• ベストアンサー

郷士も城に呼ばれる

江戸時代は郷士も城の事務とかの仕事をする人間として雇われることがあったらしいですが 理由として郷士には農業の収入があり藩に金がなくなったら扶持を与えなくてもいいから 事務等の仕事の給料はいくらかは知りませんが、まあまあもらってたそうです 例えば郷士は自宅がある村から10キロ以上あったとします その場合通勤はどうしてたんでしょうか? それと家族や農業はどうしたんでしょうか? 実はうちの先祖がそれっぽいんですか、お墓は農村にあるし城下に住み込みっていう伝承はありません

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

>江戸時代は郷士も城の事務とかの仕事をする人間として雇われることがあったらしいですが 郷士と言うか大名家によっては「物書き足軽」と呼ばれる下級事務員がいたことが分かっています。 この足軽という身分が郷士と同様に大名家によって様々でした。 共通しているのは士分としては扱われずに武家奉公人という扱いでした。 ご先祖様はおそらくこの「物書き足軽」に相当するお仕事をされていたのかと思います。 >理由として郷士には農業の収入があり藩に金がなくなったら扶持を与えなくてもいいから 何事も格式、体面の時代でしたのでいかに軽い身分の者でもタダ働きさせるようなことはありませんでした。 常雇いとするのではなく必用な時に必要な人数だけ雇うというのが普通でした。現代で言えば非正規社員という形が取られていたということです。 現代は非正規社員を派遣する人材派遣会社がありますが、江戸時代にもこれに相当する口入屋(人宿)というのがありました。 大名行列で槍を持ったり挟箱をもったり駕籠を担いでいる人達が武家奉公人です。 殿様が江戸城へ登城するときや参勤交代など必用なときだけ口入屋から雇って日給だけ支払っていました。 >その場合通勤はどうしてたんでしょうか? たとえ士分であっても毎日登城していた訳ではありませんでした。 権力が集中しないように同じ組織や役職が必ず二つ設けられていました。 交互に勤務しますのでこれだけで月の半分だけ登城すればいいことになります。 更に組織の長(頭)以外は大概当番制になっていました。 結局月の内の精々7日も登城すればよかったということです。 ご質問のご先祖様は仕えていた士分の人が登城する際に登城されていたものと思われます。 常雇いだったようですのでそれなりの俸給があれば月に7日程度働くだけで手に入りましたのでまあまあ貰っていたということになります。 貴重な現金収入だったと思われます。 >それと家族や農業はどうしたんでしょうか? 登城日は予め分かりますので、本人だけがその日だけ仕えていた士分の方の屋敷に寝泊りしていたかと思われます。 蛇足 大名に仕えていた人が全員直接俸給を貰っていた訳ではありませんでした。 直接俸給を貰う家老などの重臣を頂点としたピラミッド型の形式になっていてピラミッドの各段階ごとに上位者から俸給をもらいその中から下位者に俸給を支払い差額が自分の取り分でした。 ご先祖様も仕えていた士分の人から俸給を受けていたかと思います。 江戸の町で安い俸給でも旗本や御家人が直参ということを名誉としていたのは組織上将軍から直接俸給を貰っていたためです。 旗本が連れて歩いていた若党とよばれる人は旗本から俸給を貰っていたことから又者と呼ばれていました。 実はこの若党の中に士分ではなく武家奉公人の人がいました。

その他の回答 (2)

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.3

>江戸時代は郷士も城の事務とかの仕事をする人間として雇われることがあったらしい 土佐・高知藩でも、郷士(旧長宗我部家家臣など)を採用していましたね。 まぁ、郷士株は「売買」されていたので「坂本家」の様に「旧長宗我部家」とは全く無関係の家系もありました。 >郷士には農業の収入があり藩に金がなくなったら扶持を与えなくてもいい 農業収入は、たいした額ではありません。 土佐藩の多くの郷士は、毎日の生活が厳しい状況でした。 坂本龍馬・中岡慎太郎・吉村寅太郎などは、商売・庄屋などで案外裕福でした。 >その場合通勤はどうしてたんでしょうか? 徒歩です。 土佐藩の場合、郷士は「籠・馬」を用いる事は許されていません。 雨の日に傘を差す事も、高下駄を履くことも禁止でした。 >それと家族や農業はどうしたんでしょうか? 郷士は、案外兄弟が多いのです。 また、郷士同士の共同体組織がありました。 >実はうちの先祖がそれっぽいんです お寺の過去帳を見ると、確認出来ます。 また、郷士に限らず「江戸時代中期以降は、旗本・御家人株の売買」も可能でした。 御家人になるには、約500両。 ※勝海舟の家系が、株購入だったのも有名。 与力(旗本)になるには、約1000両。 同心(下級武士)になるには、約200両。 ※必殺仕事人の「中村主水」です。^^; 郷士株だと、(地方によって異なりますが)約100両です。

noname#232709
noname#232709
回答No.1

農業を主にしていた郷士が事務処理が出来たなんて思えませんね。 書類作成処理する勉強などしていないはずです。 この話には信ぴょう性が全くありません。