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藩に残る書類
藩に現在まで残ってる書類って、全部残ってるわけではないんですか? 私のご先祖は藩主が領地を広げた後に藩士に取り立てられたから、藩に書類が残っていて県史などに載ってそうですが、載ってないです(藩士に取り立てられた全ての家かは分かりませんが、他の家は藩士に取り立てられたことについて書いてある家がありました)
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No.3です。 補足を頂戴しましたので追加の説明をさせて下さい。 >因みに分限帳は全ての書類が残っていて、全藩士が載ってますよね? 「全ての書類」とはどのような書類をお考えでしょうか。 分限帳というのは一般的な総称です。 目的によって幾つかのものが作られてました。 元々は大名が動員できる家臣の数を把握する陣立書です。 やがて家臣に支払う俸禄を掌握する為の名簿のような目的を持つようになりました。 従って俸禄を支給している家臣であれば掲載されていました。 誰に幾らかということになりますので役職を記載してあることから家臣の家格など紳士録のような使われ方がされるようになりました。 大名家(藩)に所属する武士は大名家(藩)の規模によって様々な人がいました。 一般的には大名家(藩)に直接仕える武士と戦の際にその武士が引き連れていく家臣とが居ました。 直接仕える武士は大名から支給される俸給(知行)で自分が引き連れる家臣を養っていました。 直接仕える武士の中には引き連れるような家臣をもたない人もいました。 俸禄に関して大名(藩庁)が把握していたのはこの直接仕えている武士についてです。 戦の際の動員数に関しては直接仕えている武士が引き連れる家臣の人数も把握していました。 戦国時代の陣立書の趣旨を引継いでいましたので藩庁で仕事に就いていない人も人数は把握していました。 平和な時代になると藩庁における役職は俸禄の多寡によって習慣的に決められていました。 家老など高位の役職に就任できる人は俸禄の多い(石高の高い)人でした。 身分は世襲されていましたので俸禄が多い人が必ずしも有能とは限りませんでした。 この弊害を取り除く為に役料制度というのが設けられるようになりました。 俸禄が少ない人が高位の役職に就任した際には不足分を補う役料が支給されるようになりました。 役料は当人だけで世襲はされませんでした。 辞職すれば役料は支給されなくなります。 概略以上のような制度でしたので大名(藩庁)としては都度支給する俸禄を把握しておく必用がありました。 このような目的の分限帳には家格(身分)や支給されている俸禄や役料が記載されていましたので城下の商人などが紳士録のような使い方をしていました。 現在史料とされているもののなかには大名家(藩庁)で使われていた公式のものの他にこの城下の商人が使っていたものがあります。
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- ichikawa2017
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大名領(藩)に限らず公文書が残っているのはまれです。 明治に入って城や大名屋敷は取り壊されました。 現在各地に城として残っているのは天守や櫓などだけです。 江戸時代に城が現役だった頃は現在広場などになっている部分に木造の建物が櫛比していました。 藩政はこの木造の建造物の中で執り行われていました。 これが取り壊されていますので使われていた公文書も逸散してしまいました。 実は江戸幕府についても残っていません。 大奥の話などがよく話題になりますが全て推測に基づいたものです。 明治時代の初期に藩士が存命中に聞き出しておこうという動きがありましたが途中で頓挫してしまいました。 「私のご先祖は藩主が領地を広げた後に藩士に取り立てられた」とありますがどちらでお知りになりましたでしょうか。 大学や図書館が学術研究の為に古文書を集めていますが全ての公文書が集められてはいません。 これを補うために国文学研究資料館という公共機関があります。 全国の大学をはじめ個人の蔵書までをデータベース化して所在が確認できるようにしています。 それでも古書店の在庫品の中から見つけ出されるということが度々あります。 県史というのはどこの都道府県でも博物館や図書館が発行しています。 執筆に当たる学術研究員も全ての史料に目を通している訳ではありません。 県史である以上支配層であった藩についてだけ記述している訳ではありません。 藩についても歴代の藩士全員の経歴や業績を調べるということはあまりやりません。 その時代時代に影響を及ぼした人物を調べていくのが一般の研究手法です。 何についてどのような影響があったかということは研究員次第という部分があります。 研究員が質問者さんのご先祖について興味を持たなかったということは充分考えられます。
- takuranke
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藩の書類と県史に載るは別でしょう。 >他の家は藩士に取り立てられたことについて書いてある家がありました 一例として記載している。 県になってから功績があり、出自が記載されている。 など、記載理由があるのでは。 >藩に現在まで残ってる書類って、全部残ってるわけではないんですか? 全部残っていることは無いと思いますよ。
- eroero4649
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そりゃあ残っている訳はないですよ。そもそもが紙ベースです。火災で焼失することもあれば、雨水害でだめになることもあります。廃藩置県の混乱でよく分からないうちに失われてしまったこともあるでしょうし、戦争で空襲を受けて焼失したとか、その地方で大地震があって焼失したということだってあるでしょう。
補足
親の実家のご先祖が、藩士に取り立てられたことは、実家にある文献に書いてありまして、藩の書類ではありません。ご先祖がいた藩の分限帳も江戸時代後期のものしか、県史などに収録されてないので、ご先祖が藩士に取り立てられた、江戸時代中期の分限帳はないです。因みに分限帳は全ての書類が残っていて、全藩士が載ってますよね?江戸時代後期の頃の、ご先祖は下級の御広間勤でして名前は載っておらず、人数だけ載ってます