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可能動詞、可能形について

?読めたい、泳げたい、ピアノが弾けたい 〇読めるようになりたい、泳げるようになりたい、弾けるようになりたい 「読めたい、泳げたい」などの言い方は正しいのでしょうか。 とても違和感があります。可能動詞は状態を表すと思いますが、「読める状態になりたい(能力が)」外国人に説明したいのでが、よくわかりません。 どなかた、ご教授いただけないでしょうか。 よろしくお願いいたします。

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  • kine-ore
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回答No.2

希望を表す助動詞「たい」は、主に<動作・作用動詞>について主体自身の願望や欲求などの感情を表す働きがあります。 ですから、次のような動作性動詞にはそのまま使えます。 私は本を読みたい。 私は海で泳ぎたい。 私はピアノを弾きたい。 ところがこのような動作性ではなく、あくまでも可能態での表現の場合は、次のように状態を表す「~ようになりたい」「~ようでありたい」「~ようにしたい」などの条件を加えたやや長い言い方になります。 私は本が読めるようになりたい。 私は海で泳げるようになりたい。 私はピアノが弾けるようになりたい。

mochimochi0501
質問者

お礼

kine-ore様 詳しく、ご回答いただきありがとうございました。 文法の接続について明確に教えてくださったので、 外国人にも簡単に説明できそうです! とても勉強になりました。 この度は、ご回答にお時間をいただき、本当にありがとうございました<m(__)m>

その他の回答 (1)

  • kon555
  • ベストアンサー率51% (1842/3559)
回答No.1

「読めたい、泳げたい」というような言い方は明確に誤りです。違和感ではなく、文章として正しくありません。  文法的に云々は別にしても、極めてわかりにくいので使うべきではないですね。  そもそも可能動詞とは、「◯◯出来る」という、可能の意味を持つ動詞です。  ただこの『出来る、可能である』には、能力と環境の2種の要素があります。  つまり『泳げる』ためには、泳ぎの能力と、プールなどの環境が揃っている必要があります。  逆説的に「◯◯したい」という希望や要望がある時には、このどちらか、あるいは両方が欠けているわけです。  そして「◯◯したい」は「能力はOK、環境がNG」という意味になります。 「(本などを)読みたい」「(プールで)泳ぎたい」などです。  一方で能力の不足を「読めたい」「泳げたい」と表現すると、一文字しか違わない上に『め/み』『げ/ぎ』という極めて近い音での差異になり、文章でも口頭でも勘違いしやすくなります。  よって、日本語として正しいかではなく、実用上の観点から使用すべきではありません。

mochimochi0501
質問者

お礼

kon555様 詳しくご回答いただき、本当にありがとうございました。 とても分かりやすい内容で、特に《◯◯したい」という希望や要望がある時には、このどちらか、あるいは両方が欠けているわけです》この説明のおかげで、理解することができました。 ご回答にお時間をいただき、本当にありがとうございました!

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