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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:正午は存在しない?)

正午は存在しない?

このQ&Aのポイント
  • 正午(12時)は、午前、午後、どちらに属する?という質問に対し、回答者は「正午」と言う時間は3次元には存在しないと述べています。
  • 質問者は、この回答の意味がわからず悩んでいます。具体的には、「正午」と「12:00」の関係や、他の時刻の存在について疑問を持っています。
  • また、質問者は「正午」の存在について具体的に示すことができないのか、3次元以外の次元での存在についても疑問を投げかけています。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.7

瞬間というのは存在しない。 だから正午というのも、存在しない。 午前と午後を区別する「差異」とか、境目が正午と言われるもの。 数字でいえば、ゼロ、そしてゼロは存在しない。 誰かが、ゼロは自然数に属するみたいなことを言った人がいるけど、そもそも数ではなく、クラスを表すものだから、存在しない。 数は実在するものではなく、理念的形象。 ユークリッド原論によれば、点も線も理念的には存在するけど、現実の世界には存在しない。 数というのは,存在しない、どこにもない。 人間の内側にも、外側にもない。 数は「イデア」だから。 時刻も同じ、時刻というのは境目であって、その前とその後を区別する「差異」に過ぎない。 だから正午とか、12時という時刻は存在しない。 なぜならば、正午と言った時にはすでに正午ではない。 瞬間というのは存在しないから。 どんな高速度カメラであろうと、瞬間は撮影できない。 なぜならば瞬間には何物も存在しないからだ。 カメラに何ものかが写っているということは、それが瞬間ではないからだ。 もし、理念的世界というものが存在するならば、正午も、12時も、時刻も存在する。 点も存在し、線も存在し、面も存在する。 アリストテレスが「形相」というように、理念的世界には完璧な三角形が存在するけど、現実の世界には不完全な三角形しか存在しない。 点も線も、理念的世界には完璧に存在するけど、現実の世界には不完全な点と線しか存在しない。 それと同じで、理念的世界には正午というのが完璧に存在するけど、現実の世界には不完全な正午しか存在しない。 Deathscytheさんの言いたかったことは、そういうことなんではないですか?

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ただ、そうすると11時というのも瞬間ですから、11時というのも存在しなくなりますし、10時も、9時も・・・・とやていくとすべての時刻が存在しなくなる気がするのです。 何か不思議な気がします。 自然界には時刻は存在しないというのは一番簡単な解釈ですが、そんな単純なことを言いたかったわけではないという気もします。urigadai2013さんが言われることがDeathscytheさんの言いたかったことかもしれないですね。

その他の回答 (6)

noname#215107
noname#215107
回答No.6

>Deathscytheさんか、この意味のわかる方、回答をお願いします。 これは本人以外にはわかりません。 3次元=この世 という意味で考えていた可能性があります。 正午はタイミングなので「目に見えない」  目に見えないものは存在することを認めない というポリシーではないでしょうか。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 おっしゃるとおりで本当のことはご本人に聞かないとわからないですね。 なるほど、そうゆうことであればわかりやすいです。 人間の頭の中にしかないものということでしょうか。

回答No.5

時刻はあくまでも現代人が整理した、万国共通な認識(定義)です。 しかし、地球の公転と照らし合わせると、毎日若干のずれが生じています。 ずれを補正するために閏年を設けています。 (グローバルスタンダード?)決められたルール上は時刻が存在していても、 天文学的には毎日時刻のずれが生じています。 正午の定義はグローバルスタンダード上に存在しても、 実質的な時刻表現からはずれているかもいれませんね。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ご指摘いただいたこととは別の話かもしれませんが、 そういえば地球の自転はどんどん遅くなっていて1日の時間は微妙に伸びているのだそうですね。昔は1年は400日ぐらいあったとか。 そうゆう微妙なずれというのはありますね。

  • qwe2010
  • ベストアンサー率19% (2193/11072)
回答No.4

正午は、太陽が南中する時刻で、午前12時として存在します。 (正午とは切り替わるタイミングの事ですので) この言葉が間違っているので、貴方に理解できないのだと思います。 午前、午後、どちらに属するか、との問いに答えとしては、 午前だけを考えても存在します。 午後だけを考えてみても存在します。 だから両方に属していると、考えられます。 (時間は、物ではありません、思考回路を変える必要があります。)

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 正午は存在するというご意見ですね。 私もそれが理解しやすいのですが・・・・。

回答No.3

幾何学では、点というものに面積はありません。 線は点の連続ですが、点に面積がない以上、点が100個連続しようが 1万個連続しようが、どんな線にも面積はありません。 面となると面積が出てきます。 時間もそれと同じです。 正午も11時2分も一瞬であって、時刻として存在はしますが時間の長さはないんです。 「11時2分から11時5分まで」というと時間の長さが存在します。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 点はいくら集めても線にはならないということですね。 正午は点として存在する気もします。 でも、正午だけをとりだしてしまうと長さがないのでもはやそれは時間ではない、ということなのですね。

  • maiko0318
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回答No.2

午前と午後の境目であるから午前か午後かというとどちらでもないが、 正午自身は存在する。 では、海岸に行ってみよう。 海と陸の境目は存在しますよね。 では、境目は海でしょうか?陸でしょうか?どちらでもないですね。

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 いわれることはよくわかります。 たしかに境がどちらと言われても困りますね。 ということは「正午」と言う時間は3次元には存在するということなのですね。

noname#207067
noname#207067
回答No.1

私も疑問が出てきました。 正午が存在しないとすると ニーチェの「大いなる正午」とはなんなのだろう。 der große Mittag 大いなる正午

stmim
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「大いなる正午」は知りませんでした。 ひとつ知識がふえました。