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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ヘミングウェイの短編「異国にて」から(疑問―その1))

ヘミングウェイの短編「異国にて」からの疑問

このQ&Aのポイント
  • ヘミングウェイの短編「異国にて」からの疑問について解説します。
  • 短編「異国にて」は負傷兵の日常と友情を描いており、一文から深い感銘を受けました。
  • 翻訳の違いからくる文の意味の違いについても考えてみましょう。

質問者が選んだベストアンサー

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  • shiremono
  • ベストアンサー率70% (187/267)
回答No.7

"always" は、一般的な意味に解しておけばよいとおもいます。書き出しの部分では、 "always" の範囲について "In the fall" と限定し、いままでの戦況についてはなにも述べていません。 ( ところで、 "the fall" は、この短編の場面をなす特定の秋をさすとおもいます。それは (2)、(3) の訳ということになります。秋一般をあらわすのに the をつけることもあるので、 (1) の訳も文法的な誤訳とはいえないでしょうが、その解釈には疑問がのこるということについて、後述します。 ) 読者は、 "but we did not go to it any more." まで読んで、 "われわれ" がもはや戦いにいかなかったこと、すなわち、それまでは戦いにいっていたということ、つまり、戦いがそれまでにもあったということを知らされます。しかし、なぜ戦いにいかないのか、という理由については、まだ明らかにされません。こうした叙述の効果をかんがえても、 "always" は、その "秋" に限定して、 "戦いがたえまなくあった" と読むべきではないかとおもいます。 さて、同じ段落で "fall" が3回くりかえされたあと、病院の場面になると、冒頭とよく似た文が "in the fall" なしでふたたびあらわれます。 "We only knew then that there was always the war, but that we were not going to it any more." ここでは、 "always" の範囲が拡大しています。第一次世界大戦のイタリア戦線についての記事 (参考URL) をみても、語り手の参加した前線でとくに秋になると大きな戦闘があったとはかんがえにくいようです。 (実際には大きな戦闘のあいだに小休止があったにせよ、) 戦いはたえまなく [戦争はつねに] あった、というのです。 冒頭の文では、 "秋" に焦点があてられていますが、その "always" の意味は、上に引用した二度めの "always" と同じはずです。はじめの "always" を still の意味に解釈することは、全体の文脈にはあてはまるのですが、冒頭の衝撃力を減じてしまうようにおもうのです。

参考URL:
http://en.wikipedia.org/wiki/Italian_Campaign_%28World_War_I%29
noname#73834
質問者

お礼

懇切な御回答をどうもありがとうございます。 幾多の点で共感をおぼえるいちばん穏当な解釈という印象をもちました。 すなわち、 (a)"the fall"といっても、一般化されているケースもあるが、ここではそうではない。 (b)そして、"always"は、ヘミングウェイの平易な文体からして、stillと同義であると取るまでも無い。 (c)第一次世界大戦における「秋」の特殊性は見出せない。 結局、「その秋は、始終戦闘をやっていたが、もはや僕らが出陣していくことはなかった。」というような訳に落ちつきそうですね。

その他の回答 (7)

  • rimini
  • ベストアンサー率50% (34/67)
回答No.8

日本語訳3例とも「戦闘が続く」、「激しくなる」など、ダイナミックな訳になっているのが気になります。原文で使われている動詞は存在を示すbe動詞で、かえって静的なニュアンスを醸し出しています。また、thereの出す他人事のようで無視できない距離感というものが少しも訳出されていないのも不思議です。後続のbut we did not go to it any moreが、"我々"と戦争との距離感を敷衍しているとも受け取れます。文学者というものが一語一語を練りに練ることを考えると、これは偶然ではなく、戦争の圧倒的な存在感を示すために作者が選択した仕掛けではないでしょうか。したがって、#7さんのように、"戦いがたえまなくあった" [戦争はつねに](そこに) あった、とするのが一番妥当では、と考えます。 文学作品の翻訳にあたって動詞もすべて呼応させよと主張しているわけではなくて、ケースバイケースなのですが、ここではあまりに原文の持つインパクトが訳文で薄れてしまっている気がします。 In the fallについては、秋になると、ではなくduring the fall寄りに考え、秋の間、と解釈すれば、alwaysがすんなり入ると思います。(冬の間、夏の間、に比べで今ひとつ一般的な言い回しではありませんが・・・。)

noname#73834
質問者

お礼

ご意見をありがとうございます。 be there の兼ね備える意味が、ある種の遠隔性、「静的」な「距離感」と、「圧倒的な存在感」との両方だ、とご指摘されたことは、もっともだと思います。 私としても、当初 alwaysが、「毎日」あるいは「一日中」というニュアンスで迫ってくる印象を受けましたので、ご意見に大変賛同できます。 冒頭 In the fall も、きっと「その秋の間は」という意味でしょう。 結局、この箇所の龍口直太郎訳は、おかしいですね。

