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本文:前の東宮におくれたてまつりて、 限りなく嘆か

本文:前の東宮におくれたてまつりて、 限りなく嘆かせ給ふ同年、 訳:(母后は)前東宮に先立たれ申し上げて、この上なくお嘆きになった同じ年に、 この「奉る」が謙譲語だというのは分かるのですが、謙譲語の敬意の方向が分かりません。ただの謙譲語さえ分からないのに補助動詞の謙譲語となったらどこに向かって敬意が生じているのかさっぱりです。謙譲語の敬意の方向の読み取り方のコツなど教えて下さい!

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  • kifimi
  • ベストアンサー率72% (425/586)
回答No.1

・尊敬語=為手(して)尊敬…動作をする人への敬意 ・謙譲語=受け手尊敬…動作の受け手への敬意 ・丁寧語=聞き手尊敬…聞き手への尊敬 ・地の文であれば、敬意は「筆者から」。会話文であれば、敬意は「話し手から」。 この基本を押さえましょう。 古文の敬語では、現代語の敬語のように「相手が動作主より目上か目下か」というような相対的な関係では解釈できませんので、要注意です。現代語の感覚で見てしまうと、目上から目下に向かって敬語を使っていておかしいのでは??と勘違いしてしまうことがあります。 「(母后は)前の東宮におくれたてまつりて」の「おくれたてまつる」について、 ・「おくる」の動作主は「母后」、動作の受け手は「前の東宮」 ・「おくる」に付いている補助動詞「たてまつる」は謙譲語なので、受け手尊敬=動作の受け手=「前の東宮」への敬意 ・地の文なので、敬意は「筆者から」 つまり、敬意の方向は「(筆者から)前の東宮への敬意」となります。 「おくる」を「先立たれる」と訳してしまうと、動作主や受け手が把握しにくいかもしれません。「(母后が前の東宮に対して)死におくれる」=母后が東宮に先立たれる、と理解すると良いでしょう。 これより複雑な(現代語にはない)「二方向への敬意」も、敬語を「為手尊敬・受け手尊敬・聞き手尊敬」で把握すると、よく理解できますよ。

その他の回答 (2)

回答No.3

意味が良く理解できるようになれば、自然と理解されます。 「前東宮」は「先の日嗣(ひつぎ)の宮」と読み下します。 日嗣の宮はつまり皇太子のこと。皇太子は次期天皇の地位にある人ですから、例え母后といえども地位的には東宮が上位となります。 愛すべき子息に先立たれた悲しみを表すにも、敬語の使用が必要となるのです。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.2

 甲>乙 とすると、乙が甲に謙譲語を使うとします。この場合  前の東宮 > 母后 となっているので「奉る」が使われているのだと思います。

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