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『存在と時間』の実存概念について
- ハイデッガーの『存在と時間』における「実存」について質問します。現存在が関わり合っている存在そのものを指すことを「実存」と定義しているのか、確認したいです。
- また、ハイデッガーは「おのれ自身の実存」という概念を使用していますが、これは現存在自身の存在なのか、それとも他の存在も含めた意味なのかも知りたいです。
- さらに、「自己自身として存在するか、自己自身としてでなく存在するか」という記述の具体的な意味も知りたいです。具体例を教えていただけると嬉しいです。
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ANo.1です。 ごめんなさい。質問を見落としていました。 質問は3番まであったんですね。 問3>また、「自己自身として存在するか、自己自身としてでなく存在するか、」 とは具体的にどのようなことでしょうか。「自己自身」とは現存在自身、 「自己自身としてではく」とは、例えば、鉛筆という存在者は自己自身ではない、 といったほどの意味でしょうか。 ◆質問者様の、この解釈は、間違っています。 おのれは現存在自身として存在するか。 さらに、おのれはたんなる実存としても存在するか。 をおのれに問うていますので、 自己自身として存在するか?・・・おのれは主体として存在するか 自己自身としてでなく存在するか?・・・おのれは客体としても存在するか という意味です。 たとえをあげましょう。 おのれは主体として存在するか? これについては「われ思うゆえにわれあり」で解決します。 おのれは客体として存在するか? 歩いている自分は存在するか。座っている自分は存在するか。 眠っている自分は存在するか。 これは、どうやって解決したのか、私は知りませんが、 一説には、世界との係わりによって解決したらしいです。 しかし、寝ているときにどうやって世界と係わるのでしょうかねえ。 疑問はつのるばかりです。 なんだか、かえってご迷惑をおかけしたようです。 反省しております。 ところで、「実存」という概念は、キルケゴールがつくった 概念なんだそうです。
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- mesenfants
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参考までに。 前半の文はたしかし曖昧(まぎらわしい)かと思います。 「現存在」が「しかじかの仕方で態度をとっている存在」といえば、 身の回りにある「人間以外の」モノだろうと読めます。 それをハイデガーわざわざイタリックにして「実存」というのは解せない、というわです。 それというのも、「第9節」(s42)には、あの有名な、 ――現存在の「本質」はその実存にある。 という宣言と矛盾するように思えるから。 (ちなみに、ここで「本質」とかっこになっているのは、 従来の意味ではという引用的な意味で使われています。) その宣言のまえおきとして、 従来の「エクシステンツィア」(これは普通のモノという意味で使われてきたが、 それには「事物的存在」という術語をあて、 「われわれ(ハイデガー)」は「現存在」の存在のありようにその語(実存)をわりふると 述べているのだから、質問者様が首をかしげたくなるのは、ますますもっともです。 ここからは私の愚考です。 さきの文で、 「現存在が態度をとっている存在」の存在は「Das Sein」ですが、 これを「存在」と「訳し」たのでは どうしたって「存在者」を指すのだろうと読んでしまいます。 ですが、大文字であり(ドイツ語はもともと名詞は大文字ですが)(英訳ではThat kind of Being towards which Dasein can comport itself)、 ここは「現存在」の「存在(ありうよう)」を「実存と名づける」としか読みようがないと思います。 ご質問の後半は上記9節以降を熟読していけば誤解はないものと思います。 ただ「現存在」の「自己自身」や「固有性」はとてもむずかしい「概念?」です。 人間の本質が問われているので、 (「人間は政治的な存在である」「人間は話す動物である」「理性的な存在である」など、 種々の「性質=本質」では人間を汲み尽くせないというのがハイデガーの本音で) どうしても「神」の影がさしてくるのは仕方ないのではとも思います。 (人間が人間を超えるというときの名として「神」と言ったまでですが) 以上です。
お礼
「実存」という一語をとっても、様々に読めてしまいますね。大変参考になりました。有難うございました。
1. 現存在:自分が存在する可能性を自分に問いかけることができる存在。 すなわち、人間に限定して、現存在としています。 それに対し、係り合っているすべての存在を実存としていますので、 質問者様が理解されたとおりで良いと思います。 ここで、係っているという表現に注意しなければなりません。 これは直接的な係わりには限定されておらず、離れた場所であっても 有効な係わりとみなすのです。 それは、時間上において、今は、手もとに無いという、その物の 一形態としてとらえているからです。 2. おのれ自身の実存といった場合には、現存在そのもののことであり、 すべての人間について、おのれ自身という可能性を認めています。 現存在以外の実存といった場合には、道具存在のことです。 ここで、犬や猫などの動物は、道具存在として扱うのかという 問題が浮かび上がってきますが、ここは質問者様ご自身が、現存在として 研究なさってください。
お礼
客体としての存在とは、思いつきませんでした。独学で読んでいるため、中々ページが進みませんでしたが、大変参考にさせていただきました。どうもありがとうございました。