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一般的に思想を守り通すということはアプリオリに善であるか悪であるか?

一般的に思想を守り通すということはアプリオリに善であるか悪であるか?

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回答No.1

思想とは、環境認識における原理性、あるいはそれに基づく 自己の生存の志向性である以上、自己の認識の深まりや 社会の組織性の発展に適応せず、先入的な他律的要因に 固執するのは、“損”である。 (実態に反する意志~精神的充足量の最大化に反する行動)

noname#122035
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貴重なご回答をいただきありがとうございました。 大変参考になりました。 またよろしくお願いいたします。

noname#122035
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  • hanniyagi
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回答No.2

「在るものをあるがままに見る者は、思惑愛好家ではなく哲学者と呼ぶべきではないかね。」 とソクラテスが言った。とプラトンが書き残していますが。哲学者とは、学者、ではなく、哲学者(もの) であり、思惑愛好家に対して、知恵を愛するもの、知恵によりて見る者。となります。 思想とは、思惑愛好家の、信条、思いこみ、自己主張、であり、それらへの執着、との意味合いが強いものになります。哲学者(もの)は、この世界、事象の在り方、起こり方、と合致する、考え方、 理法、方法論を求めることになります。より正しい考え方を求めているのであり、さしあたり獲得した、自分の考え方に執着することはありません、より正しい考え方に出会えば、自分の考え方を変えるに、ためらわないのが哲学者なのです。中学生の頃、私は「君子豹変す」とはそういう意味だと誤解していました。(君子は白黒がはっきりしている、との意味と知り、しょうもない、と思ったものでした 。人間は思想によって造られる、自己を構築するもの、とは言えるでしょうが。始めから哲学者であることは希(余計な知識や思想を親や社会が吹き込まなければ、幼児、人間の脳はアプリオリに哲学者であることは考えられます)であり、思惑と一体の自己の思想と共に 成長をします。成長をするとは、自己の思想を変えて行く、ことでもあります。 自己の思想に執着し、それを守り通そうとするなら、成長の停止、知恵の放棄、となるはずです。 自分の思想(多分に人の思想)を守り通すことが、アプリオリに、善であるか=悪であるなか、 の御質門ですが。善悪は人間がアポステオリに造り出した、名、概念であり。アプリオリに善悪がある訳ではありません。アプリオリという言葉のついでに(余計な事?)を言いますと。カントの、時間空間はアプリオリな認識である、は。間違いです。人間の赤子や、下等動物が先見的に認識する能力は、色形あるもの(その差異)と。動く、変化する。ということの認識のであり。それが時間空間の中でなどとは認識しないはずです。人間の根元的認識は、世界の根元的在り方と合致するかも知れない(それが、適応、進化?)との観点からも、時間、空間、などは架空(数学の)概念であり、在るのは、 物、と言われる固定的存在と、物が変化する。という事象だけなのです。 物=変化 物×変化=事象 であり 言葉を換えると 空間=空間 空間×時間=世界 であり。この式を繋いだ 空間=時間=空間×時間=1  これ、魔法の方程式。

noname#122035
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noname#122035
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