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去年できたことを1つ思い出し、couldを使って言いましょう。
次の中学生を主な対象とした英語の課題の解答例についてお尋ねいたします。 課題: あなたが去年できたことと、今年する必要があることを英語で言ってみましょう。 (1)あなたが去年できたことを1つ思い出し、couldを使って言いましょう。 (2)あなたが今年する必要があることを一つ選び、need toを使って言いましょう。 (NHKラジオ『基礎英語1』の2006年1月号テキストのp. 61の課題”Try it out” のB) 解答例: (1) I could swim 200 meters last year. (去年、わたしは200メートル泳げました) (2) ’I need to study English very hard this year.’ (同テキストのp. 71) 私には(1)の解答例の英文はこの課題の解答としては適切でないような気がします。というのは、この英文は「私は去年、200メートル泳ごうと思えばいつでもできた」、「去年200メートル泳ぐだけの能力(や機会)を持っていた」というニュアンスだと思うんです。一方、求められているのは「今年する必要があること」とペアにして表す「去年できたこと」を言うことなので、去年のある特定時に努力した結果、実際に何かある行為を達成することができた、というニュアンスのものという気がします。 ただそもそも、このようにある特定時に努力した結果、実際にある行為を成することができた、というようなことをcouldを用いて表すこと自身に無理があるような気がします。 が、質問はまとめて1点に絞ります。 質問:この課題の解答例(1)は解答例として適切なのでしょうか?
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Gです。 こんにちは。 私の回答は人によっては「批判するだけ」と思っている人がいるのではないかと残念と思うときがあります。 なぜって私の回答の中に今の教育方法について過激とも思える意見を述べるからですね。 教育方法が間違っているから、今回のような間違ったことを教える人がいる、と言うことがあるのです。 canは「できる」、couldはcanの過去形だから「できた」と教えてしまうか、そう勘違いをさせるような教え方をしていることは今日にでも止めなくてはいけない、と言うことに教育方法を変えられる人たちには分からないのです。 緊急事態に陥っていると言うことがどうしても分かってもらえない、過激的な表現で言えば、分かるだけの能力がないのじゃないか、とも言うかもしれませんね。 しかし、私には、教育方法を変えるだけの立場にいません。 いないからといって、私の知っていることを分かってもらうには時にはこういう言い方をしなくてはならないのではないかと思ってしまうことがあるのですね。 しかし、それはもう止めます。 私の知っていることをここで書いて、教育方法には文句を言いません。 それを踏まえて続けさせてもらいますね。 「出来る」の過去が「出来た」と考える以上couldはできた、達成した、と感じてしまうのは仕方ないことだと私は思います。 しかし、現実にはそうではないのですね。 できる、と言うことは、その能力を持っている、やろうと思えばできるだけの実力持っている、と言う日本語の意味なのです。 I can!と言う表現がなぜアメリカでモチベーションで使われ私自身この地方の教育委員会で教育の方針として学校でポスターを作り子供たちにこの精神を植え付けるべきだと主張し4年ほどかかって使われるようになりました。 つまり、I can!と言う表現で、やればできると言う自信を持て!と言うことなんですね。 I can't!は「出来ない」ではなく「出来ないと自分を納得させている」と言うことになるのです。 このcanと言う単語の本当の意味合いと日本語の「出来るの過去形」をはっきりつかめばcouldが実際に達成できたと言うフィーリングはない、と言うことが分かるはずなのです。 I could, so I did.とフィーリングを前後する表現で示さない限りおっしゃるとおり「無理がある」と言うことになるわけです。 また、達成した、と言うフィーリングの「出来た」ではなく、できるようになった、と言う表現もこの課題の1)で使えるはずですね。 これもcouldでは表現できませんね。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
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- Ganbatteruyo
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Gです。 #3さんのところでのお礼で「適切である」と思う回答だけ、と言う条件がつけられましたので答えませんでしたが、couldには能力を持った、と言う表現の中に、自然に持つようになる能力を持つようになった、と言うフィーリングでcouldが使え、この場合は、実際に出来た、ことを表現しています。 became able to do itと言うフィーリングと同じだということなのです。 出来るようになった、と言うことは、したことでそれを証明できるかわらです。 逆に年をとったから自然に出来なくなるという能力の場合にもこれを使って「出来た」と言うフィーリングを出すことも出来ます。 I could jump 4ft without any problem when I was young but not any more.と言う表現ですね。 