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大阪,京都府内に加賀藩の飛地や化粧地が存在した事は
(現在の地理でいう)大阪府内 及び 京都府内に、加賀藩の “飛び地” 若しくは “化粧領地” の様なものが存在した事はありますか? (現在の地理でいう)大阪府内 及び 京都府内に、加賀藩の “飛び地” 若しくは “化粧領地” の様なものが存在した事があるかどうかを教えてください。
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bvfcghさん、こんばんは。 下記のURLを参照してください。飛び地はありませんでした。 加賀藩 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%B3%80%E8%97%A9#%E5%B9%95%E6%9C%AB%E3%81%AE%E9%A0%98%E5%9C%B0
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- jkpawapuro
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芳春院(通称まつ)の化粧料は京ではなく近江弘川村になります。 まあ1万石近いので大きすぎて手近にはなかったのでしょう。
お礼
- oska2
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>大阪,京都府内に加賀藩の飛地や化粧地が存在した事は 誰も責任を負わない玉石混交の情報源では分かりませんが・・・。 江戸時代の古地図には、飛び地はありませんね。 ただ、飛び地と言うよりも「出先機関としての屋敷」が存在した様です。
お礼
御回答ありがとうございました。 http://www.city.takashima.lg.jp/www/contents/1532320155089/simple/P28.pdf https://ameblo.jp/matasichi/entry-12268224456.html 金沢(加賀)藩といえば、「加賀百万石」の大藩として有名ですが、意外にも飛び地は近江国高島郡の3ヶ村しかなかったようです。この高島郡の領地というのは藩祖前田利家の正室芳春院(まつ)の化粧領だった場所で、まつの死後加賀藩の領地に編入されたものです。 この3ヶ村というのが海津中村町・今津村・弘川村で、実際には1町2ヶ村なわけですが、このうち海津中村町と今津村には船着き場があり、竹生島や大津などと船の往来がありました。 つまり、本国と京・大坂を結ぶ交易ルートの中継地点だった事がわかります。 https://ameblo.jp/matasichi/entry-12268224456.html
お礼
御回答ありがとうございました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%B3%80%E8%97%A9 近江国 高島郡のうち - 3村 のみが飛び地だったみたいですね。 近江国 高島郡のうち - 3村 だけなのですね。 ありがとうございました。