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認知症患者による鉄道事故の最高裁判決

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160302-00000056-san-soci  認知症の人が徘徊して電車にはねられた事件について、3月1日、最高裁は同居の妻及び同居していない長男の賠償義務を否定し、鉄道会社側の全面敗訴とする判決を下しました。同居の妻及び同居していない長男は、民法714条の「監督義務者」にそもそも当たらないとしたものです。  ちなみに1審は妻の責任を認定。長男も「事実上の監督者で適切な措置を取らなかった」として2人に請求通り720万円の賠償を命令していました。2審は長男への請求を棄却し、妻の賠償責任は過失相殺を行って359万円としていました。  この判決、最高裁の英断とする意見もあるようです。しかし私は、次のように考えます。  民法第714条は、不法行為を行った者に責任能力がない場合において、賠償責任を負う者がいなくなるようにして、理不尽に一方的な損害を与えられたものが泣き寝入りしなくて済むようにするというのが趣旨であって、その趣旨から、できる限り責任を負いうる者を存在させる方向で解釈させるべきだと思います。もちろん、介護の素人である家族に損害全額の賠償責任を負わせるのは酷であることはままあると思いますが、それは過失相殺の規定の適用または準用で賠償額を調整することで解決可能だと思います。  今回の件で言えば、JRは基本的に悪くない以上、JRに損害の全額を負担させるのは到底おかしく、監督義務者の範囲を適切に限定しつつ過失相殺の規定で賠償額を調整した二審判決が妥当だったと思います。最悪でも、同居の配偶者は原則として「監督義務者」だが、「特段の事由」がある場合はそうならないとして、「特段の事由」の有無を下級審で審理すべく、差し戻すべきだったでしょう。民法第714条の趣旨から言えば、監督義務者に該当するか自体がイーブンなスタンスからのケースバイケースという今回の判決はおかしいと思います。  認知症患者はこれからも増えていき、社会に受け入れられる必要があるでしょう。本人も家族も一切責任を負わない(ことがある)とする今回のような判決は、認知症の人とは一切かかわらない、接触しないという傾向を招きかねず、非常にまずいと思います。皆さんはどのようにお考えでしょうか?感情論ではなく法的な見地からの考えをお聞かせください。 参照法令:民法 (責任無能力者の監督義務者等の責任) 第714条 1. 前二条の規定により責任無能力者がその責任を負わない場合において、その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、この限りでない。

みんなの回答

  • iwashi01
  • ベストアンサー率17% (187/1051)
回答No.6

えーと 事件当時85歳、自分も介護保険の支援の対象である奥さん(お婆さん)に対して、 配偶者の行動を監督する責任を持たせるということに無理があると思います。 他人の行動を監督する責任者になって賠償の責任まで持つのは、 もう少し若くて健康な人でないと無理ではないでしょうか。 そのことを、もう一度下級審で審理させよとのことですが、 最高裁として、配偶者に責任を持たせた高裁判決を破棄して差し戻すわけですから 下級審はその判断に拘束され配偶者に責任なしとの判決をするしかないわけで、 そのためだけにもう一度下級審の審理をくりかえすのは いたずらに裁判を長期化させ、費用をかけさせて当事者の負担を増すばかりと思います。 親族の誰かが賠償しなければ許さないという社会では、 面倒を見きれないとなれば介護心中しかないと思います 一般の人が認知症の人を避けるようになる以前に、 親族が認知症患者、さらには認知症患者になりそうな人との接触を避けることになり、 さらに認知症患者が野放しになりそうな予感がします 何らかの公的補償で対応するようにできないかと思います。

  • dragon-man
  • ベストアンサー率19% (2711/13692)
回答No.5

同趣旨の別の質問への回答です。内容がほとんど合致していますので引用します。 「難しい問題ですね。日本の法治は判例主義です。判例の積み重ねが量刑の基準になります。判例が一種の法律になるのです。今回の最高裁の判決は今後の同様な裁判で判例として用いられるでしょう。今回の判決は今後同様裁判において家族の保護責任の基準に適用されるでしょうが、監督責任ありなしの基準としてはかなり曖昧です。確実に損害が発生しているのに、その賠償請求の可否がこのような曖昧な判決を基準として左右されたらたまりません。今後に禍根を残しそうです。最終審である最高裁が2審の判決をひっくり返すのなら、判例基準となるそれなりの判決理由がなければなりませんが、この判決はかなり情緒的で、それを逃げています。だからあなたのような疑問が出てくるのでしょう。私も同感な部分があります。最近の最高裁は、票の格差問題や安全保障問題など、難しい問題についてこういう逃げが多いですね。最終審としては失格でしょう。 」