ですから、この問題で、I could say some greetings in English as I was studying English so long.と言う表現であれば、自然の成り行きの条件がas I was studying English so long.となり、だから、できるようになった、つまり、したこともしばしばである、といっているわけです。 つまり、泳げるようになった、と言うことは必ずしも自然の成り行きとは考えられないわけです。 しかし、自然の成り行きを感じさせる文章が前後にあれば、あぁそれで出来るようになったのか、と感じることが出来るわけです。 しかし、I could swim 200m last year.だけでは、Did you actually swim 200 meters last year? Or you felt confident that you would be able to swim if necessary?と言う質問が返ってくるだろう、と言うことなのです。 私として中学の問題であろうとこのレベルの理解はやはり教育委員会は知るべきだと思うわけです。 果たして高校の先生のどれだけがこれを知る必要があると委員会からいわれているか疑問と思うのは私だけではないと今回思いました。 細かく教えなくても、この辺は気をつかなくちゃいけないよ、位は教える必要があるのではないかな、と少し感じました。 私個人の願いかもしれませんが。
- lanwtwis
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「この課題の解答例(1)は解答例として適切なのでしょうか?」 適切と考えます。 以下(1)(2)はほとんど#7さんと同旨です。 (1) 以下の用例と同じと考えられます。 http://www.oup.com/elt/catalogue/teachersites/oald7/?cc=global can 2 used to say that sb knows how to do sth: I could drive a car before I left school. 卒業時には運転を会得していた GRAMMER POINT Could is used to talk about what someone was generally able to do in the past: Our daughter could walk when she was nine months old. 生後9カ月で歩けるようになった http://www.bbc.co.uk/worldservice/learningenglish/grammar/learnit/learnitv196.shtml We tend to use could when we are talking about ability generally. Compare the following: By the time she was seven, she could already speak three languages. 7歳の時には3カ国語を話せた She started the viola at the age of eight and after only six months she could play it quite well. 8才で始め、わずか6カ月で」弾きこなせるようになった ここのcouldは、上の説明にgenerallyとあるように一般的能力(ここでは、潜在的というより、なんらか実行を伴って顕在化したものであるはずですが)を示す、ごくあたりまえな正用。 ただ、日本語と結びつけながらその意味のイメージをつかもうとすると、 単に「……できた」よりも、「……できるようになった、なっていた」という意味をともなうものとして理解するのが自然。 つまり、#7さんのおっしゃるように一般的能力を「獲得した」ということ。 一般的能力が身についていない状態から、身に付いた状態への移り行きおよびその結果を示す(用例の私訳はその点を強調したものになっています)、というような説明を許すものと思われます(この点#3=4さんとも同旨)。 became able toとせずとも、couldでそのように言い表すことができるということです。 (2) I could swim 200 meters last year. も基本的に(1)と同じと理解できると考えます。 (#3=4さんは(1)そのものは認めながら、それをこの英文に適用するのは避けているとお見受けしました。) 「あなたが去年できたことと、今年する必要があること」 との指示は 「それまでは欠けていた・身についていなかったが(努力などの結果)去年補うことがことができた・身につけたことと、 現時点では十分には身についていないので、今年は十分に身につくように努力する必要のあること」 というような対比を意味すると読むことができ、 つまり、 前半では(1)のような一般的能力の獲得を意味するcouldが使えるように、日本語によってあらかじめ適当な文脈を設定してあると理解できます。 (3) 出題者の側では、 平均的な今の日本の中学生なら、課題を前にして、たとえば 200m泳げなかったのが、部活(・スイミングスクール他)でがんばったので、去年中に泳げるようになった、 というように具体的な状況・文脈を自分なりに設定するだろうと予想し、 さらにはそれを Because I worked/practiced very hard almost every day, のような英文でイメージしてくれるかもしれないと期待している、 などと推測することも可能でしょう。 