三成を嫌いな人は多いと聞きます。
それはやはり、10m10mさんがおっしゃるように
"極悪人"として市内を歩かされたからだと思います。
その理由は、勝利者であった家康の敵であったから
ではないでしょうか?
勝者としては、敵を処刑するというのは
当然のことでしょうし、また、juyjuy さんの
おっしゃるように家康も彼を評価していましたから、
それはなおさらだと思います。
>また、石田三成が好きという方は
彼の魅力について教えて頂けると嬉しいです。
わたしは、三成が好きで、いろいろな本を読んでいますが、
その中のひとつに、こういった逸話がありました。
(うろ覚えですが……
『人々はお茶を回し飲みしていた。
回し飲みをしていた一人、 三成の友である
大谷刑部はハンセン病であった。
そのため、他の者たちは、刑部の飲んだ後の
茶は飲んだフリをして他の者にまわすことが多かった。
ある日、刑部の鼻水がお茶の中に入ってしまった。
そのままお茶を回すことをためらい、
お茶をまわすことができずにいた。
それを見ていた三成は、
「拙者は喉が渇き申した。
刑部殿、早くお茶を回してくだされ」
とお茶を受け取るや、それを一気に飲んだ。』
このあとの記述にもあったのですがこのことから
三成と刑部の友情がうかがえます。
人々から嫌われているというのに
こんなことができるとは……友情最強!
とわたしも思わず拍手をしてしまいました。
この逸話はあまり有名ではないかもしれませんが
わたしが一番好きな逸話です。
(長文失礼致しました。