細かいことはともかく、事実だろうと思われます。
水戸藩ではないですが、仙台の伊達藩で苦しんでたいへんだったというのが
「殿、利息でござる!」
という映画で紹介されていました。あれは架空の話ではなく、国恩記という記録があってそれを小説化がお話にしたものですが、人がとおるほど領民が貧乏になる仕組みになっているので、伊達藩にお金を貸し付けて、利息をとれば、経済が活発になるほど自分らも助けになり藩も豊かになるだろうという計画を実行したという展開でした。
水戸で本陣と呼ばれていた家であれば、こういう動きは水戸でもあったかもしれませんので知っている人がいたかもしれません。
当時の地方はかなりこういうことだったと思われます。
参勤交代で藩のお金をもっていかれ、将軍が勝手に作ったこどもを領主の嫁としてもらうために費用を使い、というような幕府の末端すってんてん政策の餌食になっていたのです。
これに対応するには、自分も大量に子供を作り別の藩に養子とか嫁に出すということに励むことになり、水戸烈公(徳川斉昭)は大量に子供を作りました。
はっきり言って不毛です。
幕府の監視が行き届かないところにいる外様の薩摩はこういうところに目をつけたのです。水戸も困っているだろうから巻き込んでやろうと。
ところが、実際に困っていることをよくわかっている井伊がこれを抑止し水戸が出ることを止めようとしていろいろ画策し、親水戸と思われるものを安政年間に虐殺した。そして水戸の侍たちによって井伊が桜田門外で殺された、という方向に歴史が動くんですね。
お礼
やはりそうでしたか。 幕末明治も領民はずいぶん苦しんでいましたね。