むしろ学び手の生活環境・心情と英語教育上の目標とをあたりまえに結びつけた自然な構成と見るべきなのではないでしょうか。 (4) 「この課題の解答例(1)は解答例として適切なのでしょうか?」 つまり 「この中学生向けの課題の解答例(1)は中学生向けの解答例として適切なのでしょうか?」 という問い に対する回答としては通常これで終りということになります。 なぜなら、 問題の範囲が主に中学生を対象とする英語に限定されているのなら、 これ以上ことの仔細について言及するのは、適切な範囲を超えてしまうからです (そのような細かいニュアンスの差異などを中学生に教えるべきだと主張するのは背理)。 たとえば、より細かく見ると、 一連の I could drive a car before I left school. Our daughter could walk when she was nine months old. By the time she was seven, she could already speak three languages. She started the viola at the age of eight and after only six months she could play it quite well. と 問題の I could swim 200 meters last year. は、かならずしも同じではないかもしれないという問題がありえるように思います。 たとえば、前者はすべて before I left school. 卒業時には when she was nine months old. 生後9カ月で By the time she was seven, 7歳の時には She started the viola at the age of eight and after only six months 8才で始め、わずか6カ月で と、 通常の時期的基準に比べて早くも という特殊・限定的・逆接的なニュアンスが常に伴っているのに対して、 問題のlast yearは一般にそのようなニュアンスを付するものではない という違いがあるなど。 ここから、 I could swim 200 meters last year. や Because I worked/practiced very hard almost every day, I could swim 200 meters last year. は 一般的能力の獲得を意味する表現であるとしても それとして十分に正用なのかどうか という問題が生じる余地があるのではないか と考えられます。 しかし、万一この問題提起がいくらかでも有効なものだとしても、 このような微細な問題を中学生向けの教育英語において云々するのは、ほとんど暴論を弄するに等しいでしょう。 (5) ところで、既出回答への質問者さんのコメントを読んでみて、 質問者さんの関心の中では、むしろ、 問題の解答例について 発話者〔課題出題・解答作成者〕が use <could> to say that somebody managed to do something on one occasion. 個別の状況で、ある行為を実現することに成功したことを示す目的でcouldを使っている ケースにあたる と判断されることが前提になっており、 そのうえで、中学生用の教育英語にレベルを限定せず、広く英語一般の問題として、could問題を検討・議論することが望まれているのではないか という印象を持ちました。 しかし、私や#7さんの判断では、この解答例は、すでに述べたように、 use <could> to say that somebody managed to do something on one occasion. 個別の状況で、ある行為を実現することに成功したことを示す目的でcouldを使っている ケースではなくて、 一般的能力の獲得を示すためにcouldを使っているケースであり、 そのかぎりでは、(細かい議論の余地はありうるかもしれないものの)基本的に正用と言わざるをえず、 したがって、 寄せるべき回答としてはこのような内容のものにならざるをえません。 つまり、あえて言うと、 質問者さんの質問意図と提示された質問内容(と我々が受け取るもの)の間に本質的な食い違いがあるのではないか という一縷の印象があります。 それはまた質問の曖昧さ・多義性ということにもつながるような気がします。 「この課題の解答例(1)は解答例として適切なのでしょうか?」 に対して、 正しい教育的配慮がなされているか、という観点からの答えがいくつか寄せられていることは そのことと関係があるかもしれません。 長々と書いていますが、 couldの問題自体がそもそも複雑微妙な面を含むもので、かつ相当の広がりと深さをもつものであるからには、 本問において、例文の選択などを含めてご質問の趣旨がより明瞭になるような、より限定された仕方で問題の提示がなされていれば という一抹の印象を持ちました。 (6) 一般に、典型的には I ran fast, and was able to /*could catch the bus. (Palmer 1979, p.163) He ran fast and so he could catch the last bus. のcouldつまり use <could> to say that somebody managed to do something on one occasion. 個別の状況で、ある行為を実現することに成功したことを示す目的でcouldを使う のは不可 として議論される問題であると思います。 