の作品だけが、商業的に生き残っています。 瀧口訳の本は、希少価値が高まり、神田で高く売り飛ばすことができるでしょうか?(We) Don't think so. とても勉強になるご質問シリーズ、有り難うございました! 次を楽しみにしております。
お礼
さっそくご意見をお寄せいただき、ありがとうございます。 この箇所で、龍口直太郎が手痛いミスを犯したことは、どうやら濃厚のようですね。 ただ、ちょっと待ってください、sukinyanさん! 「瀧口」ではなく、「龍口」ですよ! しかも、「たつのくち」と読むのです――なんという不利な名前でしょうか。“不利”という語は、まさにこういう事柄を指すためにあるとしか考えられませんね。 ですから、再度お確かめになればお分かりになるはずです、彼の翻訳は今なお流布しています。 そのうえ、実を言うと、私個人は彼の訳文を、その“文体”において最も愛好しているのです。また、龍口氏いわく「私自身もヘミングウェイに劣らぬ釣り狂である」と述べており、この些細なエピソードのせいで、私は、なぜか彼に手放しの信頼を寄せたくなる。 ただ、残念ながら、今回見たように、ところどころで痛恨のエラーがあるらしいのですが…… まあ、その類の名選手というのはスポーツ界にも存在しますが、決して「裁かれ」たりはしないでしょう? ミスをする人にこそ才能があるものだと、私は思います。 (その点、高見浩の新訳は、非常にミスが少なく、その代わりダイナミズムに欠ける、というのが、現段階の私の感触です。)
お礼
懇切丁寧な回答を寄せてくださいまして、ありがとうございます。 まだまだ疑問は開かれたままである、とのご趣旨ですね。 ただ、ごくフツウに読む限り、この作品については、冒頭部分「秋には、いつも戦いが激しくなる」と合わせて、龍口訳は、若干無理があるという気がします。 もちろん、それは一つの賭け――極めて不利な――としてはありうるでしょうけれど。 結論的には、その賭けっぷりを愛するか、一種の重力法則にしたがっておちつくべき解釈を取るか、個人の嗜好によるわけでしょうね。
補足
Ganbatteruyoさん、いくつか私の理解が至らなかった文章がありますので、お伺いを立てます。 >どうか、なぜヘミングウェイがこれほどまで愛されていながら高校・大学での英語科目で厳しい質問を教授がするのでしょうか。 おそらく私のみならず、この投稿を閲覧する誰もが、上記の文意を把握できないと察します。 いったいどこの高校(?)で、Hemingwayの英文を取り上げるのでしょう。アメリカでのお話ですか?ちょっと日本では、考えられないのですが。 また、「厳しい質問を教授がする」というのも、趣旨が不明です。 アメリカ(?)の英米文学科で、教授が、学生に(?)レポートの題材として(?)ヘミングウェイ作品を課すということでしょうか?しかも、その点数が辛い? >人間性[…]をあの時代に奇麗に描写しているからだ というのも、いまひとつ不明です。「奇麗」とは?つまり「あの時代」の含意は、性風俗(の描写)に厳しいという時代背景を指すのだとして、その上で「奇麗」とは?