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明治初期の戸籍
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江戸時代の身分の肩書は、現代の会社組織の肩書みたいなものだと思えばいいですよ。 企業によって、肩書の立場って違いがありますよね。次長という肩書がある企業もあればない企業もあります。次長と部長代理とどちらが立場が上かというのはその企業によって違いがあります。しかしそういいながら、部長が課長より下ってことはありません。全体としてのお約束はあります。 江戸時代の身分も同じで、全体としては共通しているお約束はあるものの、藩によって多少の違いというのがあるのです。現代企業との違いは、それが実力や学歴や入社年次で決まるのではなく、基本的に世襲で決まるという点です。もちろん身分制度をガチガチにすると「アホな武士と優秀で身分が低い人」ばかりになってしまいますから、そこに多少の融通がありますし、いよいよとなったら養子縁組という手段がありますからね。 江戸時代の身分制度っていうのは、現代の我々が考えるほどガチガチで上下関係がはっきりしていたわけではないんですよ。御家人(江戸幕府直属の武士)の身分はお金で買うことができました。勝海舟は曾祖父が御家人の身分を買った家です。 また、有能な人材は武士として取り立てられることもありました。ジョン万次郎や最上徳内がそうですね。ジョン万次郎は武士になったら常に腰に刀を差しておかないといけないので、それが歩きにくくて武士というのは面倒だとグチっていたらしいです。
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- eroero4649
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>その兵士卒のかたは、後に士族や卒族に分けられたということでしょうか? 後に、とはどういう意味でしょうか。卒族という身分は明治3年に制定され、わずか2年で廃止されました。E電みたいなものだったでしょうね。それ以降は「士族」と「平民」という分け方はありましたが、建前上は四民平等となりました。 明治時代になり、近代軍を作ることになりますと軍役は国民全員の負担となり徴兵に基づく国民皆兵制度となります。
補足
下に分けて兵士卒と表に書いてあったので、あとでまた士族、卒族の振り分けをしたのかと勝手に思いました 兵士卒というのが、何なんのかもよく分かってないです