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.4

被害者が鉄道会社のような大きな企業だから あまり違和感が無いのですが、これが一般市民 だったら、確かに問題ですね。 どんなに甚大かつ深刻な被害が発生した場合でも、 誰も責任を負わなくて良い、というのは 疑問です。 かといって、家族に責任を負わせるのも 無理だった。 長男は同居しておらず、法的責任を認める のは難しい。 妻は妻で、24H寝ずの番をしろ、という のも法的には無理でしょう。 最高裁としては、この事件を契機にして、 政府が何とかしろ、という意味で今回の 判決を出したものと思われます。

  • ts0472
  • ベストアンサー率40% (4485/11068)
回答No.3

全てを良しとする結果では無いと思います 個々の家庭の状況によっては変る結果のままだと思います 参考例の1つでしか無い 食い逃げや持ち逃げ(本人は逃げている意思無し)など お金を払うという事を忘れている状況にも適用される内容では無いと思います ただ記憶から消えてしまっただけ 悪い事とは認識していない 駅には転落防止にゲートを設けている駅もある 認知症患者が存在するのであれば鉄道会社が簡単に線路に侵入できない対応を取るのも義務とも感じます 駅ホームに壁を張り巡らせて高架にすれば認知症患者が侵入する確率は減る 酔っ払いの転落事故も防げる 痴漢や盗撮犯の逃げ道を少なくする事にもなる 昔のように各踏み切りに監視員を置いていれば幾つかの事故は防がれたかも知れない 鉄道会社に防犯対策が成されていない 利益優先で安全対策がとられていない という考え方も可能だと思います 簡単な会話で認知症と判断できる人は少ないと思います 認知症の状態も分からない 私の母も認知症ですが 問題を起こす時期は世間話に問題はありませんでした 話しかけられた相手が母を知らないのであれば 確認する手段もありません 身体は元気なので歩いているだけでは認知症とは分からない 付き添うと暴言を吐かれるので隠れて尾行していましたが 母と話した人に状況を聞いても認知症と気付かれる人は皆無でした 教えられた方向に進んでない事が大半で 状況を聞く時間も惜しい日々でした 社会に受け入れられるとは思えません 日本を知らない外国人が居るような感じ 電車を知らない人は線路内を通ってはいけないという法律や常識は通じない いけない事と覚えていない ただ 記憶が出たり出なかったり 欠落しているだけ 単独では行動できない 常に付き添わなくてはいけないのですが 本人は1人で行動したい人が多い 1人で行動できると思っている 我慢ができない 罵声を浴びせられる場合もあれば暴力をふるわれる場合もあります 経験も資格も無い家族が急に介護を始めさせられる事になるのは矛盾していると思います 誰もができる事であれば資格の必要性が分からない 資格を要求するのであれば在宅介護する家族にも勉強や資格と報酬が必要なはず 家族は離職して収入無しになって在宅介護を始めなくてはいけない 家族だからで許される内容では無いと感じます

noname#215350
noname#215350
回答No.2

今回は一つのであり、認知症の方については徘徊による事故等、発生していますね。 家族内それぞれの関係で相違はあるでしょうが、私の場合、現在は両親とも健在ですが いつ、介護が必要になってもおかしくない年齢です。 在宅介護は現状できないので施設にお世話になろうと思っております。 ですが、親に変わりはありません。関わらないつもりは一切ないですし、最期を看取るのが 娘としての最期の役目と思っております。 ※世の中には円満な親子ばかりではありません。あらゆる対応があるとお思います。  施設に入れて一切、面会に来られないお子さんも珍しくないようです。 今回の判決については寛容な判決であったと個人的に思っています。 損害賠償を求められても仕方のない症例と思っています。 今後、こういったことは増加するでしょう。 すべてに賠償金が発生しないわけではないと考えます。

  • sb69kamyi
  • ベストアンサー率28% (25/89)
回答No.1

>認知症の人とは一切かかわらない、接触しないという傾向を招きかねず、非常にまずいと思います 逆じゃないですかね? かかわることで、賠償義務を負うなら、誰も一切かかわり合いたくないし、接触したくないという傾向になると思います。

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