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he washed up in the washbasin――ヘミングウェイ“Up in Michigan”から(質問その1)
ヘミングウェーの初期短編「北国ミシガンで」から、私の気に掛かる箇所を連続で投稿し、みなさんのご意見を頂戴したいと考えています。 物語は、ある田舎娘が無骨な鍛冶屋の男に熱烈な片想いをし、男が“力づく”でそれに応えるというものです。 冒頭の非常にいいシーンだとおもう場面で、こんな描写があります―― One day she found that she liked it the way the hair was black on his arms and how white they were above the tanned line when he washed up in the washbasin outside the house. Liking that made her feel funny. 気になるのは、he washed up in the washbasin です。 これは、一体どういう感じで、どこを洗っているのでしょうか? 翻訳はみごとに分かれています。 1)「彼が家の外の洗面盥(だらい)で体を洗っていたとき」(龍口直太郎) 2)「彼が家の外の洗面器で手を洗っているとき」(大久保康雄) 3)「戸外の洗面器で顔を洗っている彼を見ていて」(高見浩) 上半身(?)を豪快に洗っているとした龍口の訳が、私は気に入っているのですが…… 大久保訳では、男が、チマチマと神経質に手を洗っているかのような印象が生じかねないし、高見訳では「顔」に注目するという点で、ポイントがズレてしまう。 副詞の up がカギなのでしょうか、あるいは washbasin の大きさを知識として要求する箇所なのでしょうか?みなさんのイメージをお聞かせください。
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アメリカに38年住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 この表現を理解するには鍛冶屋で1900年初期と言う背景を十分考慮する必要があるでしょう。 tannedと書いてありますが、これは、今では日焼けと訳されていますが、これは職業柄の「鍛冶」の熱からくる肌の変色のことを指している筈です。 作業服、時に皮で出来た、の下は「焼けていない」わけですね。 熱と重労働の為に汗まみれになっているはずですね。 outside houseと言う事からも「お風呂代わりの」大きな盥(たらい)(washtub)の中で体を洗っていると言う表現だと思います。 手や顔を洗う為の洗面器と訳しそれを野外(家の外なのですが)でとなると、wellpump/handpumpと言う昔日本にもあった手でガチャガチャやった井戸の下にこの小さな洗面器を置いて手(腕と顔)だけを洗っていたという表現だということは考えられますが、どうしても私には「お風呂代わりの盥の中にいた」と解釈するのです。 しかしあの時代で「裏本めいた表現」をヘミングウェイがするかなと思うと、いくらその男が真っ裸で全てが彼女には見えたとしても、また、胸毛の黒さとその下のおへそ辺りの白さの違いにshe felt funny(性的感覚)を 彼の作品では表現できなかったと私は思うわけです。 よって、腕の事だけで「第三者的観察表現」を済ましていたのだと思います。 その表現方法を使うことで余計「想像力」を読者に任せた、と私は考えるわけです。 盥の中で(wash up with a washbasinー洗面器を使って、ではなく)洗っている様子が、彼女の存在をも知りながら真っ裸で体を洗うと言う「知りながら」もどこかこの表現にはでていませんが、読者に感じさせるものがあるのではないかなとも自分勝手に想像を今私はしています。<g> upは「上」のフィーリングをしているのではなく、wash upと言う熟語的用法で、手や顔を洗う、と言うフィーリングを持つ表現ですが、鍛冶屋と言う体全体が汗みどろになる事から、洗い流して綺麗にする、と言うフィーリングでここでは使われていると私は感じやはり盥の中で体を洗っている(腕や上半身だけでなく)とひそかに表現したと感じます。 最後にヘミングウェイをAmerican First Sexual Revolutionをした一人として考えられるとする人がいるということはすなわち今回の作品にもあるのではないかと考えてもいい、と私は感じると言う事を今回の回答の一部とさせてください。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
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- sukinyan
