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「存在」は「非存在」のアンチテーゼか?
「アンチテーゼ」と言う言葉の意味は、実はあまりよく理解していません(言葉がかっこいいのでちょっと使ってみたかったのです。すみません)。それで、質問ですが、現在、この世には無数の星雲があり、その一つに銀河星雲があり、その中に太陽系があり、その中に地球があり、その上で人々が生活しているわけですが、この世のありとあらゆるものを含む「存在」そのものは、「存在しない」と言うことの反対概念として位置づけることができるものなのでしょうか?それとも、「存在」には、反対概念が存在しないということになるのでしょうか?「存在」に反対概念「非存在」があるとすると、「非存在」という「存在」があるような気がして気持ち悪いし、「存在」に反対概念「非存在」がないとすると、そもそも「存在」とは、「ある以外にありようがないあるもの」ということになるのでしょうか?もし「存在」が「ある以外にありようがないあるもの」であるとすると、その「存在」が持つ属性のうち「ある」という属性以外の属性については変わる可能性があるのでしょうか?例えば現在の「存在」が持つ物理的法則の一つである万有引力の法則とは全く異なる別の万有引力の法則を持つような別の「存在」の存在(現在の存在から推移する存在として)は考えられないのでしょうか?
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- vagabond_0710
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素人で難しいことはわからないのですが、この質問は、また、No.4が書かれていることって弁証法じゃないでしょうか。テーゼとアンチテーゼは対極に位置し、永遠に混ざらないけど、それを昇華してジンテーゼになる。第三の道ですよね。それによって成り立っている。そう考えると、ジャンケンだって3つの要素で成り立っているし。第三の道が真ん中とするのなら、仏教でいう中道ですし。よくよく考えれば、政治だって右と左にわかれて成り立っていますよね。お互いが批判しあってベストを道を見出そうとする。第三の道ですね。 この質問を掘り下げていけば、ビックバン以前の宇宙はどうだったのか、にたどり着くと思います。この世界が存在する以前は、存在したのか?それとも非存在が存在したのか?または、存在も非存在も非存在な世界だったのか。もう、わかりません。空想の域です。その時に行くことは事実上不可能なはずですから。それでも未知だからこそ、探究が続けられ、おそらくこうだったと思われることは、解明されていくとは思いますが。永遠の謎だからこそ、人類は生き続けることができると思います。 だんだか脱線しましたが、難しい問題ですよね。それでも何か参考になれば幸いです。失礼しました。
- mmky
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「アンチテーゼ」というのは、真ん中を見出す手法なんです。道は3本あるのですが、まず右を取るものがあり、それに対して左を取るものあり、その結果より良い道、3番目の道を見出すという手法ですね。よく使う例では、自由と平等は互いにアンチテーゼなんですね。自由は追求すると不平等が生まれ、平等は追及すると不自由が生まれるからですね。この自由を追求した結果と平等を追求した結果から第三の道を見出すということですね。そのように使うものですから「在る」と「無い」には適用できませんね。
お礼
ご回答ありがとうございました。
暇な者ですが、 (「存在」は「非存在」のアンチテーゼではない) がアンチテーゼだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。
- kaitaradou
- ベストアンサー率8% (102/1147)
言葉と道具の関係については現在質問者の立場でいろいろご教示いただいている最中なのですが、私は言葉という道具もほかの道具と同じく対象を記号化するというのが働きだと思っています。記号化すると対照が消えてしまうというのは、記号化されると同時に頭の中に取り込まれてしまうという意味で、対象そのものが消えてしまうわけではないことはいうまでもありません。言葉も対象になるところが興味深いことですが、存在という言葉は、実に難しい道具ではないでしょうか。道具は何かを記号化してくれるとしても存在という言葉が記号化してくれると同時に存在という言葉は消えてしまうはずです。存在はもっと前に消えています。消えたのが存在なのか存在という言葉なのか、それこそ分からなくなります。われわれは対象と対象の記号化されたものとを実は区別していないのではないかと思っています。うまくまとめられませんのでここで失礼します。
お礼
ご回答いただいた内容を何度か読ませていただきましたが、残念ながら私には難しすぎてフォローできませんでした。また、しばらくしてから考えてみます。 ありがとうございました。
- kaitaradou
- ベストアンサー率8% (102/1147)
私は素人ですが、存在という言葉には興味があります。存在という言葉によって存在そのものが消されてしまうということはないでしょうか。言葉というのは対象を消してしまう作用があるようにおもうのですが。この場合、存在という言葉が問題になっていますが犬でも猫でも名前をつけた途端に消えているのではないでしょうか。まして存在が対象になった場合、存在という言葉によって存在はそれ自体ではいられなくなっていると思います。さらに非存在になると私には分かりません。非存在が消えたからといって存在が出現するものでもないように思います。存在を論ずる前に言葉の働きに対する考察が必要な感じもするのですが・・・
補足
私も素人なので、いやはやどういたしましょうかなのですが、取り合えず整理すると、kaitaradouさんがおしゃるのは、言葉で議論しても本質に接近できるわけではないから、禅のように言葉なしでストンと悟るしかないということなのか、それとも、言葉で議論することは可能だが、そのためには、言葉の働きを注意深く考慮した上でないといけないということなのかどちらですか? 私は実験主義者なので、道具としての言葉で、とにかくどこまでできるのかやってみて、ダメならだめという結論が出ればそれはそれで良いと思います。できることなら「なんとなくわかったようなわからないような」には、なりたくないなーというところです。
お礼
ご回答ありがとうございました。