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維新立藩の村岡藩について
維新立藩で誕生した村岡藩という藩がありますが、wikipediaで確認したところ2代目藩主は山名義路とあります。 しかし、初代藩主の山名義済が1870年に知藩事となったみたいでその後に家督を譲ったのなら2代目藩主というのはおかしな表記ではないでしょうか? 藩主はただ一人、山名義済だけですよね? 詳しい方、教えてほしいです。
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版籍奉還後に知藩事となってからは藩主はいないと考えるのなら、2代目藩主というのはおかしな表記です。しかし知藩事は藩主と同じと考えるなら2代目藩主といってもおかしくありません。考え方の違いですね。 なお、山名義路は 明治4年2月11日(1871年3月31日)に知藩事となって 明治4年7月14日(1871年8月29日)に知藩事を免官(廃藩置県による) となりましたので、約5か月間の間は知藩事でした。
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- oska2
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回答No.1
>2代目藩主は山名義路とあります。 その通りで、村岡藩2代目藩主は山名義路ですね。 >初代藩主の山名義済が1870年に知藩事となったみたいでその後に家督を譲ったのなら2代目藩主というのはおかしな表記ではないでしょうか? 別に、おかしくはありません。 1868年。村岡藩は6700石の寄合から11000石の藩になります。 この時、初代藩主は 義済。 1870年6月。義済は藩知事に就任。 1871年4月。藩知事職を長男義路(二代目藩主)に家督を譲って隠居。 1871年7月。廃藩置県で免官。 ※廃藩置県までは、藩は存続中。 >藩主はただ一人、山名義済だけですよね? 先に書いた通り、藩主は二人です。 まぁ、二代目は3か月程度しか藩主の座にはいませんでしたが・・・。