石田三成公の子供たちについて
関ケ原の戦で西軍の実質的な指揮を執った石田三成公、敗戦で無念にも首を討たれ、佐和山城は落城して、一族みな滅ぼされたと思っておりましたが、最近、何人かの子供たちは脱出し、一人は仏門に入ったものの、息子と娘が津軽に逃れ、息子は姓を変えて津軽藩士に、娘は第2代藩主の側室となり、その子が津軽藩第3代藩主(三成公の孫が藩主に!!)になったという話を聞きました。
あれだけ、家康公と対立した人物の子供です。幕府が黙っているわけがありません。受け入れた津軽藩は外様大名でもあり、取り潰しにあってもおかしくはありません。故に、先程の三成公の子供たちの話、にわかに信じがたいのですが、本当なのでしょうか?
ご教示頂きたく、お願いします。
お礼
そうでした、そうでした。有り難う御座いました。