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ド・モルガンの法則AND否定について
「彼は東京に住んでいる。かつ、彼の仕事場は東京にある。」を否定するとド・モルガンの法則により「彼は東京に住んでいないか、または、彼の仕事場は東京にない。」のどちらかである、おなりますが、どうしても理解できません。どうして「彼は東京に住んでいないか、かつ、彼の仕事場は東京にない」ではだめなのでしょうか? 私たちの日常の思考とはちがうのですか? 無知ですみません。わかりやすく教えてください。
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- ddtddtddt
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#1さんの仰る様に論理的思考をするという意味では、論理も日常の言い回しも基本は同じなのですが、論理はいちおう今では数学の一分野になっているので、言葉の用法は厳密に規制され、日常の言い回しと相いれないケースもあります。その意味では、日常の思考ではなく「日常の言葉の運用」とは違うと言えば違います。 まず「彼は東京に住んでいないか、または、彼の仕事場は東京にない。」という事実を言うために、「彼は東京に住んでいないか、かつ、彼の仕事場は東京にない」と(思わず?)言っちゃう事だってあると思いませんか。でも後者のように言ったとしても、けっこう前者の意味に取られる事は多いように、自分は思います。それは「日常の言葉の運用」では、文章そのものよりも、前後関係や文脈,ニュアンスによって言わんとする事を判断する事の方が多いからだと思います。 次に、数学は必要最小限の言葉の定義で事を済ませようとする傾向があります。あなたの疑問と似た種類のものとして、排他的論理和があります。排他的論理和とは実は、 「彼は東京に住んでいないか、または、彼の仕事場は東京にない。」のどちらかである. なんです。「彼は東京に住んでいる。かつ、彼の仕事場は東京にある。」の否定はじつは、「彼は東京に住んでいないか、または、彼の仕事場は東京にない。」だけであって、「どちらかである」まで言うと、厳密な「彼は東京に住んでいる。かつ、彼の仕事場は東京にある。」の否定になりません(ド・モルガンの法則では)。 「彼は東京に住んでいないか、または、彼の仕事場は東京にない。」は、「彼は東京に住んでおらず」かつ「仕事場も東京にない」ケースも含んでいます(どちらかではない)。 「「彼は東京に住んでいないか、または、彼の仕事場は東京にない。」のどちらかである」と言いたいなら、ド・モルガンの法則の公式を2つばかり使って、排他的論理和を自分で「好きなように定義して下さい」が、論理学の態度なんです。論理学は汎用的に運用可能な必要最小限の基礎を与えるだけで、それは定義を作ることも含めた能動的な運用を前提にしています。
- chiha2525_
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その法則は知りませんが、日本語の『または』には”どちらか一方だけ”という意味が内包されているものの、英語『or』の訳語としての『または』には、"どちらか一方または両方"という意味で使われ、そのために混乱しているのではないでしょうか。
- notnot
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>私たちの日常の思考とはちがうのですか? 同じですよ。 論理的な思考が出来る人の日常の思考を、法則とした物がド・モルガンの法則です。 「私たち」というのが、「論理的な思考が出来ない人」という意味なら「私たち」の日常の思考とは違うでしょうね。 Aの否定をBとすると、Aが真ならBは偽、Aが偽ならBが真と言うことです。 X=「彼は東京に住んでいる。かつ、彼の仕事場は東京にある。」 Y=「彼は東京に住んでいないか、かつ、彼の仕事場は東京にない」 とすると、東京に住んで横浜で働いている場合、Xは偽で、Yも偽です。つまりYはXの否定では無いです。 Z=「彼は東京に住んでいないか、または、彼の仕事場は東京にない。」 とすると、(1)東京に住んで東京で働く、(2)東京に住んで東京以外で働く、(3)東京以外に住んで東京で働く、(4)東京以外に住んで東京以外で働く、の4パターンいずれでも、XとZの真偽が逆になっているのが分かると思います。