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存在と時間

ハイデガーの「存在と時間」の中の記述です。 アリストテレスのいう、「類や種は、種差の述語になりえないのに対し、「存在」は、類種はもちろん、種差に対しても述語づけられうる。」 というのはどういう意味ですか?

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回答No.1

 こんばんは > 類や種は、種差の述語になりえない  基本的には論理学の範疇に入るかと思います。まず、術語とは単純に"S + V"における"V"のことです。   アリストテレスは生物の分類をも示したので、”生物”を例にとって説明していきたいと思います。  例えば、「”死が定められている生き物(種差)”は人間(種)である」といえるのか?  これは”言えない”と考えられます。つまり、死が定められているのは人間だけではないからです。他の生き物も同じでだからです。多少の寿命の差はありますけれど・・・  結論を急ぎますが、「種は、種差の述語(=V)になりえない」となります。  これは、動物という”類”に関しても同じことがいえます。 > 「存在」は、類種はもちろん、種差に対しても [あらゆるものに] 述語づけられうる  ”類種”にしても、”種差”に対しても、”ある(=V)”と位置づけることは可能でしょう。  ハイデッガーは、前述のように、 類や種(人など)は種差の述語にはなりえないのに対して、(「人間は社会的な動物である」と言うことは可能であるが、「社会的な動物は人間である」とは言えないのに対して)、存在 [Sein] は、どこにおいても同じ意味で述語(=V)になりうるので、「存在 [Sein] とは超越概念」であると言いたかったのでしょう。

zyoyuu
質問者

お礼

なるほど!よくわかりました><助かりました。ほんとにありがとうございました^^

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