しかし、 事実としてそのようなcouldの使い方をしている実例があるとして、 そこに一定の要件〔文脈〕があることを見出し、 そのような要件のもとでなら、 個別の状況下での行為の実現達成をcouldによって表すことも認めるべきだ とする、 有力説または少数説があるようです。 参照: texts.at.infoseek.co.jp/journal1/karikomi.pdf www.kct.ne.jp/~takaie/auxiliary.doc これらの文書の作成者の主張自体に対する賛否はかりにさておくとしても、 その記述の基本姿勢は恣意性を十分に排しているという意味で信頼しうるもので、 とくに引用されている用例や説はきわめて示唆的と感じました。 とくにdoc。 これらをも参照しつつ、自分なりに 個別の状況下での行為の実現達成をcouldによって表すことが認められるような条件・文脈の特性をまとめてみたい気もしますが、 時間の余裕の関係などから、まず無理なように思われます。 ----------------------------------------------------- 誤記その他のミスはご勘弁ください。
お礼
解答例(1)は解答例として適切である。与えられた指示により、「一般的能力が身についていない状態から、身に付いた状態への移り行きおよびその結果を示す」用法と読める、という主旨のご回答をいただきました。 「より限定された仕方で問題の提示がなされていれば」などというコメントもいただきましたが、これは現時点での私の能力を超えたものであり、到底できるものではありません。ただ、ご回答の(6)の部分も含めて興味深いご回答でした。 懇切丁寧なご回答をありがとうございました。
補足
多くの皆様からご回答をいただき、ありがとうございます。 大半の方から解答例(1)は「適切ではない」というお考えを、あとの方で一部の方からは「適切である」という相反するお考えをいただきました。 「適切である」というお考えのポイントは、 課題の対象が中学生であることや指示文からして解答例(1)は「一般的能力が身についていない状態から、身に付いた状態への移り行きおよびその結果を示す」と解釈できる、 ということのように私は解釈しました。この点から私自身もひき続き考えてみることにします。 皆様のご回答に感謝します。とても勉強になります。 あと1日程度でこの質問は閉じようと思います。
- vive
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(1)は、英語として不自然ではないと思います。 (1) I could swim 200 meters last year. ただし、その解釈は、What happened last year was that I could...ではなく、It was (only) last year that I could...です。つまり、それ以前のどの年をとってみても、couldn'tだったことが、last yearにはcouldであったという「対比」が存在する読みで考えるわけです。 その場合は、「過去の一回的行為」であっても、couldの使用は可能です。つまり、(1)は、昨年に1度しか起こらなかったことを指して使うことも可能です。 しかし、(1)の自然な解釈は、swim 200 metersというスキルを獲得したのが「いつなのか?」について述べていると考えるものでしょう。 追記 canを「~する能力や機会を持っている」とする理解は適切だと思います。 couldは、基本的に、「~する能力や機会を持っていた」であって、持っていた能力や機会を使って「~する」ことが実際に実現したかどうかについては、直接的に言及していません。これは、たとえば、He worked very hard so that he could pass the test.のcouldが、pass the testの実現についてなんら直接的に言及していないのと同じです。 ただし、(1)のcouldは、「持っていた」ではなく、「(ある時点で)持った」、つまり、「獲得した」の意味で読む点が注意の必要なところです。
お礼
viveさん、新たな観点からのご回答ありがとうございます。 Viveさんに2点だけお尋ねいたします。 1.解答例(1)は、「英語として不自然ではない」というお答えでした。私も、例えば泳ぐ距離の点で長距離を泳ぐという大きな目標がある中で、「去年は200メートルまで泳げた、今年は1000メートルは泳ぎたい」、などという文脈であればこのように言えるという気がします。が、私の質問に対するダイレクトな回答として、「今年する必要があること」とペアにして表す「去年できたこと」を言えというこの課題の解答例としても「不適切ではない」というお考えと理解してよろしいんでしょうか? 2. Viveさんの解釈にたった場合、 「過去の一回的行為」であっても、couldの使用は可能です。つまり、(1)は、昨年に1度しか起こらなかったことを指して使うことも可能です。 の部分が申し訳ありませんがよく理解できません。文法書などによれば、couldはあくまでも「単にことを成し遂げることができるものとして考えられている能力」とされているようです(『英文法総覧』安井稔、開拓社、p.183)。ここからして 「過去の一回的行為」であっても、《あくまでそれを成そうとすれば成しうる能力を持っていたという意味で》couldの使用は可能です。つまり、(1)は、《能力の発現という意味で、たとえ発現するにしても》昨年に1度しか起こらなかったことを指《す能力を指》して使うことも可能です。 というふうに、《》の部分を補足して良いのならば私にも理解できるのですが。 Viveさん、できましたら簡単で結構ですから、以上2点にコメントいただけませんでしょうか?