  • MayIHELPY
  • ベストアンサー率49% (335/674)
回答No.6

alwaysには「常に」という意味しかないという固定観念を持たれているのではないでしょうか。この単語は「(以前から)ずっと」(つまり今でも相変わらず)という意味も持っていることはご存じでしょうか。グランドコンサイス英和辞典にはこの意味が掲載されていますし、さらに、主にスコットランドではstillの意味でも使われると掲載されています。なお、alwaysに該当するフランス語はtoujoursですが、フランス語の辞書では「今でも、相変わらず」とう訳語が見出しの部分に記載されています。 以上の理由で私の最初の訳とこのフランス語訳は適切な訳だと考えますが、この訳がどのように歪められた訳なのでしょうか。さらに、その根拠として貴兄はどのような訳を想定されているのでしょうか。

noname#73834
質問者

お礼

なるほど、MayIHELPYさんのように、"always"=stillだと断言されるなら、ここでの私の疑問はほぼ氷解します。 また、フランス語でalwaysをtoujoursにおきかえているなら、とくに作為的ということでもないようです。 そこには、私の誤解があったようですね(つまり、龍口訳に、わずかな可能性があるのか、あるなら、若干そちらへウェイトを残しておくべきなのか、という疑惑・観点から、各回答を読んでおりましたので)

  • MayIHELPY
  • ベストアンサー率49% (335/674)
回答No.5

フランス語訳を検索したら「秋になり、相変わらず戦いは続いていた」と訳されていました。

noname#73834
質問者

お礼

情報をありがとうございます。 ただ、そのフランス語訳も、ヘミングウェイを微妙に歪めているような気はしますね。 もし「相変わらず」なら、always ではなく still になりそうですが。 ヘミングウェイは、always を使っているので、これがとても気になります。しかも、きわめて簡単な語なのに理解できない。

  • plus80s
  • ベストアンサー率23% (11/47)
回答No.4

秋に(なると)そこではいつも戦いがある(起こる)のだが、我々はもうその戦いに行かなかった。 後の文章の go to it any more を読むと「(前に行ったことがあるが)それ以上行くことはなかった」と読めるので上のように解釈した方が近いと思います。 つまり、前の文は、戦いが今まで秋にはいつもあったと言う事実を示していると思います。 1)の激しく2),3)の絶えず、切れ目なく、は可笑しいような気がします。

noname#73834
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 すると、(1)の龍口訳を支持されるわけですね。(私としては違和感があるのですが……) "in the fall" という表現が立て続けに2度現れる、一見稚拙とも思える文章の流れも参考になりそうだと考えて、質問の中で引用しておいたのですが、「毎年秋には」と訳す場合には、この2つめの文章が難無く読める、というメリットがあるような気はします。

  • MayIHELPY
  • ベストアンサー率49% (335/674)
回答No.3

この場合のIn the fallは、「秋になっても」または「「秋になったが」というニュアンスだと思われます。全体の訳としては、「秋になっても依然として戦いが続いていたが、負傷していた私たちがその戦いに赴くことはもうなかった」ではないでしょうか。 「毎年秋だけ戦いが激しくなる」という訳は不自然だと思われます。

noname#73834
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。 やはり、ふつうに考えると、「毎年秋だけ」というのは奇妙ですよね。 ただ、数年に渡って続いた第一次世界大戦にも、いわば“夏休み”があったとすれば、毎年秋には、いざ戦闘再開、という雰囲気になったかもしれないですし、その辺りの事情に疎いので、よく分かりません。 まあ、可能性は薄いと思いますが。

noname#76457
noname#76457
回答No.2

こんばんは。 「異国にて」を読んでいないので内容から意味を推測できないのですが、このセンテンスだけを考えると・・・ まず、質問者様が考えるように、(1)の訳は他の2つとは意味が異なると思います。(1)の訳は「何年も戦争をしていて、特に秋には激しくなる」と解せます。やはり「反復」ですよね。しかし、the fallは特定の秋なのですから反復はおかしいですよね。 「激しく」も意訳でしょう。

noname#73834
質問者

お礼

ご意見をくださいまして、ありがとうございます。 > the fallは特定の秋なのですから反復はおかしい ――とのことですが、そこが難しい点で、このような定冠詞theの用法が、私自身よく分からないんです。

noname#118466
noname#118466
回答No.1

三人の翻訳は同じですが、1)の「激しく」が翻訳者の単なる思い込み(筆のはしり)なのか、他の場所では秋以外のシーズンでも小さな小競り合いがあったので、それとの対比で本格的な戦闘といいたかったのか分りません。こういう訳の仕方もあるのかと受け止めればよいと思いますが。

noname#73834
質問者

お礼

ご意見をお寄せいただいたことに感謝します。 それにしても、私自身「三人の翻訳は同じ」とは思えないのですが…… (1)は、例年この季節になると、という反復的ニュアンス。 (2),(3)は、この年の秋に入ってからは、というニュアンスですよね。