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助動詞「らし」の用法
ある所で「彼岸花咲ける間(あはひ)の道を行きゆき極まれば母に逢ふらし」という短歌を見ました。思いの籠った大変いい歌と思いましたが、ただ結句の「逢ふらし」の「らし」が一般的な文法書の説明の限りでは問題ないかもしれませんが、感じとして何か違和感があります。他の推量の助動詞「む」「らむ」「べし」などなら(意味合いや調べは別として)違和感はないのですが・・。「らし」は自分自身の行動の予見として使うような場合には合わないのかなどとも思うのですが・・。それとも口語の「らしい」に引きずられた、当方の全くの誤った先入観なのでしょうか?ご教示ください。
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- dulatour
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回答No.1
「らし」は「らむ」に比べて、確証のある推量に使われる助動詞です。 むしろ「逢うだろう」という「なむ」でなく、「逢うに違いない」という意を表したものだと思いますが、如何でしょうか。 また「らし」は上代に多く使われ、平安中期以後はあまり使われないので、そうしたことからの違和感かも知れません。 因みに、現代語の「らしい」は、強い推量の助動詞「らし」から発展したものではなく、「男らし」など体言につく接尾語から発展したものです。
お礼
使い慣れないために違和感があるというだけで、用法自体に問題は無いということですね。早速のご回答有難うございます。
補足
(質問者から)古語「らし」に使い慣れない当方の単なる違和感なのか、やはり本来の意味から考えて無理のある用法なのか、「らし」を使用した古文などを踏まえたご意見をもう少しお聞きしたいと思います。