- trgovec
- ベストアンサー率52% (2538/4879)
couldの意味用法については他の方が答えられているので、違う観点から回答します。 この問題が中学生用であり、ただ助動詞を使った文を書かせるだけの練習であるということにポイントがあります。 つまり、canの過去形がcouldであるということだけを覚えさせるためのもので深い意味は考えさせないのです。自分の経験でもこういうことはかなりありました。明かに不自然か間違っているのに今はそれを生徒にさせなくてはいけない、正しいことは次(高校)で。こんな感じです。生徒は戸惑います。「中学で習ったのに間違いだなんて!」「もうわけがわからん、英語はいやだ」となります。困ったことに中学英語しか教えない人はこれが正しいと思っている人もいます。本当のことが分っている人なら不自然なことを教えざるを得ない状況でも、生徒にとっての被害が最小限になるように何らかの工夫をするはずです。好意的に解釈すれば教えることを単純にして負担を減らすつもりなのでしょうが、後でしわ寄せがくることは明かです。理科でも同じようなことがありました。今は少しましになっているようですが、中学まで使っていた単位が同じことを表現するのに高校では使えないなど。 愚痴になりましたが、現実はこんなことです。もちろん地域や年代によって多少の差はありますが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 この課題は、「canの過去形がcouldであるということだけを覚えさせるための」「練習であるということにポイントが」あり、「深い意味は考えさせない」というご指摘をいただきました。 私の質問に対しては ⇒ この解答例、いやこの課題そのものが「適切ではない」というお考えと理解しました。
- taked4700
- ベストアンサー率37% (777/2050)
変な言い方になるかもしれませんが、質問そのものがあいまいなのが、混乱の原因だと感じます。 >(1)あなたが去年できたことを1つ思い出し、couldを使って言いましょう。 「出来たこと」と言う表現があいまいで、「やろうと思えば実行できるが実際はやっていないこと」と言う意味と、「それまで出来なかったが、やれるようになり、実際やれたこと」という二つの意味があります。 つまり、助動詞表現自体が、「心の中の判断」でしかなく、「できる」の他にも、「~したい」、「かも知れない」、「しなくてはいけない」、「つもりだ」などは、それ自体を動作として示すことは出来ません。 しかし、過去のことは、すでに動作として示されたもの、実際に行われたものなので、「昔出来た」と言う表現自体があいまいになるのです。 そのため、英語では、「実際にやった」と言う意味で、助動詞表現を避け、be able to を使うようになったわけです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 (1)質問の「去年できたこと」という言い方があいまい。 (2)「やろうと思えば実行できる...」という意味にもとれる。その意味では解答例は「適切でない」とは言いきれない。 という主旨と理解しました。
- sakurasaku-haru
- ベストアンサー率27% (5/18)
#3の補足になりますが、could は when,until by,after,beforeと一緒に使い、能力の変化を表す。ということが、一番大切なポイントだと思います。
- sakurasaku-haru
- ベストアンサー率27% (5/18)
適当でないと思います。 私は、今、外国で、学生時代に真面目にやらなかった英語を学びなおしているので、この辺についても学びなおしました。 can'tの過去形はcould'tだけれども、canの過去形はcouldではありません。couldは使えません。was/were able to です。 could は 能力の変化を表すので、一つのアクションの過去形を表すためには使えません。 could は(1)suggestion(2)simple possibility(3)conditionalに主に使うと思います。 この回答例は、混乱します。間違っていると思います。
お礼
ご回答を下さった3人の方、どうもありがとうございます。この場をお借りしてお礼いたします。 皆さんがこの解答例は「適切でない」という主旨と理解いたしました。 もし、この解答例は「適切である」というお考えの方がいましたらぜひご回答をください。 と言いますのは、couldが日本語の「...できた」というニュアンスとは違って用いられることはそれなりによく知られたことのように思います。さらに、この番組は定評あるNHKの語学番組ですし、その講師は第二言語習得を専門とする著名な大学教授ですので....
- Mathematica
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「能力があって、実際にその動作を行った」という、過去1回の動作(行為)を表す場合には、was able to を用い、単に「そうする能力があった」ということを表す場合はcouldを用いる。 ForestP101 この説明からは、質問者のとおり適切ではないということになります。
お礼
「couldには能力を持った、と言う表現の中に、自然に持つようになる能力を持つようになった、と言うフィーリングでcouldが使え、この場合は、実際に出来た、ことを表現しています」 という部分は私は全く知りませんでした。そのような観点から今後couldの用法を観察してみます。 couldの持つニュアンスについて中学で教えるべきか、どうかについての議論については余りにも大きなテーマです。が、私自身としては少なくとも学習者が後により上級の知識を得たときに矛盾が起こらないように初期の段階でも教える側では十分配慮をする必要があるように感じます。 改めてのご回答ありがとうございました。