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「1+1は3である」はアプリオリな事実?

「1+1は2である」はアプリオリな事実ですが、では「1+1は3である」はアプリオリな事実でしょうか? 理由も教えていただきたいです

みんなの回答

  • Nakay702
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回答No.4

回答No. 1です。その筋の文献を検索したところ、ちょうどお尋ねと同じ例を説明する箇所がありましたので、次のサイトをご紹介します。 https://philosophy.hix05.com/Kant/kant107.aposteriori.html 一部引用しておきます。 《「普遍性」について。「厳密な意味で普遍的な命題であり、そもそも例外というものが起こり得ないような命題であれば、それは経験によって得られた命題ではなく、絶対的な意味でアプリオリに妥当する命題である」 これにも「必然性」について見たのと同じような問題が潜んでいるが、必然性が因果関係を思い起こさせるのとは違って、論理的な整合性を思わせる色彩が強いといえる。 たとえば、数字の1と1を足せば2になるということについて考えてみよう。カントによれば、これはいついかなる場合にもあてはまる普遍的な命題であり、1+1が3になったり5になったりはしない、つまり例外なく2になるはずである。このような命題はだから、経験によって得られた命題ではなく、アプリオリな命題だと言える。なぜなら経験によって得られた命題には、ヒュームがいうように、普遍性は主張できないからだ。》 *なお、同文献によれば、「このような弁明は苦しく聞こえる」というような、批判的論点があることは確かですが、少なくとも、《「1+1が3になったり5になったりはしない」といった命題が、アプリオリな命題だと言える》ことはカント自身の弁である、ということは明示できたと言えますね。

回答No.3

こんばんは! アプリオリな間違いでは?

回答No.2

a) 「1+1=3」は、偽なので、真実でも事実でもないでしょう。

  • Nakay702
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回答No.1

>「1+1は2である」はアプリオリな事実ですが、では「1+1は3である」はアプリオリな事実でしょうか? 理由も教えていただきたいです ⇒アプリオリな認識です。 事実かどうかに関係なく、アプリオリな認識と言えます。「1+1は3である」は、アプリオリな認識「1+1は2である」が収まっているのと同じ《分類箱》に収まっている、《(「1+1は2である」の)変種》に過ぎません。

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