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石田三成から学んではいけない点

一時期、勝っている側でなく負け組からヒントがないかなどのそういうことに注目が集まったかと思います。 石田三成はドラマでは負け組でも忠義の人という描き型ですが、豊臣秀吉に気に入られて、時代を読み違えたともいえると思います。 頭脳で布陣をくむのは良かったりもしますけど、正論、官僚的だったともいえると思います。 あまりもてはやすのは実際はよくないようにも思えるのですけど、どうなのでしょうか?

みんなの回答

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.8

fryuie98 さん、こんばんは。 さすがに秀吉が見込んだとおり、知恵はあります。だけど、他の人をまとめる指導力がどうしても欠ける点があります。彼には朋輩だった武断派の大名を豊臣家のためという名目でまとめる能力がありません。こういう人は参謀か秘書が向いており、総大将の頭脳となって働くのが向いています。つまり天下人には向いていないのです。

noname#228303
質問者

お礼

まとめる力はたしかにそうですね。 前面に出たら、反感が強い人ですよね。 ご回答ありがとうございます。

  • glacee
  • ベストアンサー率8% (20/247)
回答No.7

学べる点も、反面教師にする点もありますね。おそらく彼は潔癖すぎたのでしょうね。それと、秀才ゆえに机上の論で物事を進めすぎたのだと思います。やはり周囲の人間の気持ちも読み取れないとトップは務まらないのでしょう

noname#228303
質問者

お礼

加藤清正、福島正則などや関ケ原で、人の気持ちを読み取っているとはいえないですよね。 ご回答ありがとうございます。

回答No.6

三成から学ぶ所は 真面目で実直な忠義者と言う所 ただ 真っ直ぐすぎて周りが見えない 彼は横柄な性格で冗談が通じない 諸大名を呼び捨てにしたり、だから嫌われていたが 逆に人望もあった事は事実 ちなみに時代を読み間違えたと言うのは違うと思います むしろ時代を読んでたからこそ間然と家康に立ち向かったのだと思いますよ? それに関ヶ原での布陣は三成ではなく大谷吉継が考えたものです 三成は結構あくどい事やってました 千利休を切腹に追い込んだのも三成 豊臣秀次に謀反の嫌疑をかけさせたのも三成の謀略 結局豊臣家と秀吉に危険が及ぶ事になれば 謀略を駆使してでも排除する それが三成です もてはやすのは確かに良くないですが だからと言って愚か者と言う評価も良くないと思います

noname#228303
質問者

お礼

詳しい分析ありがとうございます。 謀略家でもあったんですね。布陣はそうだったんですね。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34516)
回答No.5

石田三成と加藤清正、福島正則の対立というのは、典型的な「高学歴エリートvs現場叩き上げ」の対立だと思うのですよ。学歴がなくて現場を叩き上げてきた私にとっては、清正や正則の部下思いで熱血漢である代わりに大局を見失ってしまう辺りにシンパシーを感じますが、三成にシンパシーを感じる人も大勢いると思います。理知的でエリートに近い立場の人たちは三成にシンパシーを感じるのではないでしょうかね。 以前、ここの質問者さんで熱心な三成ファンの方がいて福島正則らをケチョンケチョンにこき下ろしてた人がいたので、正則にもこういういいところがあるんですよ、と回答したのですが、「そのエピソードは知っているが、それでもあの馬鹿は嫌いだ」というようなことをいわれました。私も苦笑するしかなかったですね。

noname#228303
質問者

お礼

構図はたしかにそうとらえられますね。 どちらがっていえないものがありますね。 ご回答ありがとうございます。

回答No.4

彼のことはあまり良くは知らないのですが、嫌われた原因のほとんどは朝鮮出兵に関してでしょう。何の成果も得られなかった戦で各武将に報いるのは無理なわけですが、秀吉の命でその汚れ役のようなものをあえて引き受け、多方から嫌われたところが大きいと思います。 ここのポイントは、会社の命で、あえて汚れ役を引き受けろと言われそれに従うと、多大なしっぺ返しが来るかもしれない、というところでしょう。 これは現在の心理学ではミルグラム効果(ミルグラム実験として有名)と呼ばれているものと言えそうです。(wikiにようれば、ミルグラム実験は『閉鎖的な状況における権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したもの』です。詳しくはhttps://ja.wikipedia.org/wiki/ミルグラム実験) 人間『正しく』あるには如何にすべきか。考えさせられるところです。

noname#228303
質問者

お礼

朝鮮出兵は大きかったかもしれませんね。 実際、海を渡って戦った苦労は、おおきかったでしょうし。 ご回答ありがとうございます。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.3

秀吉という絶対権力があってこその自分だったことを忘れてしまったのでは、つまり秀吉亡き後の彼は凡庸な秀才で終始している。秀吉時代に三成からよくしてもらった少数の同調者はいたが、関ヶ原では勝てなかった。

noname#228303
質問者

お礼

力の発揮できる上司の下で力出せてたのは考えれますね。 後から考えたらそうだってわかる話かもしれないですね。 ご回答ありがとうございます。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.2

恩義や義理人情で行動したら身を滅ぼすってことでしょうね。 でも三成の場合100も承知で秀吉の恩に報いたわけですから、読み違えたってとかより覚悟の上だったと思いますよ。 あとは強いて言えば目的を達成するために手段を選ぶなってことでしょうか? 兵を率いて大坂に参陣したら、もう力づくで秀頼公を拉致して総大将として引っ張ってしまえばよかったんですよ、そのくらいのこと最低限しないと家康には歯が立ちません。 あるいはもっと早い段階で家康の暗殺でしょうか?忠義のために分不相応なことをやる割にはやり方が綺麗で中途半端です。どうせ負けたら主家ともども滅亡なんだからやるからにはもっとえげつなくいかないと。

noname#228303
質問者

お礼

整合性に欠ける行動っていえるかもしれません。 島津などの助言など無視してますね。難しいのはわかってたんでしょうか? ご回答ありがとうございます。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.1

頭の良いひとは、とかく大義名分を重視しがちです。 大義名分は大切ですが、利は、それ以上に大切です。 人は、大義よりも利で動くのです。 大義を重視するひとは「べき」つまり、何何である べきだ、で判断し動きます。 ところが、現実は違います。 現実は「利」つまり利益で動くのです。 大義名分は利を正当化するだけのモノです。 それを三成は見誤ったのでしょう。 大義名分は所詮は大義名分に過ぎないのです。 鐘に刻まれた文字だって、大義名分になるのです。

noname#228303
質問者

お礼

大義名分はたしかにそうです。 関ケ原の戦いをしたから、というのが今でも意図の感じにくいものでもありますよね。 ご回答ありがとうございます。