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江戸時代の城下町・陣屋町・門前町などの単位呼称

江戸時代に各地にあった、城下町・陣屋町・門前町・港町他など、現在歴史的集落と呼ばれた場所は、昔はどんな単位呼称で呼ばれたのでしょうか? たとえば、農村なら「○○村(邑)」とか、宿場町なら「○○宿」っていうのなら知っているんですが。 名古屋城の城下町なら「名古屋城下」だったら少し長いような気がしますし、単位呼称は一文字のイメージがあるので違和感があります。 実際に現存する史料などにはどんな呼称で載っているのでしょうか?あるいは呼ばれていたのでしょうか?

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  • tanuki4u
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回答No.4

城下町・陣屋町・門前町・港町他など、現在歴史的集落と呼ばれた ↓ と、認識しているように、現代の人間が江戸時代を日本全体として理解するための「造語」です。 なので、江戸時代にそのような呼び方はない。 呼称というのは、中央集権国家でないとやらないので、古代と近代しか統一した呼称は基本的にない。 中世や近世は、各自ご勝手にというのが基本。 城下町のように都市計画の元、人工的に作られたところでは職能による集住があったので、○○町とか名付けて管理した。現代人の感覚で言うと○○町は住んでいるところという感じですが、近世においては○○を生産する工場となります。職住一緒ですから。 そうでないところでは http://repo.nara-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=AN00181569-19970300-1006 こんな感じで 上町とか下中町とか名付けられている。検地帳に記載してあったようです。

exployder
質問者

お礼

ありがとうございます。後世の人(近代以降の人)が便宜的に呼んだだけなんですね。

その他の回答 (3)

  • Pinhole-09
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回答No.3

むづかしいですね。 江戸時代に書かれたものを読むと城下町という言葉は 見当たらないようです。 普通はご城下といい、これが今でいう城下町に当たります。 名古屋ご城下ですが名古屋は省くことが多いと思います。 武家屋敷に表札がなく、それでも皆判ったと同じでしょう。 ただし家の多い「町屋」と農地などの「地方(じかた)」の 使い分けはありましたが、町屋は住宅や商店などで、 武家屋敷や社寺は含まないようで、ご城下とは範囲が 違うようです。 町の表記は町屋を職種などで分ける時だけ使ったようです。 紺屋町、鍛冶町など。 明確な答えにはなりませんがご参考まで。

exployder
質問者

お礼

昔は今みたいなキッチリした用法を決めているわけではなく、結構曖昧だったんですね。ありがとうございました。

  • tanuki4u
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回答No.2

http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/00209282.pdf P55のようなイメージなのでしょうか? http://www.tokugawa.or.jp/institute/019.0001-owari-part01.htm 名古屋城下は、町奉行の差配になります。 江戸幕府における(江戸)町奉行に準ずる職能であったかと思います。

exployder
質問者

お礼

名古屋城下はあくまで一例として挙げただけです。 要は、各地の陣屋町とか城下町とか、実際にはどういう名前で当時は呼ばれていたのかということが知りたかったのです。 ありがとうございました。

  • tpg0
  • ベストアンサー率31% (3785/11963)
回答No.1

こんにちは。 北関東の某城下町に住んでる者です。 私の居住してる市は昭和30年代までは、代官町・大工町・鍛冶町・厩町・石町・紺屋町など、江戸時代の「職業を表す町名で呼称」して、その町名が自治会になってました。 その後、昭和40年代に入ると近代的な〇〇一丁目や××二丁目のような住居表示になりましたが、自治会の行事は旧町名単位で行ってます。 今でも、旧代官町などは当時の代官屋敷の面影を残す所がありますが、当時の地図を見ても代官が住む地域は「代官町と呼んでた」ようです。

exployder
質問者

お礼

各町割ごとの単位で呼んでいたんですね。それは知りませんでした。 ありがとうございました。