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上半身のみ脱いで、脇の下や首などを洗っているように想像します。 他のnativeにも確認しましたが、やはり同じでした。 ただ、私どもは「老人と海」ぐらいしか読んだことのない英国人ですので、アメリカの方とは解釈が異なるかも知れません。
お礼
ありがとうございます。 やはり、シャツは脱いでいる、とのイメージですね。 私もそういう印象だったのですが、しかしシャツを着ている可能性も(乏しいにせよ)否定しきれないですね。実際、ANo.1氏は、シャツ着用とのご意見でした。 1900年ごろのアメリカ、戸外で男が肌を晒す頻度およびシチュエーション、そのへんの歴史的知識があやふやなものですから、判断が難しいです。
- gryfinndors
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この訳の失敗はご指摘の通り、washbasin の扱いです。 今で言えば洗面台ですが、恐らく水道でないこの時代で、washbasinの適訳は日本語にはないでしょう。 大きな桶というところでしょうが、少なくとも洗面器よりはずっと大きい。 従って2と3は不正解。 テストならまあ正解でしょうが、翻訳なので読者に間違ったイメージを与えているから。 次に決定的なミスはwash upでこれは顔もしくは顔と手を洗うというはっきりとした定義があるので1も不正解。 こちらはテストだったとしても不正解。 hair was black on his armsですが、普通毛深い人も肘から下なので、このarmsは肘から下の部分の腕でしょう。 そしてabove the tanned lineは恐らく肘の上の部分。 鍛冶屋は肘の部分までの半そでのシャツを着ているのでしょう。 さて、動作ですが鍛冶という仕事からして、顔だけ汚れるとは考えにくいので、洗ったのは顔と腕と考えるべき。 ただ服を来たままで、洗っているときにちょっと袖がめくれて日焼けしてない白い部分がちらちらと見えたのだと思います。 だからこそLiking that made her feel funny.なのです。 今で言うフェチみたないものかな。 質問にその部分が載っていないのが残念。 どんな訳が続いているのだろう。
お礼
ゆきとどいたご説明に感謝を申しあげます。 washbasinは、かなり大きなモノで、wash upは、「顔(と手)を洗う」とのご教示、勉強になりました。 日本語訳としては、3者いずれも不足があるとの判定ですね。 ちょっと残念なお話です。 男が服を脱いでいたのかいないのか、その点にヘミングウェイが言及していないことが、こういう“混乱”を生じさせたのでしょう。 自由に読者の想像に任せたと言うこともできますが……
補足
>だからこそLiking that made her feel funny.なのです。今で言うフェチ[…] たしかに、ここにはフェティシズムがありますし、オイシイ文章です。 だから、どう訳すかも、腕の見せ所。 1')「そんなところまで好きになって、と彼女は妙な気持ちだった。」(龍口) 2')「そんなものまで好きになるなんておかしい、と思った。」(大久保) 3')「それを意識したとき、彼女は妙な気がした。」(高見) 個人的には、龍口訳がぶっちぎりでイイ(ほとんど胸キュンです)と思うのですが、まあ、大久保訳もそれなりに味がありますね。高見訳は、読んでるこちら側に妙な気をおこさせる。 ただ、原文の構造からすれば、高見訳が妥当なのかな……
お礼
たいへん丁寧な解説をいただき、ありがたい気持ちでいっぱいです 要するに、全裸に近い男性イメージを、このフレーズは許容しうる、とのご意見ですね。 私自身も、ぜひそれに近い感覚で読みたいと思っていましたので、力を得たような気がします。 >wash up with a washbasinー洗面器を使って、ではなく とのご指摘は、まさに同感で、"in the washbasin"が、ここでは、男の体のジャブジャブ浸かっている様子さえ連想させる。 しかし、wash up が、“手と顔”を洗うニュアンスだというので、ジレンマが生じてしまう。 ここは本当に、ジレンマです。 そういった次第で、これまでの回答諸氏のイメージも、No.1氏がシャツ着用、No.2氏が上半身裸、No.3氏が全裸、と多彩なスペクトラムを示したわけでしょうね。 >tannedと書いてありますが、これは、今では日焼けと訳されていますが、これは職業柄の「鍛冶」の熱からくる[…] この点は見逃しておりましたが、おそらくそうだろうぁなと思いながら読んでいました。しかし、厳密には「日焼け」と訳すのはマチガイでしょうね(龍口、大久保、高見とも、日焼けor日やけと訳していますが、妥当な日本語が浮かんできません)。 >彼女の存在をも知りながら[…]読者に感じさせるものがあるのではないかなとも[…] "わざと"肌を剥き出しているのかどうか、この男の心理(ニクい心意気?)が実に興味をそそります。たぶんそれが最大のサスペンス要素なのでしょう。これについては作品中では最後まで明示されませんが、後日、別途、私のほうからそれに関連した質問投稿をいたします。どうぞ参照ください。